第二十三話
「そうじゃないんです、殿下」
ギルバートは、弱々しい声で言った。
目の前で苦しんでいる人を見て、これ以上隠し続ける罪悪感に耐えられなかった。
「フランシス様は、一人で行くつもりだったんです。でもそれを、ファーガソン夫人にみつかって……。パティの弟の見舞いに行くことにした方がいいと彼女が提案して……。だから御者が必要だったんです。それでショーンが……」
「御者?」
マリオンは厳しい眼差しでギルバートを見た。
「御者なら夫人がやればいいだろう。わざわざショーンがついていかなくても」
「夫人は、馬車の中でフランシス様に化粧しなければならなかったから……」
「化粧?」
マリオンの眼差しはさらに強くなった。
ギルバートは思わずたじろいだ。失言だったかもしれない。
「なんで化粧なんかする」
「それは……」
ギルバートはうつむいた。
「ギルバート、俺だってバカじゃない。デヴィッド・ファーガソンが死んだのに、それでもまだフランシスが行かなければならない場所、立ち向かわなければならない相手がいるのなら、答えはひとつしかないだろう。そして御者はお前じゃ駄目だったんだ。お前はそこの奴らに顔を見られているから。そうだな?」
そしてうつむいているギルバートの返事を待たずに、マリオンは振り向いて声を張り上げた。
「カイル! ビリー! フィリップ! みんな集まれ! これから王宮に行く!」
「ま、待ってください、殿下!」
ギルバートはマリオンの腕をつかんだ。
「僕の判断は間違っていたかもしれないって悩んだけど、そうじゃなかったって理事長の言葉を聞いて思いました! フランシス様は、複数いたら犠牲者が出る危険性があると言っていました。その人たちを守らなければならない負担を抱えたくないって。理事長が言ったとおり、ほかの人間はフランシス様には足手まといなんです。一対一なら絶対負けないって、フランシス様は……」
マリオンは腕を振り払った。
「この国の国王と一対一になるために、あいつは女の格好をしたんだろう?」
ギルバートは口ごもった。
「化粧をしたってことはそういうことだよな? 一対一になるために、あいつは国王を誘惑するつもりなんだ。頭のいいお前なら、それくらいわかるだろう」
「ドレスを着たのは、クリスが望んだからで、化粧をしたのも、ファーガソン夫人がその方がいいと……」
決してフランシスが自分で決めたことではなかった。
でもギルバートは確かに聞いた。色仕掛けを使うつもりなのだろうと言ったロビンの言葉を。
けれどもギルバートは、どんな手段を使おうと危険が及ぶ前にフランシスなら相手を討てるのだろうと思った。まして、光の剣という隠し持てる武器を持っているのだから。
だが、目の前のこの独占欲の強い人は、その手段そのものが許せないのだ。フランシスが危惧したとおりだった。
「まあいい。お前がどう思っていようと関係ないし、そんなことで議論している暇はない」
そのとき、マリオンの声を聞いたカイル、ビリー、アステラの騎士たちが部屋へ入ってきた。
マリオンは彼らを見回す。
「フランシスは、王宮へ国王を討ちにいった。俺たちも向かうぞ」
カイルたちは目を丸くした。
「殿下!」
ギルバートはもう一度マリオンの腕をつかんだ。
「僕は戦闘に関しては素人だけど、それでもわかります。この人数で行ったって勝ち目はない。下手したら全滅です。フランシス様は誰にも知られずに国王を討って、こっそり帰ってくるつもりなんです」
「帰ってこれなかったらどうする!? お前だってフランシスに惚れてるんだろ!? あいつがそんな危ないことをしているのに平気なのか!?」
「平気じゃないけど、でもいま国王を討たなかったらいずれ戦争が始まって、結局フランシス様は、身重の体で戦わなければならなくなるって……。だから……」
「俺がそんなことをさせるか!」
ギルバートの手を振りほどきながら、マリオンは声を張り上げた。
カイルたちだけでなく、まだ残っていた使用人や兵士たちも、ただ黙って立ちつくしていた。
マリオンはすぐにうつむき、苦しそうな声で言った。
「たとえおなかの子の父親が、ほかの男なんだとしても……」
「どういうことですか? 殿下……」
カイルが問いかけてきた。
「父親はあなたです」
ギルバートは、もう言わずにはいられなかった。
マリオンは顔を上げた。何を言われたのかわからないような顔をしていた。
「ほかの男のはずがないじゃないですか、殿下」
笑おうとしたのに、ギルバートの目から涙がこぼれ落ちた。
馬車の中で、食事をしたために落ちたフランシスの口紅をロビンは塗りなおした。その形のいい顎を手にのせ、紅筆を使って鮮やかなローズ色に塗っていくのを、ショーンは馬車の外でボーっと見ていた。
その後ろに、ケイトの店に残ることになったパトリシアが、見送るために立っていた。
「さあ、いいわ、行きましょう」
声をかけられても、ショーンはただ突っ立っていた。
「ショーン、馬車を出して」
「あ、ああ」
気の抜けた返事をしただけで動かないショーンを、ロビンは訝し気に見た。
「ショーン?」
「5分……5分だけ時間をくれませんか、俺に」
ショーンは意を決して、ロビンとその奥のフランシスを見た。
「フランシス様と二人だけで話したい」
ロビンはフランシスを振り向く。
「1分」
無表情でフランシスは言った。
「命がけで助けにきたんだから、5分くらいくれたっていいだろう!?」
「じゃあ3分」
「そんな交渉してる間に時間が過ぎるわよ」
ロビンは苦笑しながら馬車を降りた。
「3分たったら扉を開けるわよ」
そしてショーンを横目で見る。
「せっかく塗った口紅を落とさないでね」
少し赤い顔でショーンは馬車に乗りこみ、扉を閉めた。
「時間がないから手短に言うけど、まずちゃんと謝りたい。俺があなたにした数々の無礼なこと。殴ったこと」
「気にしてないよ。それは、僕が学校で正体を隠すための役に立ったと思っているから。僕だって、君を騙していたんだし」
マリオンに聞いていたのでその答えは予想できたものの、自分の行動がフランシスの心に傷痕すら残せなかったことが、ショーンは少し悔しかった。恨まれていないのならそれはそれでひと安心なのだが、それでも自分への好感度はきっと高くはないだろう。
それを覆せるのだろうか。たった3分で。
「じゃあ、ここからが本題。アステラを守るために生まれてきたって言ったよな? だったらなぜ、バルトワの王子と結婚するんだ」
ショーンはにじり寄ってフランシスの両腕をつかんだ。
「子供までつくったんだからそりゃ愛情もあるんだろうけど、でも一番は、国のためとかそういうことなんだろう? いつか男になるかもしれないと思ってたから、急いで子供をつくったんだろう? でも男にならなかったんだ。そしたら、まだこんなに若いのに急いで異国の、しかもあんな年上の男と結婚しなくたっていいじゃないか。もっと年が近い……たとえば……たとえば俺とか……」
早口でまくし立てるショーンを、フランシスは黙って見ていた。
「あなたが好きだ。バルトワなんかに行くな」
「彼女がいるって言わなかった?」
「あなたの方が大事だからここまで来たんじゃないか!?」
そしてショーンはフランシスを抱きしめた。
「ゆうべも言ったけど、マリオン殿下と決闘してもいい」
フランシスはショーンの体を押しながら離れた。
「そのくらい本気で……」
かまわずに近づけてきた唇に、フランシスは自分の手のひらを押し当てた。
「ショーン、僕の右腕になりたいなら、僕を女だと思うな」
至近距離で口をふさがれたまま、ショーンはそのきれいな目に射すくめられたように動けなくなった。
「僕を女として扱っていいのは、おなかの子の父親だけだ」
馬車の扉が開いた。
「3分たったわよ」
「俺が……父親?」
実感が伴わないその言葉の意味を理解しようと、マリオンは声に出して言ってみた。そしてすぐに苦笑する。
「いいんだ、ギルバート、嘘をつかなくても。そんなすぐに妊娠がわかるわけじゃないことくらい、俺だって知っている。俺たちが結ばれたのは、忘れもしない、5月27日、あいつの15歳の誕生日。その日以外には一度もない。おい、この中に経験者はいるだろ?」
マリオンは部屋の隅で突っ立っているメイドたちを見回した。
「どんなに早くても、次の月のものが遅れて……」
「奥様ならすぐわかります」
マリオンの言葉を一人のメイドが遮った。
「お酒を控えるよう注意されました。あの……」
メイドは顔を赤らめた。
「三日後だったと思います」
「私も早く子供が欲しかったから、わかったら教えてくださいとお願いしていたら、二日後に……」
「奥様は病気もすぐにみつけてくださります」
「殿下」
ギルバートが言った。
「ファーガソン夫人も魔術師なんです」
「そういえば……」
呆然とした表情のまま、マリオンはつぶやいた。
「彼女も、アステラの人間だったな」
しかも王族。
「父親があなただって知られたら子供が悪事に利用されると思って、フランシス様はファーガソン夫人に嘘をついたんです。父親は僕だって」
「殿下!」
ギルバートの言葉が終わらないうちに、カイルが後ろからマリオンに抱きついてきた。
「おめでとうございます!」
「俺の……子供……俺の……」
(あなたの子供を産みたい)
あの夜のフランシスが、マリオンの脳裏に鮮明によみがえった。
バルトワ城のバルコニーで、自分の目をまっすぐ見て彼女は言った。
女の体に生まれた意味を、はじめてみつけたと。
(それなのに……)
マリオンの瞳に涙があふれた。
「なぜ、お前はここにいない」
抱きしめたいのに。
くちづけたいのに。
愛していると何度も伝えたいのに。
「なぜここにいないんだ!」
温かい腕の中よりも、危険な闘いの場の方を求めているかのように。




