第二十二話
二頭の馬を操るショーンは、さほど道案内を必要としなかった。異国の地でありながら、ファーガソン邸に向かうときに一度通った道でもあるし、何よりも王宮への道はほかの道との差が歴然としていたのだ。王宮へ近づくほど道幅は広くなり、美しく整備され、その両脇には華やかな店が立ち並んでいた。
道行く人々はみな裕福そうで、整った身なりをしている。
だが、過酷な旅をしてきたショーンたちはみな薄汚れた姿だったうえに目立ちたくなかったので、裏道を通ることも多かった。
そして少し大通りから離れただけで、途端に建物も人々の身なりも貧相になることもショーンは見ている。ほんの数日滞在しただけでも、貧富の差が激しい国なのだということがよくわかった。
その貧相な裏道へ折れることを指示したあと、ある一軒の小さなバールの前でロビンは馬車を停めさせた。
「まず腹ごしらえしましょう」
店の裏側にやっと馬車を停められるスペースをみつけ、馬をつないでから振り向くと、ロビンのあとに降りてきたパトリシアが、ドレスの裾を気にしているフランシスに手を貸してあげていた。
急いで駆け寄ってパトリシアからその役を奪おうとしたショーンは、しかし降りてきたフランシスを見て硬直してしまった。
フランシスよりきれいな女はいないと信じていたショーンは、しかしそれ以上の美女に会ったと錯覚した。
化粧の力とはこんなにもすごいのか。
そして男子学生に扮していたときも雰囲気を変えるためか王女のときよりも多少長めだった髪は、囚われの身になってからも一度もカットしていなかったらしく(ロングヘアーにさせたいデヴィッドの思惑のせいだったが)、なんとか後頭部でおしゃれにまとめられるくらいの長さだった。
両耳の前に少しだけたらした髪も、裾が広がっていないシンプルなデザインのドレスも、そして大きめにあいた胸元から見える鎖骨の色っぽさも、すべてが完璧だと思った。
補正下着の効果を知らないショーンは、彼女の胸が昨夜抱きしめて想像していたものよりもずっと大きいことにも驚いたし、前を通り過ぎた彼女の美しいえりあしを見たときには、思わず鼻血が出そうになった。
(何から何まで最高の女だ)
「なにジロジロ見てんだよ」
(この話し方さえなければ……)
ロビンは正面には回らず、そのまま裏口から店に入っていった。
そして驚いている店主とその妻らしい二人に、人目につかない部屋を提供してほしいと頼んだ。
「突然出てきたので持ち合わせがないの。邸に戻ったら、すぐに遣いの者に食事代と相応の謝礼を届けさせるわ」
「いえ、お金などいりません。奥様のお願いでしたらどんなことでも……」
「おい!」
低姿勢で言う細君の言葉を、店主が遮った。
「あなた、奥様は私の命の恩人なのよ」
「しかし……」
「いいのよ、ケイト。あなたたちが重税で苦しんでいるのはよくわかっているわ。十分なお礼はする。食事が済んだら、この子をあるところへ送り届けてまた戻ってくる。そしてこの子がまたここへ帰ってくるまで、私たちをここで待たせてほしいの」
そしてロビンは、フランシスを彼らに紹介した。
「私の姪のフランシスよ」
「はじめまして」
「まあ、なんてきれいなお嬢さんだろうと思って見ていたら、奥様の姪御さん。どうりでよく似てらっしゃる」
「お世辞はよして、ケイト」
「お世辞じゃありません、奥様はとても……」
ケイトの言葉が終わらないうちに、背後で盛大なおなかの鳴る音がした。
全員の視線がその発生源のショーンに集まり、さすがの彼も居心地悪そうに顔を赤らめた。
いいタイミングだわと微笑しながら、ロビンは言った。
「ゆっくり話している暇はないの。突然おしかけて申し訳ないけど、簡単なものでいいから何か食べさせて」
「ケイトは昔うちにいたメイドなの。パティが来る前よ。ほっといたら大変なことになる病気を私がみつけたので、ああやって恩人扱いしてくれてるの。あの旦那と結婚して店を出すときも、少しだけど力になってあげたし」
二階の部屋に通され、運ばれてきた食事をとりながらロビンは説明した。
「私、ほかの家は知りませんけど、奥様のもとで働けて本当によかったと思っています」
パトリシアがしみじみと言った。
「奥様みたいに使用人を大事にしてくださる方は、そうそういないと思います」
「主人がとんでもない男だったから、私が頑張らないとみんな出て行ってしまうと思っただけよ」
苦笑しながら言うロビンを、フランシスはじっと見た。
昨夜からの怒涛のような慌ただしさが、ロビンが悲しみの底へ沈むことをかろうじて食い止めているかもしれないと思った。
「それにしてもびっくりだよな。あなたたちが伯母と姪の関係だなんて」
ローストチキンにかぶりつきながら、ショーンは言った。
昨夜から何も食べていないとはいえ、食欲旺盛の友人の皿に、フランシスは自分の分のチキンを黙ってのせた。
それを見てパトリシアが笑う。
チキンが苦手だと言ったフランシスの言葉を、ちゃんと覚えていたのだろう。
「でも伯母様、僕を待たないでください」
皿を見たあと自分に顔を向けたショーンが何か言う前に、フランシスはそう言った。
「いつ帰れるかわからない。みんなが待っていると思って焦るのはいやだし」
「待ってるわよ。私はあの騒ぎから一睡もしていないし、みんなだって似たようなものでしょ。ここで寝させてもらうわ。だから焦らなくていいわよ」
「馬を一頭だけ置いていってもらえればそれで十分です」
「先に帰る方が厄介なのよ。あのマリオン殿下に追及されるなんてごめんだわ」
その数時間前、マリオンはギルバートの腕をつかんでオリバーの元へやってきた。
寝室にあてがわれていた大部屋で、オリバーだけが疲れ果てて寝ているはずだったが、彼はすでに起き上がっていた。この家の使用人たちに周りを取り囲まれて。
「彼らから話は聞きました」
そう言ってマリオンを見たオリバーの目の下には、彼らしく気丈に振る舞っていても決して隠せない、疲労の痕のくまが色濃くあった。
こんな疲れ切った老人を起こすなんてと、マリオンは使用人たちに怒りを感じた。自分も同じ目的で来たことなど棚に上げて、自分より先にそれを実行した彼らを無性に腹立たしく思った。
だがもちろん、あのメイドの女の子の弟の件に関しては、自分などより彼らの方がはるかに切羽詰まった気持ちでいるのだ。
「あんな弟思いのいい子はいないんです」
「助けてあげてください、パティの弟を」
「お願いします」
メイドだけでなく、男の使用人や兵士たちも頭を下げていた。
「わかりました。私がどこまでできるかわかりませんが、病院へ連れて行ってください」
立ち上がったオリバーの言葉に、使用人たちはみな顔を輝かせた。
「ありがとうございます!」
「大丈夫か、オリバー」
同じことを頼みにきたくせに、マリオンは心配になる。
「利き腕が使えないフランシスが、どれだけあの子に世話になったかわかっていました。そしてあの子のおかげで、フランシスはここで少しも孤独じゃなかった」
「彼女がどこへ行ったか問いただしたら、クリスは何も言わずにどこかへ飛んでいった。だからたぶん、彼女も病院へ駆けつけられると思う」
マリオンの話を聞きながら、オリバーはうつむいているギルバートを見ていた。
「クリスだけでなく、こいつも、あのメイドの子と、そしてフランシスの行き先を知っているらしい」
「殿下、ゆっくり話している時間はないですが、あなたに知らせまいとしたフランシスの判断はおそらく間違っていないでしょう。今度の相手は、ここの兵士たちとはわけが違う。成功させるためにはあの子が一人で立ち向かうしかない。だからあんまりギルバートくんを責めないであげてください」
そしてオリバーは呆然としているマリオンの横を通りぬけ、病院へ案内しようと待っている男の方へ向かった。
「待て、待てオリバー! どういうことだ!?」
マリオンはその背に向かって叫んだ。
「誰がいても、あの子の足手まといにしかならないということです」
振り向いてそう言うと、オリバーは足早に出ていった。
「じゃあ……、なんでショーンと行った?」
呆然としたまま、マリオンはつぶやいた。
「俺は足手まといで、ショーンはそうじゃないと言うのか?」




