第二十七話
「まもなく、国王陛下がおいでになります」
大慌てでやってきた侍女のカレンは、そう言うと急いでフランシスの乱れている髪を直した。
国王が家族を紹介しようと夕食の席に呼んだというのに、ベッドから出ようともしなかったこの無礼な姫君に、カレンは心底呆れかえっていた。
それなのにあの短気な国王が珍しく怒りもせず、カレンは部屋へ食事を運ぶよう指示されたが、その食事にもいっさい手をつけていない。
それをまた国王に報告すると、今度は「具合が悪いのだろうか」と、心から心配そうな顔をした。王后陛下や王女殿下が体調を崩しても、顔色ひとつ変えない人なのに。
「後で様子を見にいこう」
王后陛下に聞こえないように国王は小声で言ったが、いつのまにかそばに来ていたアイリーン王女が耳ざとく聞きつけて国王の上着をつかんだ。
「お父様、私も行きたい」
国王は、一瞬困った顔をした。
「きれいなお姫様を私も見たい」
「明日まで待ちなさい。お姫様は具合が悪いらしい」
具合が悪いのではなくただ怠惰なだけだろうと思いながら、髪を直し終えたカレンはボソッとつぶやいた。
「ですからお風呂を済ませておけばよかったのに……」
着替えも入浴もさせられなかった自分は、後できっと叱られるだろう。
「なんで?」
鏡に映った顔にいきなり問いかけられて、カレンは思わず口ごもった。
「な、なんでって……」
純真無垢に見えたその顔に、次の瞬間妖艶な笑みが浮かんだ。
答えられるものなら答えてみろと言われたような気がした。
そして、ノックもせずに国王が入ってきた。
「ねえ、お姫様はいまどこにいるの?」
アイリーン王女は髪をとかしてくれている侍女に問いかけた。
「お姫様? ここにいらっしゃるじゃないですか」
「違う、今日来たきれいなお姫様よ」
「アイリーン様の方がおきれいですよ」
「あんなきれいな顔見たことないってヘンリーおじ様が興奮して言っていたわ。しかもそのお顔に昨日はひどい傷痕があったのに、それが魔法でなくなってしまったんですって。私も早く見たいわ、そのお顔」
「三階の南端の客室ですよ。明日にはお会いできるんじゃないですか。さあ、もうお休みにならないと」
「食欲がないのか?」
侍女を下がらせ、手つかずの食事に目をやりながら国王は言った。
そしてソファに座っているフランシスの方へ歩み寄ってくる。
「ええ」
国王が隣に座ると、その顔は見ずにフランシスは答えた。
本当は空腹だったが、この部屋になるべく早く来る口実を国王に与えたかった。いつまでも帰ってこない自分たちを、マリオンたちはどう思っているか……。
「元気を出しなさい」
さりげなく、肩を抱いてきた。
「あなたのことが城中の噂になっているらしく、聞きつけた娘があなたに会いたがっている。きっといい話し相手になるだろう。だがその前に、あなたはまず言葉遣いを直しなさい」
フランシスは国王を見た。
「『僕』ではなく、『私』と言ってごらん」
「なぜ?」
「なぜって……」
国王は困惑した顔をした。
さっきまでの心細げな少女の仮面を脱ぎ捨て、フランシスはまるで見下しているような視線を国王に向けた。
「娘が真似をしたら困る」
「娘が大事?」
「あ、当たり前じゃないか」
言葉に怒気をはらんできた。
(どうぞ、好きなだけ怒れ。僕ももう演技はしない)
あとは仕上げをするだけだから。
「娘が大事なら、僕の言葉遣いよりこの国の未来を心配しないと」
「なんだと?」
「陛下。僕が自分の顔を切った剣が、どこから出てきてどこへいったか気にしてましたよね。種明かししましょうか?」
そしてフランシスは、胸元に手を入れて木片を取り出した。
「簡単なんです。ただ、呪文を唱えるだけ。こんなふうに……。デラ……ボルデ……ルモア……」
状況の理解が追いつかず、国王は眉間にしわを寄せた。
「グラディウス」
呪文が終わると同時に、国王は驚愕の表情で立ち上がり、後方へ飛び退った。
「嘘をついてごめんなさい。本当は、守ってくれる男なんかいらないんです」
現れた光の剣を握りしめ、フランシスも立ち上がった。
「僕には、マリオンがいるから」
そしてわずかな躊躇もなくその剣を振り下ろす。
しかし、国王の体がゆらりと倒れて開けた視界の先に見えたものに、今度はフランシスが驚愕した。
少女が、口を半開きにして立ちつくしていた。
「ねえ、おじさん、僕が飼っている鳥が逃げ出して、中に入っちゃったんだ」
眠そうな顔で立っている衛兵に、ショーンは門扉の外から話しかけた。
フランシスの帰還、あるいはロビンの迎えをじっと待っていられるほどのこらえ性は、ショーンにはなかった。しかも、偵察役にはもってこいのクリストファーがいるのに。
「僕らが行ったって何もできないよ」
クリストファーは恐る恐るといった感じでショーンを止めようとしたが、言葉でかなうはずはなかった。
「お前、フランシス様が心配じゃないのか!?」
「そ、そりゃ僕だって、フランシス様のほくろを見られるようなことになったらどうしようって……」
「ほくろ?」
「あ、い、いや……」
「なに言ってんだ、お前」
「でも複数いる方が危険だって、フランシス様が……」
意味不明な言葉のあと、クリストファーは慌てて話をそらした。
「安心しろよ。ただ偵察するだけだ。お前がいるのにただ指くわえて待ってるなんてアホじゃないか」
「結局僕がやるのか」
「仕方ないだろう。飛べるのはお前の方なんだから」
しかし、やはりショーンもじっとしてはいられなかった。
「門番だけでも倒しといてやろう」
王宮までやってくると、そう言ってクリストファーを門扉の向こうへ飛んでいかせた。
「飼われている鳥なら勝手に戻ってくるだろう」
衛兵は面倒そうに言った。
「おじさん、知らないの? 鳥は夜になると目が見えないんだよ」
そして衛兵が反論の言葉を探しているうちにたたみかける。
「食べ物を盗んだり、そこら中に糞をしたりするいたずらっ子なんだ。朝がくる前に連れて帰らないと……」
ショーンの言葉が終わらないうちに、クリストファーがピーッと鳴いた。
「あ、ほら、いた! 早く捕まえて、おじさん!」
「俺が捕まえられるわけないだろう」
衛兵は渋々門扉の鍵を開けた。
「早く捕まえて連れて帰れ」
ショーンは、ポケットから木片を取り出して呪文を唱えた。自分の名演技もフランシスに負けてないだろうと得意になりながら。
しかし、突然現れた光の剣に腰を抜かしそうな様子の衛兵の顔を見たとき、すんでのところでショーンは振り上げた剣を持つ手を止めた。
さすがに、だまし討ちなんかしたら寝ざめが悪い。
自分を信じてくれた衛兵に情けをかけて、そして無用な殺人はしないフランシスに倣って、ショーンはただ彼の腹に思いきり膝蹴りを食らわせ、倒れてきたタイミングでその首の後ろに剣の柄を打ちつけるだけにとどめた。
そして気を失った体を引きずり、生い茂っている庭木の陰に隠す。
「完璧だ……」
ショーンは自画自賛した。
その肩に小鳥が止まる。
「俺、ちゃんとフランシス様の右腕になれると思わないか? クリス」
そのとき、にわかに宮殿の方が騒がしくなった。
「王女が逃げた!」
「陛下が殺されたぞ!」
「まだ遠くへは行っていないはずだ!」
「出口を固めろ!」
その喧騒を、感動と戦慄の入り混じったような思いでショーンは聞いた。
「やり遂げたんだ……」
だが、立ちつくしている場合ではなかった。
「ここだ! ここに怪しい奴がいるぞ!」
気絶しているとばかり思っていた衛兵が、起き上がって叫んでいた。
きれいなお姫様は、父の背中が邪魔で見えなかった。
細くあけていた扉を、アイリーンはもう少し開いてみた。
侍女たちは自分をきれいだと言うけれど、それがお世辞だということをアイリーンはよくわかっていた。自分は、色黒で目が細くて鼻が大きい父親にそっくりなのだから。
その父の体が、なぜかゆっくりと倒れた。
「お父様?」
お姫様の顔がはっきりと見えた。
(きれい……!)
アイリーンは瞬きも忘れて立ちつくした。
あんな長いまつ毛が欲しかった。
あんな大きくて湖のような青い目になりたかった。
あんな可愛らしい鼻と唇が自分のものだったら……。
そしてあんな白い……。
白い肌に、なぜか赤い斑点がいくつもあった。
よく見ると、ピンクのドレスにもおかしな赤い模様がついている。
その模様がしずくのように流れて落ちる。
それでもきれいな顔が、驚いた表情で自分を見ていた。だがすぐに後ろを向いてしまう。
手に、キラキラ光るきれいな剣を持っていたように見えたのだが、それがいつの間にか消えている。目の錯覚だったのだろうか。
いや、そんなことより、お姫様がどこかへ行ってしまう!
窓を開けてその向こうへ飛んでいってしまう!
(私が驚かせたから)
「待って!」
部屋に飛び込んだアイリーンは、やっと赤いものの正体に気づいた。
真っ赤な血を胸から流していた父は、その目も口も開いたままじっと天井を見ていた。




