第二十五話
(なにが、女だと思うな、だ……)
心の中でぼやくショーンの腕の中で、フランシスは静かな寝息をたてていた。
(こんなにフェロモンを垂れ流しやがって)
「薬で眠らせたことにするんだから、眠かったら寝てていいわよ」とロビンが言ったら、フランシスは本当に眠ってしまった。
「妊娠の初期症状かもしれないわね」
呆れているショーンにロビンは苦笑しながら言うと、巻いていたショールを取ってフランシスの肩をくるんだ。
馬車から降ろすためにショーンが抱きかかえたときだけ薄目をあけたが、すぐにその腕に身をゆだねてきた。
その少しも緊張していないらしい度胸の良さに舌を巻きつつ、それとは裏腹にその体の細さ、軽さ、やわらかさに、ショーンは戸惑いを感じずにはいられなかった。
故郷にいるガールフレンドはグラマラスな体型をしていて、ショーンはそれが気に入っていた。それとは正反対のこの華奢な体のどこに、あの男たちを圧倒する強さがあるのか。
せめて、よろけたりつまずいたりしてこの体を落とすようなことだけはしないようにと、ガチガチに緊張しながらもショーンは気をひきしめて歩いた。
「私が全部しゃべるから、あなたはよけいなことを言わないようにね」
隣を歩くロビンがくぎを刺す。
「しゃべれって言われたってしゃべらないよ」
執事らしい男に謁見の間に通され、ソファに座って待っているあいだも、ショーンはフランシスを抱きかかえたままでいた。自分の胸に押し当てている寝顔を見ていると、信頼してくれているのだなと嬉しくなってくる。このままどこかへ連れ去ってしまいたいような気持ちになった。
だがその幸せな時間もつかの間だった。
ドカドカと大人数の足音が響いたかと思うと、10名ほどの男たちが部屋に入ってきた。
二人は立ち上がり、深々とお辞儀をした。
おそらく、一番先頭にいる、一番若く見える男が国王なのだろう。
少し興奮しているような、紅潮した顔をしていた。
「念のため、薬で眠らせてます」
ロビンが言うと、国王は歩み寄ってきた。
「顔が見たい。本当にあの傷が治ったのか」
ロビンが近づいてきてフランシスの腕に触れた。
「フランシス、起きなさい。陛下がお顔を見たいそうよ」
フランシスは薄目を開けた。
そしてまだぼんやりした表情のまま、ゆっくりと国王の方へ顔を向ける。
国王は口を半開きにして、目を大きく見開いた。まるで雷か何かに打たれたかのように、呆然と立ちつくしている。
落ちたな、とショーンは思った。
マリオンは、涙がこぼれ落ちる前に急いでぬぐうと、近くの椅子に腰かけた。
「誰か……何かいい案はないか……」
しぼり出したような声で言う。
「確かにこの人数で行っても、何もできないまま全員殺されて終わりだ。フランシスを助けるどころか、あいつのやろうとしていることをぶち壊しかねない」
「人数が多ければいいんですか」
聞きなれない声に、マリオンは顔を上げた。
兵士らしい男が近づいてきた。隅で話を聞いていたらしい。
「もしも協力したら、どんな報酬をもらえますか」
訝し気な視線を向けたマリオンが何かを言う前に、兵士はさらに言葉を重ねてきた。
「伯爵様が死んでしまった以上、この家はもう終わりです。伯爵様の魔力があったからこそ、この地位を維持できたんですから。ですが、我々は次の勤め先をそう簡単にはみつけられそうもない。この国はいま、失業者であふれかえっているんです」
「兵士はまだいいよ。俺たちなんか……」
料理人らしい男がぼやいた。
「たとえ働き口がみつかったとしても、俺はもう、この国のために戦いたくない」
「何が望みだ?」
昏い目で言う兵士に、マリオンは問いかけた。
「アステラに連れて行ってもらえませんか。バルトワでもいい。失業者だけじゃない。麻薬中毒者まで増える一方で、この国にはもうろくな未来はないと思う」
「あいにく、お前たちが全員仲間になってくれたとしても、王宮の兵隊たちから見たら、ただうるさいハエが飛んできたくらいにしか思われないだろう」
「仲間はもっといるんです。いつか革命を起こそうと、ひそかに集まって力をたくわえている仲間が……」
「おい!」
さすがに極秘情報だったらしく、別の男がその兵士の腕をつかんだ。
だが兵士はひるまなかった。
「今こそ、決起するときじゃないか!? バルトワの王子様が総大将になってくれるなら!」
兵士たちは顔を見合わせる。
「俺も行く。あのお姫様がいつか治める国に、俺も行ってみたい!」
「俺も!」
「俺も!」
「おい、ちょっと待て」
興奮状態に見える兵士たちを、マリオンは慌てて制した。
「アステラに帰る道は、現状ないんだ。そう簡単に行けると思うな」
「また爆破すればいいんです。ダイナマイトで」
マリオンは口をあけたまま固まった。
「あるのか? ダイナマイトが」
「ここの倉庫にあったものを、こっそり革命軍の秘密基地に移してあります」
マリアンはさらに唖然とした。
「信用できるのかできないのか、わからない奴らだな」
「武器の管理をしていた騎士団長を先日伯爵様が殺してしまったので、もう放置状態だったんです。伯爵様も、フランシス様がここに来てからは心ここにあらずで、そんなことには一切関知していませんでした」
「おかげで基地の武器もずいぶん増えたよな」
「今から何人集められる?」
マリオンは身を乗り出して問いかけた。
「頑張れば、50人は……」
マリオンは仲間たちを振り向いた。
「どう思う?」
「殿下、戦わなくていいんです」
カイルが言った。
「ただ、バルトワ軍が攻めてきたんだと錯覚させれば……」
「そうです。フランシス様が国王を討つことさえできれば、トップの命令もなしにバルトワに逆らうような暴挙は、きっとできないでしょう」
アステラの騎士団長のフィリップが言った。
「そしてフランシス様は、必ずやり遂げるはずです」
「アーロン! ルイス!」
ロベルト国王は、側近の名前を呼んだ。
「お前たちは私と一緒に、怪我をした王女の顔を見ているよな! そのときの様子をここにいるみんなに教えてあげろ!」
二人の側近は顔を見合わせたあと、国王の後ろで立ち尽くしている重鎮たちの方を向いた。
「それはそれはひどい傷で……、顔を、こう、斜めに切り裂いたらしく……」
「左目は完全につぶれていました。とても……、この方と同一人物だとは……」
「それを見たのはいつだ?」
側近たちの説明が終わらないうちに、さらに国王は言った。
「昨日です」
「つい昨日そんなひどい傷を負っていたのに、なぜこんなに跡形もなく治ったと思う? アステラにいる彼女の祖父が治したんだ。神の手を持つと言われている魔術師だ。そしてその魔術師をこんな短時間で連れてきたのが、ファーガソン伯爵だ! そうだな? ロビン」
「はい」
ロビンがうなずく。
「いったいどこの誰だ! デヴィッドの魔力が衰えたなどとおかしなことを言っている奴は!」
国王が興奮状態でまくしたてているあいだ、フランシスは全然違うことを考えていた。
ショーンの煩悩などつゆ知らず、フランシスは自分には色気のかけらもないと思っていた。だから違う手段で男を陥落しなければならない。
思いついた武器は涙だった。
(どうすれば涙が出るだろう)
さっき見た飢えた男の子が、もしも自分の子供だったらと想像してみたが、うまくイメージが湧かない。
(僕の子は、きっと女の子だから)
そして、人生で一番悲しかったときのことを思い出してみた。
それは、大好きだったジュリアン公爵が亡くなったとき。
森へ訪ねてきてくれた叔父が帰るとき、いつも自分は言った。
「今度会うときは、僕はきっと男の子になってる」
「それは残念だな」
叔父は笑いながら言った。
「フランシスはきっと、絶世の美女になれるのに……」
叔父はきっと、自分に亡き母の姿を重ねていたのだろう。
想う人が、ほかの人を好きだというのは、どんなに切ないだろうか。
そこまで考えて、自分はショーンにずいぶん冷たい態度をとってしまったのではないかと反省した。
「ショーン、僕をおろせ」
フランシスは小声で言った。
だがショーンはおろすどころか、抱いている手にさらに力をこめてきた。
(前言撤回)
そう思いながら、彼の腹を思いきりつねった。
「痛っ」
小声でうめきながら、ショーンはやっとフランシスの体をおろした。
一度立ったあと、すぐによろめいて転び、床に両手をついた。
「フランシス様!」
ショーンが驚いてひざまずき、背後から肩をつかんできた。
国王も近づこうとしたが、それを側近が制した。
「陛下、むやみに近づかない方が……」
「まだ眠り薬が切れてないんです」
やはりひざまずいたロビンがフランシスの様子を見ながらそう言うと、国王の方に顔を向けた。
「この子の祖父を人質として拘束しています。だからおとなしくしているはずです」
国王は側近を押しのけ、近づいてきた。そしてフランシスの前でしゃがみ込む。
「大丈夫ですか、王女殿下」
その手がフランシスの腕に触れた。
(この男が、叔父様を殺した)
直接手を下したわけではなくても、国家のためという大義名分があったとしても、この男の指示がジュリアン公爵の命を奪ったのだ。そして父を半身不随の体にした。
(幸せになるんだよ、フランシス。ママの分まで)
叔父の声が聞こえた気がした。
(せめて、僕が産んだ子を抱かせてあげたかった。きっと、母上によく似た女の子なのに)
フランシスは顔を上げた。
「おじ……さま……」
涙がこぼれ落ちた。
「なんて?」
その涙に困惑した表情で、国王は首を傾げた。
「たすけて……」
フランシスは手を伸ばして国王の腕をつかんだ。
そしてショーンの手を振り切り、その胸にしがみつく。
「僕のおじい様を助けて」
さらに戸惑った顔をしながらも、国王はその背に両手を回した。
顔が紅潮している。
「わかった」
そしてロビンの方を見る。
「すぐに迎えを行かせる」
「恐れながら、陛下」
ロビンはしゃがんだ姿勢のまま言った。
「この子は、この子の祖父と心で会話ができます」
「心で会話?」
「頭が切れるオリバー・ブロンテを、この子のそばに置くことは危険です」
打ち合わせ通りの答えをロビンは言った。
「なにか知恵を授けるかもしれません」
しばらく黙っていた国王は、やがてフランシスの両腕をつかんで自分の胸から離し、その顔を覗き込んだ。
「……だそうだ。だが心配はいらない。昨日の約束通り、あなたが私の右腕になってくれるなら、あなたのおじいさんの無事は私が保証するし、時々は会うこともできるだろう。すべてはあなたの行い次第です。あなたのおじいさんも、そしてあなたのおなかの子も……」
フランシスは、その顔をじっとみつめた。
「なんでもする」
国王の顔はさらに紅潮し、その目が不安定に揺れた。
「おじい様のためなら……。そして、この子のためなら……」




