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最強のプリンセス  作者: 雨宮佳奈子
第四章 剣と子守唄と殉愛の旅

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第五話

 魔術を教えるとデヴィッドを誘ったクロード・エヴァンスという男は、連絡先を残していた。頼れるのはその男しか思いつかなかったので、デヴィッドはその男のところへレイチェルを連れていった。

 全員真っ黒い衣装を着た男女が数名いる怪しげな邸だったが、クロードは快くレイチェルを預かってくれた。

 君は最高の黒魔術師になれる、いつでも歓迎すると言われたが、デヴィッドはそこにとどまる気はなかった。

 レイチェルはデヴィッドについてきたそうだったが、別に道連れにするつもりで助けたわけではない。あの行動は、衝動的だったとしか言いようがなかった。母を暴行した男への憎しみが根底にあったし、助けた後は、かつての自分のように外見に苦しむ彼女に親近感は感じたが、ただそれだけだった。

 兵士になり、戦場へ行き、エレナに会ってなおさらレイチェルのことなど思い出しもしなくなった。

 怪我も癒えて明日は戦列に戻るという夜、エレナの姿を探したデヴィッドは、月影の下で泣いている彼女をみつけて足を止めた。

 その後ろに、立派な身なりの男がいた。

 探したと、男は言った。

 私のことは忘れてくださいと、女は言った。

「あなたには、あんな立派な奥様が……」

 去ろうとするエレナの腕をつかみ、男は抱き寄せた。

 そばにいてほしい、君のお父さんも寂しがっている、愛しているのは君だけだ……そんな言葉を繰り返した後、男はエレナにくちづけをした。

 次の日、エレナの姿は消えていた。

 彼女を連れ去った男がアステラの王子、次期国王だと知った後、デヴィッドはアステラのために戦うことをやめた。


 もの思いに耽っていたデヴィッドは、足音を聞いて顔を上げた。

 目の前にエレナがいた。

 あの頃より三歳くらい若い、髪の短いエレナが。

「エレナ……」

 つぶやきながら歩み寄った。

 彼女は顔をこわばらせ、後ずさった。後ろにいた二人のメイドがとっさによけたが、バスルームのドアにその背がぶつかる。

「近寄るな!」

 声を聞いて我に返った。

 声は似ているが、彼女はこんな話し方はしない。

「フランシス」

 そうだ。エレナは連れていかれたが、フランシスはここにいる。まだこんなにも若い。きっと、まだ男を知らない。マリオン・テイラーだとて、こんな少女を穢すようなことはしないだろう。

「その怪我が癒えるまで待とうと思った。でももう待てない。私は何年も待った。何年もあなたを見てきた。毎年、エレナの命日に、その墓を訪れていたあなたを……」

「嘘だ。あの森に、あんたのような奴が入れるはずない」

「そうさ。あなたのおじいさんは見事な結界を張った。でも空の上までは無理だった。私は空を飛べるんだよ、フランシス。だから、マリオン・テイラーなどよりずっとずっと前からあなたを見ていた。見るたびに、美しくなっていくあなたを。エレナに似てくるあなたを」

 両腕をつかんで抱き寄せた。

 とうとう、触れることさえできなかったあの体。そして……。

「離せ!」

 触れることのできなかった唇。

 くちづけようとした顔が横に逃げた。その顎をつかんでこちらを向かせようと左手を離した時、フランシスの右手がその手をつかんだ。勢いよく反転したその体が、一瞬だけデヴィッドの体を宙に浮かせた。が、背負おうとした体勢のまま、フランシスは床に膝をついた。

 痛むらしい右腕をおさえながら、フランシスはデヴィッドに背を向けて荒い息をしていた。

 その波打つ細い肩をみつめながら、デヴィッドは言った。

「パトリシア。お前の弟は確か難病で、高額の医療費をロビンが払ってあげているんだったな」

 振り向いて、呆然としているメイドを見る。

「それを打ち切られたくなかったら、おとなしくしているようにフランシスに頼んでくれないか」

 フランシスは驚いてデヴィッドを見た。

 デヴィッドは跪き、そのフランシスと視線を合わせた。

「仕方ないだろう。たかがキスひとつでも、自分の怪我を悪化させるほど抵抗するあなたを、私はもう見たくない」

 そしてフランシスをみつめたまま言った。

「さあ、パトリシア」

「お……奥様……」

 パトリシアの声は震えていた。

「助けてください……。奥様……」

「ロビンに頼っても無駄だ。この子を私に捧げるためにここへ連れてきた張本人なんだから」

 そしてデヴィッドは、動けないでいるフランシスの頬に手を伸ばして触れた。

「あなただってわかっているでしょう? あなたはただの人質じゃない。この国のために強い戦士を産むんだ」

 立ち上がらせようとして、手をつかんだ。

「私の子供を産むんだ、エレナ」

 あえてその名前で呼んだ。かなわなかった初恋を、別の形で成就させるために。

「嫌だ……」

 かすれたその声を無視して、デヴィッドはフランシスを強引に立ち上がらせた。

「嫌だ! 僕は母上じゃない! 助けて、伯母様!」

 引きずって連れていこうとすると、とうとうその目から涙がこぼれ落ちた。

「どうして何も言わないんだ!? この人はあなたの夫だろう!? 伯母様! 僕とパティを助けて!」 

「デヴィッド」

 ロビンの声など無視した。が、次の言葉に愕然として足を止めた。

「その子、妊娠してるわ」

 すぐには、意味がのみ込めなかった。

 ニンシン?

「おいおい、今さらやきもちもないだろう、ロビン」

 苦笑しながら振り向く。

「本当よ。いま無茶なことしたら、流産するかもしれない」

「仮に本当だとして、流産するなら願ってもない。ほかの男の子供など」

「その若さで流産なんかしたら、二度と子供が産めない体になるかもしれないわよ。その子に、私と同じ思いをさせるつもり?」

 しばらく動けないでいた後、デヴィッドは振り向いてフランシスを見た。

「本当か?」

 敬語を使うのをやめた。

 涙で濡れた顔のまま、フランシスはうなずいた。

「マリオン・テイラーはけだものか。こんな少女を」

「あなたが言うセリフじゃないでしょ。それに、父親はマリオンじゃないそうよ」

「なんだって?」

 ロビンを凝視したあと、またフランシスに視線を戻した。

「父親は誰だ?」

「誰だっていいだろう。あんたになんの関係がある」

「お前は知っているのか?」

 またロビンの方を見た。

「さあ……」

「父親はわからない」

 きっぱり言うフランシスを、デヴィッドは驚いて振り向いた。

「男子寮で、女は僕だけだったから。毎晩違う男と……」

 思わず、強い力で両腕をつかんでいた。

 痛みに顔をしかめたのは一瞬で、その口元には笑みが浮かんだ。

「これでわかったろう。僕は、あんたが思ってるような女じゃない。まして、母上じゃない。あばずれで、男が好きで……」

「下手な芝居はそこまでだ。男が好きなら、さっきはなんであんなに泣いて嫌がった」

「あんただからだ! あんただけは絶対いやだ! あんたが何年も僕を見てきたなら、僕は何年も何年もあんたを恨んで生きてきた」

 憎しみのすべてをこめたような目で睨んできた。

「フランシス、さっきも言ったが、私がエレナを殺したわけじゃない。私だとて、エレナの死など望んではいなかった」

「あんたが殺したんだ」

「伯爵様……」

 臣下の一人が遠慮がちに歩み寄ってきた。

「マクラクラン様がお見えになりました」

 王宮からの使者だった。

 ため息をつきながらフランシスから手を離し、ロビンの方を見た。

「部屋へ連れていけ」


(この子が守ってくれた)

 そう思いながら、フランシスは腹部をおさえた。部屋に戻って、ベッドに座っていた。

(僕も必ず、お前を守るから)

 そして、足かせの鍵をかけているロビンを見た。

「ありがとう」

 こちらを見たロビンは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに無表情になった。

「妊婦を守るのが私の仕事よ」

「それだけじゃなくて、ギルバートの名前を出さないでくれた」

「言っても言わなくても同じことよ。アステラに行く道は閉ざされているんだから」

「でも、あいつは空を飛べるんでしょ」

 ロビンは、虚をつかれたような顔をした。

「僕の父上やジュリアン叔父様の力が戦場で急に衰えたのも、空から抑え込まれてたんだね」

 フランシスは目を伏せた。

「あなたにとっては、実の弟なのに」

「会ったこともない人たちよ。他人と同じだわ」

 ロビンは視線をそらし、布団をフランシスの下半身にかけた。

「僕が子供を産めない体になったらあなたと同じになるって、どういうこと?」

 またこちらを見たロビンはしばらく黙っていたが、やがてうつむいた。

「顔に醜い痣がある女の使い道なんて、性奴隷しかなかったってことよ」

 フランシスは息をのんだ。

「まして王族の血をひいていたから、男の子を産んだら何かに利用できると思われたんじゃない? あなたよりもっと小さい頃から預けられた先の男たちに犯されて、妊娠しては、すぐに流産。そんなことの繰り返しで、子供が産めない体になったのよ」

 そしてロビンは、自嘲気味な笑みを浮かべながらフランシスを見た。

「自分が一番かわいそうだと思わないことね。下には下がいるわ」

 その顔を見ながら、フランシスはしばらく何も言えなかった。

 父は、腹違いの姉は親戚に預けただけなのに、意地悪な誰かがグレース王妃に、追い出されたと告げたのだろうと言っていた。だが、婦人科医になってグレース王妃と接点を持ったロビンが、彼女の焦りを増大させるために自分の不遇を教えたのだろう。そしてロビンは、ブラッドリー家への復讐を果たしたのだ。

 それを思うと、戦の神が王族の男児に与える力は、本当に“祝福”と呼べるものなのだろうか。

 けれども……。

「そうだね、僕はまだ、幸せだ」

 神の意志がどうであろうと、自分がこの先どうなろうとも、この子だけは絶対に守る。

「この子がいる」

 そう言ってまた腹部をおさえるこの手にはまだ何も感じるものはないのに、こんなにも愛おしい。

 そんなフランシスを黙って見ていたロビンは、やがてポケットに手を入れて小さな木片を取り出し、フランシスに差し出した。

 目を瞠ってその木片をみつめ、受け取ったフランシスに、ロビンはもうひとつ何かをポケットから出して見せた。

「それからこれ、あなたが眠っている時にはずしたものよ。怪我の治療をしたから」

 銀色の時計だった。

 受け取った手が震えた。

 懸命にこらえたが、涙があふれるのを止められない。

 時計を握りしめ、両膝の上に顔を伏せたが、かみしめた唇から嗚咽がこぼれ出た。

(マリオン……!)

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