第二十九話
今まで聞いたことがない腹に響くような重い音が、王宮の方角から聞こえてきた。
それでも御者台のロビンは馬車のスピードを緩めなかったが、不安げな視線を隣のオリバーに向けてきた。
オリバーは正面に向けた視線を逸らさなかったが、やがて見えてきた王宮の門の手前の人だかりに目を瞠った。
人だかりの後方には、たくさんの馬と馬車がとまっている。
馬車を降り、二人は人だかりをかき分けて前へ進んだ。知らない顔も多かったが、見知った顔もある。
「奥様!」
邸の使用人らしい男がロビンを呼んだ。
「何事?」
「エキストラってやつです。とにかく、多ければ多いほどいいと言われたんで」
「ただいるだけで褒美がもらえるそうで」
「オリバーさん」
歩み寄ってきたのはカイルだった。
「ぎりぎりセーフで間に合いました。あとは殿下の話術次第ですが……」
そして主君の方を振り向く。
「きっと大丈夫でしょう。あの方に口で勝てる人は、あなたのお孫さんだけですから」
いつもマリオンの隣にいるカイルがここにいるということは……。
(彼の隣にいるのは誰だ?)
マリオンの右隣にはギルバート、そしてその反対側には、見知らぬ男の背中があった。
革命軍のリーダーのアランという男は、自称発明家だった。
彼は、自分が発明した拳銃という名の武器を前に向けた姿勢のまま、得意げな笑みを浮かべていた。その拳銃の口から、白い煙がユラユラと立ち上っている。
「勝手に撃つなと言ったろう」
フランシスに当たったらどうするつもりだと肝を冷やしながら、マリオンはアランに言った。
「ぐずぐずしていたら死んでましたよ。あなたの大事な人が」
銀縁メガネの奥の目が、チラッとこっちを向く。
一度も実戦で使ったことがないと言っていたのに、たいした度胸だとマリオンは感心した。おそらく自分とさほど年は変わらない。その若さでこれだけの人数の男たちを率いて革命を起こそうとしているのだから、相当頭が切れるのだろう。
「生きてます……」
もう一人の秀才が、涙声で言った。
ギルバートに言われるまでもなく、マリオンは自分に覆いかぶさっている男を押しのけて起き上がろうとする恋人をみつめていた。
(さあ、泣いている場合じゃないぞ、マリオン)
そして、何が起こったのか、起ころうとしているのか理解できずに呆然としているディアスの兵士たちのように、初めて見る武器にびびっている場合でもない。
「バルトワ王国王太子のマリオン・テイラーだ!」
ディアスの兵士たち、そして後方に立っている貴族らしい男たちの顔が、さらに愕然とする。
自分を殺すはずだった男の死体をやっと押しのけて上体を起こしたフランシスは、背中から血を流しているその死体を見たあと、マリオンの方に顔を向けた。
髪は乱れ、顔もドレスも汚れまくっているのに、それでもマリオンにとっては世界一美しい恋人を、愛情のすべてを込めてみつめた。
(もう大丈夫だぞ)
一瞬だけほころんだ表情を、すぐに引き締めた。
「その女性が、俺の婚約者と知っての狼藉か!?」
兵士たちは顔を見合わせたあと、全員が少し後ろにいる一人の男に視線を向けた。一人だけ兵士とは違う高級そうな衣装に身を包んでいるその男は、おそらく国の中枢にいる人物なのだろう。兵士に何かを問われたあと、青ざめた顔色でやはり何かを囁いた。
「フランシス様を人質にして乗り切ろうとしています。トップらしい人の名前はウォートン公爵」
彼らのやり取りを聞き取ったギルバートが、マリオンに耳打ちした。
「フランシス王女を拘束する前に、あなたの頭に穴が開くぞ! ウォートン公爵!」
名指しされた公爵が、目を丸くしてこちらを見た。
その額に、アランが銃を向けた。
兵士たちは盾になるどころか驚いて身を引いたので、公爵は慌てふためいて身を伏せた。
「たぶん届かないけどね」
アランが小声でつぶやく。
「そんなのわかりっこない」
やはり小声で言ったあと、マリオンは恋人に呼びかけた。
「フランシス! 大丈夫だ! 帰ってこい!」
「足を怪我しています」
オリバーの声に、マリオンは驚いて横を見た。
いつのまにかアランの隣に立っているその姿を見て、マリオンはなぜかホッとした。いるだけで安心する存在だった。
「迎えに行く」
「近寄るな!」
マリオンが数歩進むと、一人の兵士がフランシスの顔の前に剣を突き出した。
「ほお、ウォートン公爵はどうなってもいいと」
内心の動揺をおくびにも出さず、マリオンはポーカーフェイスで言った。
「わ、我々は国王陛下を殺された! この女は絶対に生かして帰すわけにはいかない!」
「ウォートン公爵!」
マリオンは、とにかくトップを落とすことに決めた。
「知っているか!? 俺は去年の秋、この国の国王が差し向けた刺客に暗殺されそうになった! そして今年、同盟国アステラの学校にやはり国王の指示で潜入した奴らに生徒たちが危険にさらされて、フランシス王女が拉致された! さらには、戦争という状況だったにせよ、アステラは国王を半身不随にされてその弟は殺されている! アステラの王女は、その対価をこの国の国王に払わせただけだ! それなのに、その王女を返さないと言うのなら、バルトワは絶対にお前たちを許さない!」
そしてマリオンは右手を大きく振って後方を示した。
「俺の婚約者を救うために、これだけ多くのバルトワの兵士がここにはせ参じた! 道なき道を通ってだ! 俺たちを怒らせたら、お前たちを叩きのめすどころか、バルトワと友好関係にある近隣諸国を巻き込んで、ディアスという国をこの大陸から消滅させることも可能だぞ!」
ウォートン公爵が完全に血の気をなくした顔で、低い姿勢のまま周囲の男たちとまた何か話した。
「ギルバート! なんて言った!?」
「殿下の暗殺と、僕たちの学校の事件は知らないと!」
今度は、彼らに聞こえるように大声で言ったので、ウォートン公爵はさらに青ざめた顔をこちらに向けた。
「すごいだろう、アステラの魔術師は!? お前たちの密談はすべて筒抜けだぞ! さらには……おい! クリス! 高みの見物してないで、人間に戻れ!」
木の上にいた小鳥が甲高い声を上げてディアスの兵士たちの頭上を一周したあと、マリオンの方へ飛んできてその肩にのった。そしてちょこんと地面に降りると、人間の姿に戻る。
ディアス側の人間だけでなく、マリオンの背後にいた人々からも驚きの声が上がった。クリストファーは、得意気な顔をギルバートに向けた。
「そしてこの男、この武器の中に入っている弾というものを当てる確率は百発百中で……」
調子に乗って口から出まかせを言っただけなのに、アランは本当に弾を発射させた。そしてなんとその弾は、フランシスに剣を向けていた男の肩に命中する。
男は悲鳴を上げながら剣を落とし、フランシスが目を丸くしてアランを見た。
マリオンは仰天して振り向いた。
「だから、勝手に撃つなと言ってるだろう」
囁くような声で非難したが、アランは何も言わずに銃口にフーッと息を吹きかけたあと、涼し気な顔でまた公爵の方に銃を向けた。
マリオンは気を取り直して、また公爵と向き合う。
ネタは尽きた。あとはひたすらしゃべるだけだ。
どんなに耳が良くても、変身で驚かせることはできても、何の戦力にもならない。この拳銃という武器も、製造が間に合わなくてわずかしかない弾が尽きれば終わりだ。そして後ろにいる男たちのほとんどが、戦闘経験がない。
それでも、目の前にいる敵の兵士も思ったよりは多くない。大半はフランシスが倒したのだろう。
(さすがだ、フランシス)
だが、それでもこのはったりがなかったら命を落としていたのだ。それを思うと背筋が凍りそうだった。
「ウォートン公爵! あなたはこの国の国王の悪行のすべてをわかっていたわけではないらしい! 諸悪の根源はアステラの王女が排除した。その王女さえ返してもらえれば、罪のないあなたたちまで攻撃する意志は、我々にはない!」
ウォートン公爵は、震えているような口で何かを言った。
「自分に向けている武器を下ろしてくれないと、いまの言葉は信用できないと」
ギルバートが伝える。
「王女の縄を解き、取り囲んでいる兵士たちが離れれば、こっちの武器も下ろす!」
公爵はフランシスの一番近くにいる兵士に何か言ったが、兵士は首を振る。
「切り札を手放したら終わりだと兵士が言っています」
「ウォートン公爵!」
ギルバートの言葉が終わると同時に、彼の隣に歩み出た女性の声に、ディアス側の人間たちは驚愕の表情をした。
「あなたがこの国の未来を案じて、たびたび国王陛下に進言していたことは知っています」
ロビンだった。
「ファーガソン夫人!?」
「スパイだったのか!?」
「あなたが信頼に値する男だということは、私がマリオン殿下に証言する」
マリオンは、その横顔をじっと見た。
痣がない方の横顔は美しく、亡きジュリアン公爵によく似ていた。
「夫のデヴィッドは、このマリオン殿下に殺されたわ!」
ディアスの兵士たちはさらに驚いた様子だった。
「同じ罪を負う私も、罰を受ける覚悟はできている! だからスパイだと言われようと、裏切り者だと思われようと、そんなことはどうでもいい! ただ、私がいまこちら側についているのはアステラのためじゃない! 夫と私がいなくなったあと、私たちに仕えてくれた使用人たちの将来と、そして婦人科医の私が取り上げた子供たちの将来が心配でならないから! ウォートン公爵だって本当はわかっているでしょう!? あの国王のままだったら、この国はいずれ崩壊していた! フランシス王女は、それを食い止めたのよ!」
「主役は俺じゃなかったのか」
マリオンはボソッと言った。
ギルバートは苦笑しながら、励ますように言った。
「ここで、あと一押ししてください」
「ウォートン公爵、今までの悪政を改めて新しい国づくりをするのは相当大変だろう! 国家が不安定なら、チャンスとばかり攻めてくる敵国もあるかもしれない。たとえばこの国への恨みがたまっているブレストンとか……。ファーガソン夫人があなたを信頼しているなら、この俺もその言葉を信じよう! この国が安定するまで、外敵に脅かされることがないように、バルトワが近隣諸国を牽制する!」
「な、なぜファーガソン夫人を信用できるんだ!?」
ウォートン公爵は初めて大きな声を出した。
「夫のファーガソン伯爵のことは殺すほど恨んでいたのに!」
「この人は、アステラの国王の姉、フランシス王女の伯母にあたる人だからだ!」
それを言うとは思わなかったらしく、ロビンは驚いてマリオンを見た。
「フランシス王女を無事に返してくれれば、アステラはこの人がいるこの国とこれ以上争おうとはしないだろう。そして、その王女がいずれ嫁いでくるバルトワも、この人がいる国と敵対したくはない。そのためにも、ディアスは立派な君主が治める国になってほしい」
そしてマリオンは、正面を向いたままロビンに問いかけた。
「ファーガソン夫人。この国の後継者は誰だ?」
「第一王子はまだ赤ん坊です。成長するまでは、亡き国王の従兄弟にあたるウォートン公爵が、後継者候補の筆頭でしょう」
それを確認して、マリオンは賭けに出る決意をした。
「ウォートン公爵、あなたが国王になるのか国王代理かは知らないが、この国の行く末の鍵を握っている重要な立場であることは間違いないだろう。この国を立て直して英雄になるか、それともアステラの宝である王女を人質にしたまま大陸で孤立するか、どっちを選ぶ?」
そして、腰に帯びていた剣を鞘ごとはずして地面に捨てた。
「アラン、銃を下ろせ」
「え?」
「俺は今から、丸腰で王女を迎えに行く! ファーガソン夫人の言葉を信じて、ウォートン公爵がこの国を愛している男だという方に賭ける! だがそうじゃないなら、兵士にこの俺を斬るよう命じろ! そして、バルトワの兵士とアステラの魔術師を敵に回すがいい!」




