第十六話
指一本触れるなと言ったマリオンの命令を律義に守って立ちつくしているギルバートを押しのけて、ショーンは泣き崩れているフランシスの前にしゃがんだ。
「母上……。母上……」
なぜ泣いているのか、なぜ母を呼んでいるのかわからないながらも、ショーンはその震えている肩を抱き寄せた。
「フランシス様」
「約束を忘れたのか、ショーン」
険しい表情で、マリオンが歩み寄ってきた。
「その手を離せ」
「仕方ないだろ、泣いてるんだから」
ショーンはひるまずに、マリオンを睨み返した。
「フランシス」
マリオンがしゃがんでその肩に触れたとき、信じられないことが起こった。
「触るな!」
マリオンの手を振り払ったフランシスが、涙に濡れた目で彼を睨みつけていた。
「なぜ殺した!? 殺すなって言ったのに」
もちろんマリオンも、信じられない様子で凍りついたように動けなくなっていた。
「バカ野郎! 人でなし! ロリコン! 死んじまえ!」
マリオンは呆然とした表情のまま、隣にいるカイルを見上げた。
「ここは、感動の再会シーンじゃなかったのか?」
「男になりたくなかったってことですかね?」
カイルも困惑した顔をしている。
「おい、フランシス、俺はお前が男になっても変わらないって言ったろ?」
「赤ちゃ……僕の……あ……あ……」
泣きじゃくって何を言っているのかわからないながらも、自分の腕を強く握っているフランシスが愛おしくて、ショーンはつい強く抱きしめていた。
抱きしめながら、ボソッと言う。
「でも、男になってないよ。ちゃんとおっぱいがある」
アステラの騎士団員たちだけでなく、いつのまにかファーガソン邸の兵士たちまで集まってきてかなりの人数がいるというのに、ほんの数秒間その空間は静寂に包まれた。
「え?」
フランシスは顔を上げてショーンを見た。
「この野郎! よくも触ったな! 早く離れろ!」
「さ、触ってないけど、抱きしめればわかるじゃないか!?」
無理やりショーンからフランシスを引き離したマリオンは、しかし次の瞬間さらに慌てふためいた。
フランシスが、身につけている白いネグリジェのボタンをはずし始めていた。
「な、何を始める気だ!? フランシス!」
三つ目のボタンをはずそうとした指を、マリオンは急いでつかんだ。
「見て、マリオン」
涙もふかずに、フランシスはマリオンを見上げた。
「僕はどっちなの? 男? 女?」
マリオンはその真剣さに気おされたように一瞬困惑した顔になったが、すぐにカイルを振り向いた。
「カイル、後ろ向きにになって俺たちを隠せ。ショーンとギルバートもだ。おい、ショーン、絶対こっちを見るなよ!」
いつのまにか人間の姿に戻っていたクリストファーもやってきて、四人はマリオンとフランシスに背を向けて立った。
「今さらだけど、ずいぶん可愛いかっこうしてるな」
なごまそうとしたのに、フランシスは固く目を閉じたままニコリともしなかった。
「なんで自分で見ない?」
「怖くて……見れない……」
心なしか震えている。
(何がそんなに怖いんだ?)
「お前にも怖いものがあったのか」
マリオンは苦笑しながらボタンを四つはずしてそっと開く。
やっと会えたのに、顔の傷も治ったのに、なんだかわけがわからない展開に戸惑っていたマリオンも、しかしその白い胸を見て泣きそうになった。
(女のままだ!)
「相変わらずきれいな胸だぞ。しばらく会わない間にまた少し大きくなったな」
「殿下、実況はやめてください」
間髪入れずカイルにたしなめられた。
「下も、見て」
(いま、ここでか?)
「僕に、変なのがついてないか」
「変なの……」
思わず苦笑する。
腹部までボタンをはずすと白い下着が見えた。それをここで脱がすわけにはいかないと思い、マリオンはその上からそっと触れる。
フランシスの体が小さく動いて、指がはじめてマリオンの腕をつかんだ。
「ついてないぞ」
言った後、耳元に口を寄せて囁いた。
「今すぐ、俺の変なのをここに突っ込みたいくらいだ」
「それはダメ。当分」
マリオンの中で、何かがプツンと切れた。
「おい、まだへそを曲げてるのか? たったいま俺の指に反応したくせに」
「だから実況はやめてくださいってば」
「だいたいなんだ、さっきの言葉は!? 俺がロリコンだって?」
「言ってない、そんなこと」
反論する声も弱々しい。
「言った! これだけ証人がいるんだ! お前、俺のことをそんなふうに思ってたのか!?」
「たぶん……誰かが言ったのがおかしくて……それで覚えてて……」
「ロリコンより死んじまえの方がやばいと思うけど」
ショーンが、そう言いながらチラッと振り向いた。
マリオンは慌ててフランシスのボタンをしめながら、それでも怒りをおさめられずにわめいた。
「百歩譲ってバカ野郎や死んじまえは、興奮して心にもない言葉が出たんだろうと思える。だがロリコンなんて特殊な言葉は、常日頃思ってなきゃ出ないだろう。それが命がけで助けに来た恋人に言う言葉か? 絶対許せない!」
「じゃあ別れてください」
マリオンは驚いて声の主を見た。
フランシスも振り向く。
「許せないなら別れてください。フランシス様は僕がもらいます」
ギルバートだった。
「おい、それはないだろう、ギルバート。お前なにもしてないくせに。だいたい、最初にロリコンって言ったのは俺だ。権利は俺にある」
今度はショーンが支離滅裂なことを言いだした。
「なんの権利だ。意味がわからない」
ギルバートは冷静だった。が、ショーンはその言葉を無視する。
「マリオン殿下、俺とさしで勝負してください。フランシス様をバルトワに連れていかれてたまるか」
「二人ともずるいよ! 一番さきにフランシス様が好きだって言ったのは僕だよ! 今回一番活躍したのも僕じゃないか!? 高所恐怖症だって克服したのに!」
クリストファーまで加わった。
「み、皆さん、ちょっと、話がとんでもないことになってるので、どこかでお休みになっててください。時間も時間ですし」
カイルが見物人たちを追い払った。
「どうする? あっちに行きたいか?」
マリオンは、少し不貞腐れた口調で言った。
突然、フランシスが立ち上がった。
「ギルバート」
マリオンはドキリとする。
だが、肝が冷えたのは一瞬だった。
「ショーン、クリス、ありがとう。僕は、みんなを騙していたのに、謝っても許されないようなことをしたのに、ここまで来てくれて、本当にありがとう。カイルも、騎士団のみんなも……」
マリオンは立ち上がり、少し離れたところに立っていたビリーをフランシスに紹介した。
ビリーが歩み寄ってきてフランシスに頭を下げる。
フランシスの目にまた涙が浮かんだ。
「あなたが……ビリーさん」
「お会いできて光栄です。フランシス様」
「ありがとう、本当に……。この恩は、一生忘れない」
そしてフランシスは、デヴィッドの遺体のそばに立っているオリバーの元へ歩いて行った。
「おじい様……」
その胸にしがみつく。
「僕は……僕はまだ……女のままみたいです」
「言ったろう。グラディウスは、お前に恋をしているんだって」




