第八話
20分ほど歩いた先に小高い丘があり、そこを登ると小さな教会が見えた。
入口の所に白馬がいるのを見て、マリオンはホッと息をついた。
「ここでお待ちになっていてください」
「いや、一緒に…」
「お待ちになっていてください。いえ、もうお帰りください」
ついていこうとするマリオンを、マーサは思いのほか強い力で押しとどめた。
「フランシス様は、殿方にはお会いしたくないと思います」
「わかった。遠くから無事な姿だけ見届けるよ」
そう言ってマリオンは、カイルを伴って近くの大木の後ろに身を潜めた。
それを何度も振り返って確認しながら、マーサは教会の中へ入っていった。が、五分も経たないうちに一人で出てきた。
マリオンは怪訝そうに歩み寄る。
「裏の墓地にいらっしゃるそうです」
「墓地?」
「ジュリアン公爵様のお墓がございます」
「なるほど。さすがマーサだな」
おだてても、マーサは少しも嬉しそうな顔をしなかった。
「こことオリバー様のところ以外に、フランシス様の行きそうな場所は思いつきません」
「フランシスは公爵を慕っていたんだな」
「国王陛下はお忙しい方なので、陛下よりも多くフランシス様に会いにきてくださいました。剣術やいろいろなことを、フランシス様に教えてらっしゃいました」
マリオンは、幾度か会ったことのある金髪の美丈夫を思い出していた。
フランシスがもしも本当に男の体になったらあんな風になるんじゃないかと思えるほど、整った顔をした戦士だった。
「ブランカは…」
マーサは白馬を振り返った。
「ジュリアン様の忘れ形見です」
「そうだったのか」
「フランシス様は、ブランカを遺して死んだりしません。絶対に!」
力弁するマーサに気圧されながら、マリオンは苦笑した。
「だから安心してお戻りください、マリオン様!」
「いや…」
「お戻りください!」
「わかった、わかったよ」
マリオンは両手を前に出して、マーサをなだめようとしながら後ずさりした。そしてカイルを促して踵を返す。
数歩あるいて振り向くと、マーサがまだこっちを見ていた。
にこやかに手を振って、速足で進む。が、もう一度振り向くと、マーサの背中が教会の裏へ消えていくところだった。
マリオンは足音を立てずに、それでも速足でその背中を追った。
「殿下!」
「しっ! 大声を出すな」
呼び止めようとしたカイルを睨んで、マリオンは忍び足でさらに進んだ。
教会の建物に半身を隠して、マリオンはそっと墓地の方をうかがった。カイルもそれに倣う。
いくつか並んでいる白い墓石の中のひとつの前で、今日も白いシャツを着たフランシスが佇んでいた。
マーサが駆け寄ると、驚いて振り向く。
遠くてよく見えなかったが、もう泣いてはいないようだった。
「まだアレが欲しいんですか、殿下」
カイルがボソッと聞いてきた。
「ああ、欲しい」
悪びれずにマリオンは答えた。
あまりにストレートな返答に、カイルは面食らっているようだった。
「パトリシア様はどうするんですか?」
「なんとかする」
「なんとかって…。それに、投げ飛ばされて平手打ちされて、次は殺されるかもしれませんよ」
「はは、そうだな。本当に命を賭けないと、手に入らないかもしれないな」
「笑ってる場合ですか」
カイルへの返答など適当にして、意識のほとんどを墓地の方に向けていたマリオンの視線の先で、マーサが顔を覆って泣き出した。
(あんたが泣いてどうする)
心の中でぼやいた時、フランシスの口元がほころんだ。
マーサが泣いたことが、逆にフランシスをしっかりさせたのか。彼女の肩をつかんで、一生懸命励まそうとしている。
「なんて可愛い顔で笑うんだ」
「え?」
見上げてくるカイルを残して、マリオンは墓地の方へ歩き出した。
(駄目だ、我慢できない)
「殿下!」
その笑顔をもっと近くで見たかった。
「殿下、駄目ですってば!」
「やあ、フランシス」
必死に止めようとするカイルの囁き声などかき消して、マリオンは朗らかに手を上げながら歩み寄った。
「偶然だな、こんな所で会うなんて」
白々しい台詞を言うマリオンに、マーサは抗議の目を向け口をパクパク動かしたが、声は出てこない。
フランシスは驚いていた。もちろん、もう笑顔はない。だが、一日会わなかっただけでまたひときわ美しくなったように見えた。
(本当の女になったからか?)
見惚れてしまいそうな自分を心の中で叱責して、マリオンは白い墓石と向き合った。
「ジュリアン公爵の墓参りに立ち寄ったんだ」
そして手を合わせると、目を閉じた。
(公爵、フランシスのことは俺に任せてください)
予定外の墓参だったが、そんな言葉が自然と心に湧いた。
そして目を開け、フランシスと向き合った。
「お前の母君のお墓もここにあるのか?」
「いえ」
表情は、相変わらず警戒心の塊だった。
「おじいさまの所に」
「そうか。それはしくじったな。あそこを発つ前にお参りさせてもらうんだった。なにせ腰が痛くて動けなかったから」
王族の墓には入れてもらえなかったのかと思いながらそう言うと、フランシスはうつむいた。
恨みがましく聞こえただろうかと思って、マリオンは少し慌てた。
「いや、あのことはもう忘れよう。ちゃんとお前のおじいさんに治してもらったしな。お前を逮捕するなんて言ったのも、もちろんただの冗談だ」
そしてマリオンは、顔を上げようとしないフランシスをのぞき込んだ。
「なあ、フランシス、男同士、少し話さないか? 城へ帰ったらまたしゃべれないふりをしなきゃならないんだろう? 今のうちに…」
「いえ、もうお戻りにならないと」
マーサがマリオンの言葉を遮った。
「フランシス様は、朝から何も召し上がってないんです」
(そう言えば、そんなことを叔母上も言ってたな)
夏の太陽も、そろそろ傾き始めていた。
「じゃあ歩きながら話そう」
四人は歩き出したが、マリオン以外は皆かたい表情をしている。
教会の前でフランシスが白馬の方へ歩み寄ったとき、マリオンはカイルに目配せした。それだけで彼にはわかったようだ。
「マーサさん、夕食の準備やら何やら大変でしょう? ぼく手伝いますから急ぎましょう」
「いえ、でも…」
心配そうにフランシスを見るマーサの手を、カイルは強引に引いた。
「今夜の献立は何ですか? 外国の料理を食べられるの、すごく楽しみなんですよ」
有無を言わせずマーサの手を引いていく部下の手柄に心の中で喝采を贈りながら、マリオンは白馬に乗ろうとしているフランシスの手を背後から掴んだ。
「歩きながら話そうと言ったろう?」
そしてマリオンは、品定めでもするように自分を見ている白馬の腹を、軽く叩いた。
「賢い馬だったよな。勝手についてくるだろう」
「なぜ…」
背を向けたまま言った後、フランシスは振り向いた。
「なぜ僕につきまとう」
睨みつけてくる。
「つきまとってなどいない。ここで会ったのは偶然だと言ったろう。それに、俺はお前の姉君の婚約者だ。その父親があんな体になってしまったんだ。送り届ける義務がある。息子のお前がついていたら、まっすぐ国へ帰ったかもしれないが」
先に帰ったフランシスをちくりと責めてみた。
案の定すこし反省したようで、フランシスは黙って手綱を引きながら歩き出した。
「だが、まあ、つきまとっているわけではないが、お前のおじいさんにいろいろ聞かされて、俺なりにお前のことを気にはなっていた」
そして黙っている横顔をみつめた。
「全部かどうかはわからないが、お前の秘密は聞かせてもらった」
フランシスの足が止まった。
「あの湖でお前を見たのはもちろん偶然だ。だけど、それが信用できる男だったから、お前のおじいさんは俺に打ち明けてくれたんだ。もしもお前たちに害を及ぼす人間だと判断されたら、俺も部下のカイルも、口封じのために殺されていただろう。お前のおじいさんには、きっとそれだけの力があるよな?」
問いかけたが、フランシスは押し黙ったままだった。
「お前のおじいさんが見込んだ男を、お前も信じてくれないか?」
まだ黙っている。
すんなり自分を受け入れられない理由は、マリオンにもわかっている。
フランシスの不幸の原因を作ったのが、マリオンの身内であるということ。そして…。
「キスしろなんて言ったことは謝る。投げ飛ばされたことが悔しかったし、お前があんまり生意気だから、懲らしめたくなったんだ。でもそれは…」
こっちを向け!と念じながら、マリオンはフランシスの肩に手を置いた。
「お前があんまりきれいだから」
それでもフランシスは視線を合わせず、さらに怒ったような顔をした。
(きれいだと言われて、こんなに不愉快そうな顔をする女がいるのか)
「なあ、フランシス。こうは考えられないか? 女は誰でもきれいになりたい。男は誰でも強くなりたい。お前はその両方を持っているんだ。その幸運を楽しまない手はない。戦いたければ戦えばいい。でもそうじゃない時は、きれいなドレスを着て、宝石を身に着けて、ダンスやらお茶会やらを楽しめばいい。まずは、しゃべれないふりはやめろよ。せっかく姉さんができたんだ。おしゃべりしたいだろう?」
「大っ嫌いだ」
吐き捨てるように言ったその言葉を、マリオンは思わず聞き返した。
「え?」
「大っ嫌いだ! この顔も、この声も、この体も、何もかも!」
やっとこっちを見たその顔は、やり場のない怒りをマリオンにぶつけてくるようだった。
「着飾ってダンスすることがそんなに楽しいなら、あなたがやればいいだろう?」
「フランシス、そんなことを言ったら亡くなった母君が悲しむぞ」
今度は両肩を掴んだ。
青い瞳が焦点を失ったように揺れた。「母」という言葉は、動揺させるには十分だったようだ。
「お前の母君は、命を賭けてお前の体を女の子にしたんだ。お前を守るために。お前を幸せにするために」
「幸せなんかじゃ…ない」
揺れている瞳にしずくが浮かんだ。
「わかったような口をきくな。あなたに何がわかる。僕は…」
最後まで言わせずに抱きしめていた。
「ならば、俺が幸せにしてやる」




