第二十四話
突然馬車が急停車して、ロビンは椅子から転げ落ちそうになった。
隣でうとうとしていたフランシスに目をやると、彼女も目を覚ましてこちらを見ているが、まだ眠そうな顔をしている。
昨夜やはりほとんど寝ていないのだろうが、こんなときに眠れるなんてなんて図太いのだろうと感心しながら、ロビンはフランシスに声をかけた。
「大丈夫?」
「着いたの?」
「ちょっと見てくるわ」
馬車から降りると、フランシスもついてきた。
「危ないぞ!」
「轢き殺されたいのか!?」
罵倒する男たちの視線の先、自分たちの馬車の前で、一人の女がうずくまっていた。
「薬……薬をちょうだい……」
「頭がおかしい女らしい」
御者台から降りてきたショーンが言った。
「いくらでもやらせてあげるから……誰か……薬を……」
「ほら立て! どこかへ行け!」
三人の男に引き立てられて、女は通りの反対側へ連れていかれた。
「麻薬中毒ね。最近後を絶たない……」
誰かに手をつかまれて、ロビンは言葉を途中で止めた。
「おばさん、何か食べ物をください」
薄汚れた顔のやせこけた男の子が、ロビンをじっと見上げていた。
「靴磨きでも、なんでもするから。もう何日も食べてないんだ」
「ごめんなさい、今日は何も持ってないの」
そのロビンの隣で、フランシスが腕時計をはずした。
「あげられるものはこれしかないけど、きっと高く売れると思う」
目を輝かせている男の子に渡そうとする手を、ロビンはつかんだ。
「施しを始めたらきりがないのよ、フランシス。飢えているのはこの子だけじゃない」
「でも少なくとも一人は救える」
「大事な時計だったんじゃないの?」
この時計を渡したとき、フランシスが泣いたのをロビンは覚えていた。
「この子にとっての食べ物ほどは大事じゃない」
そしてフランシスは、男の子と目線を合わせるためにしゃがんだ。
「ひとりで質屋に行ける? それとも、誰かお金持ちそうな人に買ってもらって……」
「待って」
ロビンもしゃがんだ。
「裏通りの郵便局の向かいにある『スワロー』っていう食べ物屋を知ってる? そこにこの時計を持って行って、何か食べさせてもらいなさい。ロビン・ファーガソンと一緒にいたきれいなお姉さんにもらったって言えば、きっと食べさせてもらえるわ。私も後で行くから」
「ロビン……ファーガソン……」
「もし忘れちゃったら、顔に痣があるおばさんって言えばいいわ」
「ロビン・ファーガソンおばさん……。覚えた」
フランシスは、その小さな手に時計を握らせた。
「ありがとう」
そして男の子は、一目散に走っていった。
「あんな高級な時計を持っていたら盗んだとしか思われなくて、警察に突き出されたかもしれないわ」
「あの時計……あのときの……」
つぶやいたショーンに、フランシスは笑いかけた。
「そう。パトロンにもらった時計」
複雑な顔をしたショーンが何か言う前に、フランシスは馬車の扉を開けた。
「さあ、急ごう」
馬車に乗りこみ、やがて動き出すと、フランシスはロビンの顔は見ずに言った。
「伯母様、僕は今まで、何人も人を殺しました。少しもためらわずに……。でも、伯母様の邸では、一人も殺せなかった」
ロビンはその横顔をみつめた。
「それは、彼らに少しの恨みもなかったし、彼らからも悪意を感じられなかったからでもあるけど、これから、今までで最高の敵の元へ向かう今でも、僕の中にはやはりためらう気持ちがあった。それは……僕がもうすぐ親になるから」
そしてロビンの方へ顔を向けた。
あえて艶っぽく見えるような化粧を施したつもりだが、その顔にはやはりまだ少女のあどけなさや、母親譲りの清純さの名残があった。
「この人にも子供がいると……、その子の親を奪うことへのためらいを、僕は振り切れるかどうか、少しだけ不安だった。でも、その不安はもうなくなりました。あの麻薬中毒の女性を見て……。そして、飢えている小さな男の子を見て……。僕はやはり、あの国王を討つべきだと」
「そうね。間違った親なら、いない方がましかもしれないわね」
「あの国王の後継者は?」
「去年やっと待望の男の子が産まれたそうだけど、その子の心配はあなたがすることじゃないわ。本当はもう少しまともな弟がいたんだけど、この国の行く末を心配した一部の有力者がその弟を立てて反乱を起こしたけど失敗に終わって、弟は実の兄の手で殺されたわ。そういった反乱を二度と起こさせないために、そして自分の力を盤石にするために、国王はアステラから魔術師を連れてこようとしたんでしょうね。デヴィッド一人では満足できずに」
ロベルト・バースティン国王は、首脳陣たちを集めて定例会議を開いていた。
「麻薬の製造をもっと強化させろ。近いうちに、アステラに売人を潜入させる。あの国を、内側からつぶしていく」
いつもどおり有無を言わせぬ口調の国王の言葉を聞きながら、ヘンリー・ウォートン公爵は沈鬱な気持ちになった。
(その前に、この国が内側から腐ってしまうのではないか)
ブレストン王国を侵略して麻薬製造の技術を手に入れてから、まるで坂道を転がるようなスピードであの悪魔の薬は国中に浸透し、中毒患者が後を絶たなくなっている。他国を巻き込むことよりも、まずその現状をなんとかすべきではないのか。
ここに集まっている国の重鎮たちの大半は、おそらくウォートン公爵と同じような危惧を感じているはずだが、誰も口にはできずにいた。
それでも、この暴君を多少なりとも諫める力があるのは、国王の従兄弟にあたる自分だけだろうと思いながら、公爵は勇気を振り絞って言った。
「恐れながら陛下、それではさすがにバルトワが黙っていないのでは……。わが国にはまだ、あの国に対抗できるほどの軍事力はないと思われます」
「だからその軍事力をアステラから奪うんだ。そうすればバルトワも怖くない。我々には、大陸最強の魔術師がついている。そして近いうちに、大陸最強の戦士も我が軍に迎えられるはずだ」
「恐れながら陛下」
軍隊長のジョージ・カーターが口をはさんだ。
「ファーガソン伯爵の魔力は、衰えているという噂を耳にしました」
「ばかな。誰がそんなことを……」
「ファーガソン邸の兵士たちが言っています。昨年の、アステラとの戦いの敗戦以来、一度も大鷲に変身する姿を見ていないと」
「元々あの男は、鳥の姿を見られるのが嫌いなんだ」
「夫人の顔の痣を消そうとしないのも、そのせいだと……」
「もう妻の顔などどうでもいいんだろう。なんせあの男は、自分の子供くらいの年の少女に……」
笑いながら言う国王の言葉が終わらないうちに、会議室の扉がノックされた。
「失礼いたします」
入ってきたのは執事だった。
「国王陛下、ファーガソン伯爵夫人がいらっしゃいました」
あまりのタイミングに、全員が唖然とした顔をした。国王までも。
「アステラのフランシス王女を連れてきたと」
国王は思わず立ち上がっていた。
その豹変したような様子に、再び全員が目を丸くする。
「顔は……。顔を見たか?」
「は、はあ、眠ってらっしゃいましたが、それはそれはきれいなお顔で……」
国王の顔が変な形にゆがんだと、ウォートン公爵は思った。
だがそれは、笑っているのだとすぐにわかった。こんなにも嬉しそうな顔をした国王を見たことがないと公爵は思ったが、なぜかその笑顔に恐ろしさを感じた。
「全員、私についてこい。お前たちに見せてやろう。アステラの魔術師の凄さを」




