第七話
王宮からの使者は、至急現状の報告に来るようにという伝言を持ってきた。アステラに通じる唯一の道が爆破された情報は、すでに国王陛下の耳に入っているようだった。
さてどうしたものかと、デヴィッドは思案した。
グレース王妃の依頼を成功させたかに見えたデヴィッドとレイチェルは、王妃から多額の報酬を得たが、アステラにとどまることは危険だと感じ、隣国のディアスに新天地を求めた。
バルトワとアステラを倒して大陸征服の野望を持つディアスの国王の信頼を得るために、デヴィッドはその魔力を思う存分発揮した。
その魔力が開花したのはクロードのおかげだった。
エレナへの恋に破れ戦列を離れたデヴィッドは、ふたたびクロードの邸を訪れた。
デヴィッドの心の奥の黒い沼のような何者かへの憎悪を見抜いているかのように、クロードは自分の後継者にすべく彼を育てた。
自分の才能は大陸制覇をも可能だと信じて疑わなかったクロードにとって、その野望を最短で実現させるための敵は、大陸最大にして最強のバルトワ王国だった。
彼は自分が生みだした魔石を信者たちに渡し、その魔力で魔物に変身させ、バルトワを恐怖の底に陥れる。
だが当時のデヴィッドは、バルトワになんの恨みも興味もなかった。
彼の昏い憎しみの矛先は、自分の母を暴行した男であり、子供時代の自分を嘲笑した人々であり、そして自分の恋を打ち砕いた王子――すべてはアステラに向けられていた。
デヴィッドはその魔石を使わずにレイチェルに渡し、ただ大鷲に変身してクロードの指示に従っているふりをした。
結果、空を飛べたデヴィッドだけが死を免れたが、バルトワの兵士に捕えられて五年間幽閉される。
一方、ほとんど魔力のなかったレイチェルは留守番役だったが、クロードとその信者たちが全滅したために邸を出る。その時、クロードの全財産を持ち出すことを忘れなかった。
醜い痣に苦しんだ過去の自分と別人になりたくて名前を変え、手に入れたお金で大学に通って医学を学んだ彼女は、やがて婦人科医として開業する。それが彼女の特性を生かせる一番の道だったし、自分や自分の母のような不幸な妊婦を減らしたかった。
そしてその選択が幸運にもグレース王妃との接点になり、デヴィッドを救うきっかけになった。
新聞で報道されていたので、バルトワに幽閉されている魔術師が誰なのか、レイチェルは知っていたのだ。
そしてレイチェルが大事に持っていた魔石は、エレナに呪いをかけるために使われる。
ジュリアン公爵を倒したデヴィッドの働きは大きく評価され、ディアスの国王は彼に爵位と立派な邸を与えた。
だが、昨年の夏ごろからその魔力は急激に衰え始める。
一番殺したかったジェイソン国王は、大怪我をさせるだけにとどまった。
そしてその怪我をした国王に代わって戦場に現れた騎士を見たデヴィッドは、度肝を抜かれる。
女のはずのフランシスが、まだ14歳になったばかりのはずのフランシスが、百戦錬磨のディアスの騎士たちを奇跡のような強さで倒していった。
その彼女の力を奪うことなど、デヴィッドにできるはずがなかった。
それどころか、急激に飛ぶ力が弱まり、墜落寸前のところでなんとか着地し、人間の姿に戻った。
その日を境に、デヴィッドは飛べなくなった。いま、彼が使える魔法はたったひとつだけだった。
それを知らないディアスの国王は、次々とデヴィッドに無理難題を押し付けてくる。
マリオンの暗殺も、魔術師養成学校の生徒を誘拐する計画も失敗に終わったが、しかしそれを帳消しにしてもまだおつりがくるほどの獲物を手に入れた。
だが、予定外だった分、その獲物をどう扱っていいのかわからない。
そしてまだ30代と若いディアスの国王がフランシスを見たら、いったいどういう行動に出るのか。
次の日、パトリシアはフランシスの願いを聞いて、シンプルな真っ白いシャツを探してきてくれた。
男物で袖が長すぎるが、あのフリルだらけのネグリジェに比べたら十分だった。
「ありがとう、パティ」
笑顔を向けると、パトリシアは嬉しそうに頬を染めた。
「何を着てもお似合いです」
そしてため息交じりに言う。
「こんなおきれいな方の赤ちゃんは、さぞかし可愛らしいでしょうね」
「僕に似ない方がいいよ。苦労が絶えないから」
半分冗談、半分本音だった。
「まあ、じゃあお父さんはどんな方なんですか?」
「お父さんは……」
言いかけて口ごもる。
「お父さんは、知らないから」
「あんな話、信じてませんよ。伯爵様に嫌われようとして、わざと言ったんですよね」
パトリシアは、ほかに誰もいないのに急に小声になった。
それがおかしくて、フランシスも真似をして声をひそめた。
「内緒にしてくれる?」
「ええ」
「この子のお父さんは、馬鹿みたいに明るくて、傲慢で、自信家で……」
パトリシアはクスクス笑った。
「太陽みたいな人」
そしておなかに目をやった。
「父親に似たら、きっと幸せな人生を送れる」
「素敵な人なんですね」
「うん」
「でもフランシス様だって、太陽みたいなお方です。どんなにかお辛いでしょうに、笑顔をなくさないんですもの」
「それは、パティのおかげ」
またおなかに目をやって、そっと触れる。
「そして、この子のおかげ」
そしてまたパトリシアに目を向けた。
「ねえ、パティ。子守唄を知ってたら教えて」
「ひとつだけ、知ってます」
そしてパトリシアは歌い出した。
眠れ 我が子よ
愛しい子
白いすずらん 黄色い小鳥
みんなお前を見ているよ
眠れ 我が子よ
可愛い子
夜空の星とお庭の野ばら
みんなお前を守ってる
パトリシアが歌い終えると、フランシスは感心して言った。
「上手だね」
右手が使えたら拍手したいくらいだった。
「弟に、よく歌って聞かせました」
パトリシアは恥ずかしそうに笑った。
「そう……。弟さん、早く元気になれるといいね」
「ありがとうございます」
祖父なら治してあげられるのだろうかと、ふとフランシスは思った。
そして、ここへ連れてこられる途中で聞いた、あの凄まじい爆発音を思い出す。さらにその直前に聞いた、夢なのか現実なのかわからない、祖父の声も。
アステラに通じる道がダイナマイトで封鎖されたなら、あの爆発音がその時の音なのだろう。だとしたら、あの祖父の声は……。
考えると、背筋が寒くなった。
どうかあの声は、夢の中のものであってほしいとフランシスは願った。
不安を振り切りたくて、フランシスはわざと明るい声を出した。
「もう一回歌って」
パトリシアが歌い出すと、フランシスも後に続いて歌ってみた。
簡単なのですぐに覚えた。
三回目は一人で歌ってみる。
「お声まできれい……」
パトリシアがうっとりとつぶやいた時、そっと扉が開いた。
ロビンが入ってきた。
「包帯を替えるわ」
歩み寄ってきて、パトリシアに目を向ける。
「下がっていいわよ」
「はい、失礼します」
お辞儀をして出ていくパトリシアに、フランシスは笑いかけた。
「またね」
パトリシアは振り向いて、もう一度頭を下げた。
ロビンはフランシスの白いシャツをじっと見ていたが、何も言わず、腕の包帯をほどき始めた。それを新しいものに替え、次に顔のガーゼも取り換えた。
「エレナが歌ってるのかと思ったわ」
ポツリと言う。
フランシスは顔を上げた。
「言葉遣いが全然違うからしゃべってる時はさほど感じなかったけど、歌声はそっくりね」
「母とは、どこで?」
「戦場になった小さな村で、怪我人の治療をしていた。あちこちで絶えず紛争が起こっていた頃だったから、医者はいろんなところへ送り込まれたの。孤児になって泣き止まない子供を抱いて、さっきのあなたみたいに子守唄を歌っているのを聴いたことがあるわ」
フランシスは黙って聞いていた。
「酔った兵士が女の子に乱暴しようとした時は、身を挺してかばっていた。自分だって女なのに。でも、彼女は王太子殿下の側室だから手を出したら大変なことになるって、必ず誰かが止めに入るの。私は、なんでそんな身分の人がここにいるのかってわけがわからなかったけど。でもやっぱり、彼女に触れたい誘惑に勝てないバカはたまにいて、どこかに連れ込まれたこともあったそうよ」
身を乗り出したフランシスを、ロビンはチラッと見た。
「だけどやっぱり、お姫様には王子様がいるのね。それこそ、白馬に乗った騎士が、彼女を助けにきたそうよ。私は村人たちの話を聞いただけだから、どこまで話を盛っているのかわからないけれど」
(ジュリアン叔父様……)
思わずシーツを強く握ったフランシスを、ロビンはみつめた。
「フランシス」
その目に少し、憐れみの色が見えた。
「あなたの王子様は来ないわ」




