第二十一話
「殿下、殿下」
強くゆすられてマリオンは目を覚ました。
「なんてとこで寝てるんですか」
テーブルに伏せていた顔をゆっくり起こし、まだぼんやりした目を周囲に向けた。
広い食堂のような部屋で、メイドたちが忙しそうに動き回っていた。
適当に入った部屋にたまたま椅子とテーブルがあったからそこで寝ただけで、なにもかもどうでもいい気分だった。
ぐるりと辺りを見回し、最後に目の前にいるカイルを見る。
その後ろに、アステラの騎士たちやビリーもいた。
「しかも着替えもせずに」
「カイル、どこからが夢だ?」
「はい?」
「長い悪夢を見ている気分だ」
「『死んじまえ』がそんなにこたえたんですか? 殿下だって言ってたじゃないですか。興奮して心にもないことを言ったんだって。フランシス様は、結局男になりたくなかったんですよ。その本音が聞けて逆によかったじゃないですか」
カイルは的はずれのことを言った。
何も知らないのだから当然だが。
「フランシス様が無事だったんだから、『死んじまえ』なんて屁みたいなもんじゃないですか。殿下、よく考えてください。フランシス様を助けたら『死んじまえ』って言われるから助けにいくなってもし神様に言われたら、殿下は助けにいくのをやめましたか? やめないでしょう?」
説得力があるようにも思えるが、全然励まされている気持ちになれない。
「元気なフランシス様に会えたんですから、『死んじまえ』くらい……」
「わかったから、そう何度も『死んじまえ』って言うな。本当に死にたくなる」
そしてマリオンは考える。
フランシスはほかの男の子供を身ごもっている。それでも助けるか? と神に聞かれたら、自分はどうするか。
(助けるさ、当たり前だ)
それでも愛しているんだから――。
問題は、これからどうするかだ。
フランシスは、ギルバートとの関係を自分に隠した。それは、ギルバートを愛していようと、おなかに彼の子供がいようと、自分と結婚した方が都合がよかったからだ。それを知ったうえでも、自分は彼女と結婚するのか――。
そこまで考えて、ふとマリオンは思った。
(ギルバートを愛している?)
そうとは限らないのではないか。
もしも不本意な形で、フランシスが妊娠したのだとしたら……。
(でもあのギルバートが、そんなことをするか?)
それとも、相手はギルバートじゃない?
そしてマリオンは思い出す。
泣いているフランシスを抱きしめたショーン。眠っているフランシスの肩を抱いていたショーン。
マリオンは勢いよく立ち上がった。
カイルたちが驚いて後ずさった。
そしていつのまにかそばに来ていたクリストファーも、目を丸くして手に持っていたものを床に落とした。
クリストファーは慌ててそれを拾う。
「あ、あの、これ……」
フランシスの部屋に置いてきてしまったデヴィッドの服だった。
それを受け取ろうとしたとき、メイドの大声が聞こえた。
「誰か、パティを見なかったかい?」
「もう少し寝かせといてあげなよ。若い子はあたしたちみたいなわけにいかないのさ」
「でも全然部屋に戻ってこなかったんだよ。いったいどこへ行ったのか……」
「あ、あの、弟さんのお見舞いに行きました」
クリストファーが彼女たちに言った。
「え、朝ご飯も食べずにかい?」
「ここの奥様と、フランシス様と、それからショーンも一緒に……」
いきなり腕をつかまれて、クリストファーは驚いて振り向いた。
「なんでショーンが行くんだ。ギルバートじゃなく」
完全に怯えているクリストファーを、マリオンは強い眼差しで睨んだ。
「あ、あの……えっと……くじ引きで決めたので……」
嘘が下手な奴だとマリオンは思った。
馬車を見送ったあと、鳥になって自分もこっそりついていった方がよくないかと言うクリストファーに、ギルバートは頼み込んで残ってもらった。
自分がフランシスを妊娠させたと思い込んでいるマリオンと、いったいどう接すればいいのだ。
いつもは自分に頼ってばかりのクリストファーでも、今日ばかりは頼らせてもらいたい。クリストファーまでいなくなってしまったら、心細くてしょうがない。
当初はフランシスに扮したクリストファーが仮病を使う予定だったが、その役を自分に替えてもらって、フランシスたちが帰ってくるまで部屋に閉じこもっているつもりだった。それでなくても胃が痛くなりそうだった。
フランシスのことも心配でならない。
この部屋で、自信に満ち溢れた表情で語った彼女の計画は、彼女ならきっとやり遂げられるのだろうと思えた。身分を偽って学生として共に過ごしていたときでさえ、どこか違う次元の人のように感じずにはいられなかった。
それなのに、あのドレス姿を見たとき、ギルバートはたまらなく不安になった。肌が白いことも、線が細いこともわかっていたのに、それでも正真正銘女だということを見せつけられたとき、どうしてもあの剣術大会で圧勝した剣士と同一人物だとは思えなくなってしまった。
(本当は、行かせるべきじゃなかったんだろうか)
不安で本当に胃が痛くなってきたとき、近づいてくるふたつの足音が聞こえた。
ベッドの上で上半身だけ起こしていたギルバートは、急いで横になって布団を頭までかぶった。
フランシスがいつも寝ているベッドだと思うと、なんだかドキドキしてきた。
そのときめきのドキドキが、今度は緊張のドキドキに変わる。またノックもせずに入ってきたのはマリオンだった。
「具合が悪いんだって?」
責めているとしか思えない冷たい声音だった。
「すみません」
つい謝りながら布団から顔だけ出すと、厳しい表情のマリオンの後ろにクリストファーもいた。自分と同じように緊張の極みといった顔をしている。
「少し話せるか」
言いながら、返事など待つ気もないといった感じで歩み寄ってきて、ベッドサイドの椅子に座った。
仕方なく、ギルバートは起き上がった。たぶん仮病だと思われているのだろう。
「じゃんけんに負けたんだって?」
意味がわからずに首をかしげると、後ろでクリストファーが両手を交差させて×マークを作り、首を振りながら小声で「くじびき」と言った。
「あ、いや、くじびきで……」
振り向いたマリオンに睨まれたのか、クリストファーは首を縮こませる。
「なんでショーンに行かせたんだ。あんな、隙あらばフランシスに触りまくってる奴なんかに」
「それを……どうこう言う権利は、僕にはありませんから……」
「なんでだ。フランシスと寝たんだろう?」
いきなり直球できた。
ギルバートは考えた。
計画は変わった。フランシスがここにいないことを隠す必要はない。だから誤解を解いてもいいのではないか。だが、なぜ今ごろ言うのかと聞かれたら、なんて答えればいいのだろう。
「何回寝た?」
「い……一回だけです」
考えがまとまらないうちにまた質問されて、つい答えてしまった。
「すごいな。一回で妊娠させたのか」
それはあなたの方です。
言いたいが、言えなくなってしまった。とにかく、罵倒されようがまた殴られようが、フランシスが戻るまでこのまま乗り切ろうと腹をくくった。よけいなことを言ったらぼろが出るかもしれない。
「どうだった? あいつの体」
決意はあっというまに揺らいだ。
胃がきりきりと痛み、冷や汗が出た。
「そんなこと……言えません……」
「どうして? 知ってる者同士なんだから言えるだろう」
マリオンの顔を正視できなかった。
「あいつの体はまだ幼いから、俺はあいつが15歳になるまで一線を越えないと決めていた。だけど破瓜の痛みをなるべく軽くしてあげたくて、そのときまで時間をかけて、ゆっくりと、ていねいに、あいつの体を開発してあげたつもりだ。知ってるか? あいつの一番敏感なところ」
ギルバートは、声さえも出せなかった。
「耳の後ろ。あのきれいなうなじだ。後ろから抱きしめてそこに唇を這わせながら胸を愛撫してあげると、それはそれはかわいい声を上げた。その声を聞くだけでも俺は満足できた。それから、あの陶器のような肌にひとつだけほくろがあるのを知っているか?」
生々しすぎる話に全身が熱くなるのをどうすることもできないまま、ギルバートは首を振った。
「ここに……」
マリオンが片足を上げたので、ギルバートはチラッとその指を見た。
「足の付け根に近い内ももに、小さなほくろがひとつだけある。あいつを抱いた男だけが見ることができる場所だ」
そしてマリオンは、その長い足を下ろした。
後ろで突っ立っているクリストファーが、真っ赤な顔をしている。
「そのほくろも見ずに、そしてあいつの性感帯も知らずに、お前はあいつを抱いたのか? ギルバート」
ギルバートはまたうつむいた。ほかに何ができるというのだ。
「二回目の……俺とのときでさえ、あいつは歯を食いしばって痛みに耐えていた。まして初めてなら、女の体をよく知りもしないお前が相手なら、どんなにか苦痛だったはずだ」
それでも黙っていると、いきなりマリオンは立ち上がった。
「いい加減白状しろ、ギルバート! お前にそんなことができるのか!?」
両手でベッドの端を思いきり叩く。
「フランシスにそんな思いをさせた奴を、なぜかばう!?」
ギルバートは目を丸くしてマリオンを見た。
「ショーンか!? 確かにあいつはあの食堂で、男のふりをしていたフランシスを見抜けなかったと言っていた。だけどお前に比べたら、はるかに嘘がうまいんじゃないか? そしてフランシスも大嘘つきだ。だけど、ギルバート。あいつらに比べたら、お前はバカがつくほど正直な男だ。黙っていれば誰にもばれないのに、フランシスの胸を触ったと正直に言った。そして俺に愛してると伝えてくれと言ったあいつの伝言を、ちゃんと伝えてくれた。そのお前が、本当にあいつを妊娠させて、それをずっと周りに隠していたと言うのか?」
それでも黙っていると、マリオンはクリストファーの方を振り向いた。
「じゃあ、クリスに聞く。知ってることを正直に話せ」
クリストファーは困惑した表情でギルバートを見た。
「僕も言えないんです。もう、交換条件のんでもらっちゃったから」
ギルバートは頭を抱えたくなった。
それじゃ、隠し事をしてることを白状したようなものじゃないか。
それでも、マリオンが自分がフランシスを妊娠させたとは思ってなさそうだとわかっただけでも、ギルバートはずいぶん気持ちが楽になった。
「交換条件?」
「殿下」
ギルバートは意を決して言った。
「フランシス様を信じてあげてください。僕がいま言えるのはそれだけです。僕も、どうしても交換条件をのんでもらいたいので」
そのとき廊下を歩いてくる足音が聞こえ、やがてドアがノックされた。
「殿下」
カイルだった。
その後ろにメイドが一人いる。
「フランシス様がお見舞いに行ったという病院から遣いの者が来たんですが……」
そのカイルを押しのけて、青ざめた顔のメイドが部屋へ入ってきた。
「パティは病院へは来てないそうですよ。あの子の弟の病状が急変したって、いま連絡がきたのに……」
立ち上がって彼女を見たあと、振り向いたマリオンも顔色をなくしていた。
「どこへ行った?」
ギルバートとクリストファーを交互に見る。
「フランシスはどこへ行ったんだ!?」




