第二十話
「どこへ行くつもり?」
「僕がここからいなくなってもあなたがお咎めを受けることがないように、この国のトップの命をもらいに行きます」
ロビンは苦笑した。
「子供だけで何ができると言うの」
「行くのは僕ひとりです。伯母様、僕が無事帰国できたとしても、それで解決じゃないんです。本当の黒幕はデヴィッドじゃない。ロベルト・バースティンでしょ? あの男がこの国に君臨している限り、あなたにもアステラにも平穏は来ないんです」
「どうやって……」
言いかけて、ロビンはあらためてフランシスを見る。
同性でさえ見惚れてしまうようなその美しさ。
でもそれは、きっと初めて見たドレス姿のせいだけじゃない。
祖父に会えて、友に会えて、そして恋人に会えて、彼女は完璧な自信と強さを取り戻した。
王女である自信。そして母になる強さ。
「なるほどね、だからその格好……」
ロビンはまた苦笑する。
「とんでもないお姫様ね」
「伯母様、僕は悪意がある人間はわかるんです」
それは、アステラ城にスパイを送り込むことに苦労したときにわかっていた。
「あなたは、僕を拉致するという行動を取りながら、僕に少しも悪意を持っていなかった。アステラの王族を憎んでいるはずなのに……。それは、あなたが僕の母に罪悪感を持っていたからじゃないですか?」
意表をつかれて、ロビンは言葉をなくした。
驚異的な魔力を身に着ける前のデヴィッドは、まだ優しい心も持っていた。
お互いの心の傷と孤独を埋めるように結ばれた二人だったが、初めてひとつになった夜、彼はすまなそうにロビンに言った。
忘れられない女がいる、と。
隠さずにエレナへの思慕を話してくれたデヴィッドに、ロビンは逆に誠実さを感じた。王太子の側室という、決して手の届きそうもない相手だったことに安堵もした。
けれどもそんな高貴な立場であるはずの彼女が、戦地に自ら足を運んでいるという噂を聞き、ロビンはあえて派遣先に彼女と同じ村を希望した。
デヴィッドの想い人に、どうしても会ってみたかった。
会ってすぐ、ロビンは後悔した。
そのときは魔法で消えていたとはいえ醜い痣を持って生まれ、体は男たちに穢され、心の中は憎しみや恨みばかりだった自分に比べ、エレナはあまりにも美しかった。外見だけでなく心までも。
もしも奇跡が起こってまたデヴィッドに会えたとしても、その腕に何度抱かれたとしても、彼の心は決して自分のものにはならないのだと思い知った。
そして奇跡は起こった。
グレース王妃の援助を受けてバルトワの牢獄からデヴィッドを救い、彼にエレナのおなかの子供を殺させようとしたのは、アステラの王族への復讐よりも、むしろエレナへの嫉妬だった。
人懐っこかったエレナは、ロビンの心の中の鬱屈など知らずに屈託ない笑顔でよく話しかけてきた。
「すごいわ、ロビン先生」
彼女はいつも、ロビンの医療技術を称賛した。
「あなたの方がすごいじゃない」
愛想笑いすらしない自分を、それでも彼女は尊敬の眼差しでみつめた。
「私はただ持って生まれた力を使っているだけだもの。でも先生は、自分で努力して学んだ力でみんなを救っている。女性は絶対、婦人科は女医さんにかかりたいはずよ。私も子供ができたら、ロビン先生に取り上げてもらいたい」
そんなことは絶対にないと、ロビンは心の中で思った。
彼女が子供を産むとしたら、それは自分を追い出したブラッドリー家の、自分の腹違いの弟の子供なのだから。
ロビンは、目の前のエレナの娘をみつめた。
(あなたの子供は、こんなに立派に成長したわよ、エレナ)
「伯母様、母への罪滅ぼしだと思って、今は見逃してください。そして僕の父上と叔父様の仇を、僕に取らせてください。あなたの弟たちの仇を」
ロビンは、小さくため息をついた。
「私が何をしたところで、私が犯した罪は消えないわ。グレース王妃をそそのかしたのも、あなたを拉致してここへ連れてきたのも私よ。デヴィッドじゃない。あなたが本当に討たなければならないのは私なのよ、フランシス」
フランシスは首を振った。
「あなたを恨むことなんか、僕にはできない。あなたも僕のように、ううん、僕以上に、アステラの王族の犠牲者なんだから。本当はあなたが、僕の立場にいるはずだったんだから。僕は男になりたかった。だけど、女の気持ちもわかる。男に力ずくで支配される悔しさも、子供を持てない悲しさも……」
そしてフランシスは、言葉をなくしているロビンに歩み寄り、その手を取って自分のおなかに触れさせた。
「伯母様、この子を身ごもったのは、母が亡くなった日なんです。だから僕は、この子は母の生まれ変わりだって信じてる。この子が産まれる頃までに、僕はアステラを平和な国にしたい。なにひとつ親孝行ができなかった僕のために、力を貸してください。伯母様も、アステラの王族なんだから」
ロビンはまた、さっきよりも大きなため息をついた。
もとより、ロベルト国王から罰せられる覚悟はできている。アステラの王族の自覚などかけらも持っていないし、会ったこともない弟の仇と言われてもピンとこない。
むしろ、フランシスのためを思うならここは止めるべきだ。危険な行為だとわかっているから彼女はこっそり出ていこうとしているのだ。
けれども、何かがロビンの背中を押した。
自分の子供を取り上げてほしいとロビンに言ったあと、うっすらと涙を浮かべながらつぶやいたエレナの言葉。それは、たった今フランシスが言った言葉とそっくり同じだった。
「私たちの子供が生まれる頃には、世の中がもっと平和になっててくれればいいのに」
自分やエレナがどんなに頑張っても救えなかった兵士たち。
夫や恋人を亡くして泣いていた女たち。
そしてそれでも産まれてくる新しい命。
こんな自分でも、赤ん坊を取り上げるたびに祈った。この子の人生が幸せであるようにと。
ロビンは、フランシスのおなかからそっと手を離した。
「門扉の鍵を取ってくるわ」
鍵だけではなく、ロビンは手提げ金庫のような大きさの四角い鞄を持ってきた。
そしてフランシスと一緒に馬車に乗り込むと、パトリシアも呼んだ。
「あなた、髪をセットするの得意でしょ? これでやってあげて」
「は、はい」
パトリシアも馬車に乗り込んでくる。
ロビンが開けた鞄には、化粧道具や整髪料が入っていた。
「つまり、色仕掛けを使うつもりなんでしょ。だったら完璧にしないと」
「そんなのはどうでもいいんです。僕は、ここを逃げてきたって設定にするから」
化粧を始めようとしていたロビンの手が止まった。
「デヴィッドから逃れて、自分の意志でロベルト国王のところへ来たと。だからなおさら一人で行きたいし、なりゆきでこんな格好したけど、化粧とかはどうでもいいんです。ただ……、これがマリオンにばれたらたぶん面倒なことになるから、その偽装だけしたくてみんなに協力してもらった」
そしてフランシスは、ロビンに頭を下げた。
「ごめんなさい、伯母様。僕は嘘をつきました。おなかの子の父親はマリオンです。今は化粧なんかより、一刻も早く出発したい」
「どう偽装するの?」
「僕はつわりがひどくて起きられなくて、ギルバートが看病してくれていると……。うまい具合に、マリオンはおなかの子の父親はギルバートなんだと思い込んでいるから」
ロビンは考え込んでいたが、やがて外でまだ立っている少年たちの方へ身を乗り出した。
「ギルバート、御者になってくれない?」
ギルバートは目を丸くしながら自分を指さした。
「そして残った二人は、私たちはパティの弟のお見舞いに行ったってみんなに伝えて」
そしてロビンは振り向く。
「だからあなたも一緒に行くのよ、パティ」
「はい……」
パトリシアは、戸惑った顔でフランシスを見た。
「伯母様、あの……」
「その方が無難でしょ。だいたいまだつわりが始まる時期じゃないわよ、ひよっこママさん」
「御者は俺がやる。こいつは王宮の奴らに顔を見られてるから」
ギルバートではなく、ショーンが歩み寄ってきた。
「どっちでもいいわ。名前を知ってるのがギルバートだけだから彼を呼んだだけよ」
「そっちから来たから方角はだいたいわかる。近くになったら道を聞くから」
ショーンが御者の席に乗り、馬車が動き出す。
揺れがあるというのに、ロビンは器用にフランシスの顔に化粧をしていった。
「このドレスは自分で選んだの?」
「いえ、パティが……」
本当はピンクなんて死んでも着たくなかったけど、ぐずぐずしている暇はなかったし、せっかく持ってきてくれたパトリシアに嫌だとは言えなかった。
「選んだのはマリオン様です」
これまた器用に髪をセットしながら、パトリシアは真剣な表情で言った。
「え……」
「伯爵様の衣裳部屋でお着替えを探してらっしゃるときに、ご自分の衣装より真剣に見てらっしゃいました。そして『これだな』っておっしゃって……」
説明されても、フランシスには理解できなかった。
(やっぱり変態なのかな)
「ピンクが似合う女を嫌いな男はいないわ」
「僕には似合わないと思うけど……」
「あなたの気の強さが多少緩和されてちょうどいいのよ」
おしとやかになってほしいという願望の表れなのだろうかと、複雑な気持ちになりながらフランシスは薄い絹に触れた。
命がけで助けに来てくれたのに、自分はひどい言葉を浴びせたうえに、ほかの男の子供を身ごもっているという誤解を解こうともしなかった。そしてこれから、知られたら激怒されそうなことをしようとしている。事情が事情とはいえ、簡単には許してくれないかもしれない。
それでも、マリオンが選んだドレスを着て決戦の場に向かうことに、もしかしたら何か意味があるかもしれない。
(僕とこの子を守って、マリオン)
そっとおなかに触れる。
「ところであなた、武器は持ってるの?」
大事なことを忘れていたと思っているような心配そうな顔をしたロビンに、フランシスは胸元に手を入れて例の木片を出して見せた。
それでももちろん、ロビンは意味がわからずに眉をひそめている。
あえて説明せずに、フランシスはいたずらっ子のような微笑を浮かべた。
(女って便利だな)
コルセットを身に着けるのはバルトワの舞踏会以来で、その窮屈さはもちろん好きにはなれなかったが、胸元まであるその下着のおかげでフランシスは小さな命綱を隠し持つことができた。




