第十話
「キャーッ!」
パトリシアの悲鳴。
それに負けないくらい甲高い鳥の声。
血まみれの顔を左手でおさえながら、フランシスはうめくように言った。
「僕は……誰のものにもならない……。僕は母上じゃない……」
「な……なんてことを……」
デヴィッドの声は震えていた。
「この顔でもまだ僕が欲しいか!? デヴィッド!」
「ロビンを呼んで来い! 早く!」
パトリシアは転がるように部屋を飛び出していった。
「なんだって?」
マリオンの全身から血の気が引いていった。
泣いているクリストファーを全員が囲んでいた。
クリストファーがファーガソン家の馬車の屋根に乗ってついていったという朗報をギルバートから聞いたマリオンは、全員を同じ宿に集めてクリストファーの帰りを待っていた。
見たこともない大所帯に目を丸くした宿の主人に、旅芸人だと口から出まかせを言った。
それでも怪訝な表情をしている主人にオリバーが手品を披露すると言い、隣にいた彼の細君の包丁で切ったらしい指の傷をあっと言う間に治してあげた。それから、やれ腰が痛いだの娘のニキビを治してくれだのうるさい宿主一家の相手をさせられたが、おかげで上機嫌になった宿主に一番広い部屋を提供してもらえた。
だが、翌朝帰ってきたクリストファーが持ってきた情報は、彼らを暗く深い沼に突き落とすようなものだった。
「なんで自分の顔を……」
「わからないよ。窓が閉まってて、何も聞こえないんだもの」
「はじめから順を追って話してくれないか、クリストファーくん」
落ち着かせようと、オリバーが穏やかな声で言った。
「相変わらずもてまくってたよ、ジュリア……じゃなくてフランシス様。可愛い女の子と仲良さげでさ、そのときはまだ思ったより元気そうで……、あ、でも、ベッドの上に座ってて、右腕に包帯巻かれて首からつってた。あれきっと、ショーンのせいだね」
「いいから早く先を話せ」
ショーンがいらだった口調で言った。
「フランシス様、僕に気づいてくれたんだ。でも女の子が窓を開ける前になんか怖い顔したイケメンのおじさんが入ってきて、そしたらまず女の子がフランシス様に抱きついて、それをおじさんが引き離して、今度はそいつがフランシス様に抱きついて、服は破るわ、体は触りまくるわ、やりたい放題で……」
「クリスくん、そういうところは省略して」
カイルが主人の顔色をうかがいながら言った。
「あれ、三角関係ってやつ? フランシス様ってさ、おじさんにもてるよね」
「よけいなことは言わなくていい」
マリオンに睨まれて、クリストファーは首をすくめた。
「それで? クリス」
委縮してしまったクリストファーを助けるように、ギルバートが先を促す。
「そ、それで、今度は女の子がおじさんの背中に抱きついて、それをおじさんがふりほどいて、女の子の体を引きずって外へ追い出そうとしたんだ。そしたらね、ここからがすごいんだよ。いったいどこから出てきたのか、気がついたらフランシス様が光の剣を握ってて、おじさんに向かって、こう、突き出してさ、かっこいいのなんのって……」
「よく木片を持ってたな」
「僕のです」
マリオンの疑問に、ギルバートが答える。
「僕のブレザーのポケットに入れてて、そのブレザーを別れ際にフランシス様に着せることができたから……。それなのに……それなのにどうして、その剣で自分の顔を……。こんなことになるんなら、ブレザーを渡さなきゃよかった……」
涙ぐんだギルバートを見て、クリストファーもまた泣き出した。
「クリストファーくん、その間フランシスはずっと、ベッドの上にいたんだね?」
オリバーの問いに、クリストファーは涙をぬぐいながら頷いた。
「はい」
「おそらく、足をつながれているんでしょう」
オリバーはマリオンに言った。
「治せるか? オリバー」
そんなことよりまず顔の傷だとマリオンは思った。
「あなたなら治せるよな」
(治せると言ってくれ!)
「時間との戦いですね。急ぎましょう」
「ここからその邸までどのくらいかかる? クリス」
「馬車で半日くらい」
「今から出ても、着く頃は夜だな」
「奇襲をかけるなら、住人が寝静まった深夜でしょう」
フィリップが、騎士団長らしい冷静さで言った。
「いや、そんな悠長なことは言ってられない」
「ですが、救出に失敗したら元も子もありません」
「殿下、いくらなんでも医者が治療はしてくれるでしょう。誰かが縫合さえしてくれれば、おそらく大丈夫です」
「ロビン・ファーガソンは医者です」
オリバーの言葉を受けて、ギルバートが言った。
「信用できるのか!? あの女を!」
「信じるしかありません。適切な治療をされなかったら、出血や感染で命を落とすことさえある。奴らは、人質が死ぬことなど望まないはずです」
戦場に派遣された経験から、ロビンはあらゆる傷の縫合をした。
けれども、こんなに動揺した縫合はなかった。
女の子が自分の顔を、しかもあんなに美しかった顔を自分の手で切り裂くなんて。
ともすれば震えそうになる手元を、自分を叱咤しながらロビンは動かした。
心は男だから、顔の美醜などに執着しないのだろうか。
ここに囚われている以上、美しくあることになんの価値もないと思ったのだろうか。価値どころか、エレナに似すぎている顔は害でしかないと。
それでも、15歳の少女が背負うには、あまりにも重すぎる十字架だとロビンは思う。
自分のように前髪で隠せるものではない。左目は、二度と開くことはないだろう。
縫合を終え、鼻と口元以外を包帯で覆った。
今は麻酔で眠っているが、いっそ二度と目覚めない方が、この子は幸せなのではないだろうかと思った。
「伯爵様に手籠めにされたくなくて、自分で自分の顔を切り裂いたらしい」
兵士の話し声を耳にして、ロビンは足を止めた。
「嘘だろ」
デヴィッドの部屋へ向かう途中の通路で、複数の兵士たちが立ち話をしていた。
「嘘じゃないよ。伯爵様本人が奥様に言っているのを聞いたんだ。あの伯爵様がひどい取り乱しようだった」
「いくら何でもやりすぎだろう。まだほんの子供なのに」
「かわいそうになあ。きれいな顔してたのに」
「悪魔みたいな女だって聞かされていたけど、悪魔は伯爵様の方だ」
「しっ、声がでかいぞ」
「なんだか無性に腹が立ってしょうがないんだよ。外国人のくせに」
「そうだよな。ただ魔法が使えるってだけで、どこの馬の骨かもわからないのに……」
「その魔法だって、最近はすっかり衰えているみたいじゃないか」
ロビンはそっとその場を離れ、デヴィッドに会うことを諦め、パトリシアの姿を探した。
メイドたちの休憩室も、同じように人だかりができていた。
メイドだけでなく、料理人や庭師など男の使用人まで集まって、泣いているパトリシアを囲んでいた。
「天使のようなお顔だったのに……」
「きれいなのはお顔だけじゃなかったよ。何かしてさしあげるたび、ありがとうって言ってくださった」
「赤ちゃんを守りたかったんだねえ」
「ひどすぎる。あんまりだ」
「パトリシア」
ロビンの声に、彼らは驚いて入り口に顔を向けた。
「もうすぐ麻酔が醒めるわ。あの子のそばにいてあげて」
「は、はい」
椅子にすわってかがみこんでいたパトリシアは、慌てて立ち上がった。
使用人たちは気まずそうな顔をしていたが、一人の男が一歩前に出た。
「奥様」
庭師のロッドだった。
「やっぱり、傷痕は残るんですか?」
全員が思いつめた目でみつめてくる。
「残るわ。一生ね」




