第九話
「クリス! クリス!」
使用人らしい男女が物置のような場所で半裸で抱き合っているのを窓から覗いていた小鳥のクリストファーは、ギルバートの声を聞いて慌てて地上に降りて人間の姿に戻った。
「捜したんだぞ! なんで待ち合わせ場所にいないんだよ!?」
珍しく、ギルバートが怒っている。
「僕だって、情報収集しようと……」
クリストファーはしどろもどろに言った。
「ファーガソンが来た! エントランスのそばに止めてある馬車がきっとそいつのだ! 後をつけるんだ、クリス!」
「夜空の星とお庭の野ばら」
突然背後から聞こえた歌声に、薔薇の手入れをしていた庭師のロッドは振り向いた。
見慣れない、しかしおそろしくきれいな顔をした少年が歩み寄ってくるところだった。包帯を巻いた右腕を首からつっている。
「みんなお前を守ってる」
子守唄らしい歌の続きを後ろからついてきたメイドのパトリシアと一緒に口ずさみ、微笑み合った。
その微笑する顔に、ロッドはつい見惚れて手を止めていた。
「白いすずらんも、ほら、あそこに」
パトリシアが指さす方を、少年も見てまた微笑った。
「ほんとだ」
そして少年は、ロッドに目を向けた。
「こんな広い庭を手入れするのは大変でしょう?」
「い、いえ……」
歩いていく二人の後ろに、もう一人メイドがいた。よく話をするジェーンだった。そしてさらにその後ろを、10名ほどの兵士がついてくる。
「もしかして、あのおぼっちゃんが例の……」
ジェーンに問いかけると、彼女は苦笑した。
「おぼっちゃんじゃないわ。アステラの王女様よ。今日は旦那様がお留守だから、奥様が特別にお散歩を許してくださったの」
「え、だってあの格好」
少年かと思ったその王女は、少し大きめの白いシャツに黒いスラックスといういで立ちだった。
「旦那様が山のようなドレスを買ってあるというのに、絶対着たくないとおっしゃって……」
そう言って小さなため息をついたジェーンも、ドレスを着せられないのが残念そうだった。
「それにしてもすごい数の護衛だな」
「護衛じゃなくて見張りですよ。でも……」
そこでジェーンは苦笑した。
「あれでも奥様が数を減らしたそうで……。みんながついていきたがったから、あみだくじで決めたそうです。みんな、あのお顔が見たくてしょうがないんですよ」
「見張りなんかつけなくても、逃げるそぶりなんかなさそうじゃないか」
「そりゃ、問題を起こしたらメイドを殺すだのパティの弟の治療を打ち切るだの、脅されてばかりいますから」
今度のため息は大きかった。
ロッドは、自分が丹精込めて育てた花々を眺めている王女の横顔を、同情のこもった目でみつめた。
眠れ 我が子よ
愛しい子
翌日、朝食が済むと、フランシスはまたおなかに手を当てて歌い出した。
庭師のロッドが届けてくれたというたくさんの薔薇が部屋に飾られ、甘い香りを漂わせていた。
「白いすずらん」
片づけをしながら、パトリシアも一緒に歌う。
「黄色いこと……り……」
歌うのをやめたフランシスを怪訝な表情で見たパトリシアは、その視線の先に目をやった。
「まあ、黄色い小鳥!」
バルコニーの手すりの上に、可愛らしい黄色い小鳥がとまっていた。
こちらを見ながらピーピー鳴いている。
パトリシアが駆け寄って窓を開けようとした時、部屋のドアが開いた。
同時に振り向いたフランシスとパトリシアは、その顔をこわばらせた。
昏い目をしたデヴィッドが立っていた。
ベッドとマットレスの間に木片を隠している。それを取るために横になろうとしたフランシスは、しかしいきなりパトリシアに抱きつかれて動けなくなった。
「何をなさるつもりですか、伯爵様!」
「どきなさい」
「お許しください! この方は、おなかに赤ちゃんが……」
「どけと言ってるのがわからないのか!?」
デヴィッドに体をつかまれ引き離されたパトリシアは、その勢いで床に倒れた。
「きゃあっ!」
「パティ!」
彼女に視線を向けた分、行動が遅れた。
背後からデヴィッドが覆いかぶさってきて、枕元に伸ばした手はわずかに届かない。
「誰にも渡さない。お前は私のものだ」
「離せ!」
「流産しようと、子供が産めない体になろうと、お前だけいてくれれば……」
シャツを引き裂かれ、唇が首筋を這い、胸をまさぐられた。
「やめろ!」
「ピーッ! ピーッ!」
窓の外で、甲高い鳥の声がした。
「エレナ……エレナ……」
「おやめください! 伯爵様!」
突然解放された。フランシスは急いで枕元に手を伸ばす。
「邪魔をするな!」
「デラ……、ボルデ……」
自分にしがみついていたパトリシアの体を引き離すと、デヴィッドは彼女をドアの方へと引きずっていく。
「ルモア……、グラディウス!」
「出ていけ!」
「お願いです! 伯爵様!」
「パティから手を離せ!」
振り向いたデヴィッドは、驚愕で目を見開いた。
左手に握りしめた光の剣を向けて、フランシスはデヴィッドを睨みつけていた。
「どういうことだ……。いつのまに……」
「パティから手を離してここから出ていけ。そして二度と僕の体に触れるな」
しかしデヴィッドは、ひるまず歩み寄ってきた。その口元は、なぜか笑いの形に歪んでいる。
「お前に私は殺せない。フランシス」
ベッドまで歩み寄ると、その上に片膝をのせた。
「教えてあげよう、フランシス。お前が今日まで女でいたのは、私がこの命を黒魔術の神に捧げたからだ。エレナの墓の前で、お前はいつも男になりたいと願っていた。その願いを阻止するために、エレナの血を引くエレナと同じ顔の娘をいつか手に入れるために、私は命を賭けた。全魔力を注いだ。お前は、戦の神と、エレナと、そして私が作った最高傑作なんだ」
フランシスは、言葉をなくしてデヴィッドを凝視していた。
「私が死ねば、その魔法は解ける。お前は男になる。だが、それがどういうことかわかるな? お前の体から子宮がなくなり、お前の赤ん坊も居場所をなくして消滅するということだ」
剣を突きだせば確実に殺せる位置にデヴィッドはいた。
「さあ、どっちを選ぶ? フランシス。お前に殺されるのも、私にとっては悪いことじゃない。どうせ今日、国王陛下がお前を私から奪いにくる」
フランシスは唇を真一文字に結んだ。そして決意する。
振り上げた剣を、いきなり自分の顔に向かって振り下ろした。




