第四話
パトリシアの顔から、完全に色がなくなっていた。その体はガタガタと震えている。
「この子にはね、病気の弟がいるの。親ももういないから、この子が死んだら弟も生きてはいけないわ」
フランシスは大きく息を吐くと、剣を放り投げた。
「拾ってきて」
命じられた兵士が、急いで駆け寄り、その剣を拾う。
ロビンはナイフをポケットにしまい、フランシスに歩み寄った。
「メイドは何人もいる。覚えておいて。これからあなたが騒ぎを起こすたび、誰かが犠牲になるわよ」
「卑怯者」
フランシスはロビンを睨みつけた。
「あなたを信じた僕がバカだった」
「あなたのためよ。その体で、一人でどうすると言うの」
ほかの人間に、特にデヴィッドに聞こえないように、ロビンは小声で言った。
「今は、おなかの子を守ることが最優先でしょ」
兵士たちが、脱衣所で倒れていたジムを運んできた。
「生きているのか?」
「はい」
問いかけたデヴィッドに返事をした兵士は、いきなりそのわき差しから剣を抜かれ、慌ててジムの体を投げ出して横に飛び退った。
支えを失ったジムの体が床に倒れる前に、デヴィッドはその剣を斜めに振り下ろす。
「キャーッ!」
パトリシアとジェーンが悲鳴を上げて抱き合った。
絶命して床に倒れたジムを一瞥したあと、デヴィッドは兵士たちを見回した。
「フランシスに不埒なことをすればこうなる。覚えておけ」
そしてフランシスに目をやった。
「満足してもらえましたか?」
フランシスは答えず、無表情で死体を見ていた。
その死体を数名の兵士たちが無言でかたづけていく。
ロビンは残っている兵士たちにここと脱衣所の掃除を命じた。
その兵士たちと一緒におぼつかない足取りで脱衣所に駆け込んだパトリシアは、そこから取ってきたバスローブを持って、フランシスのそばに駆け寄った。そしてあらわになっている肩にそれをかけてあげる。
やっと正気に戻ったような目で、フランシスはパトリシアを見た。
「ありがとう」
パトリシアは何か言いたげだったが、ただポロポロと涙をこぼすだけだった。
「怖い思いさせて、ごめん」
パトリシアは、激しく首を振りながら顔をおおった。
「パトリシア、彼らの掃除が済んだら、この子の入浴を手伝ってあげて」
「は、はい」
涙を拭っているパトリシアのそばに、ジェーンも歩み寄ってきた。
「お風呂から出たら、アレを返してあげるわ」
精いっぱい優しい声で言っても、フランシスは黙ったままだった。
やがて掃除が済んだことを告げられると、二人のメイドと一緒に浴室に入っていった。
「何を返すんだ」
デヴィッドが歩み寄ってきた。
「学校の友達と作った思い出の品ですって。制服のポケットに入っていたの」
デヴィッドは意外そうな顔をした。
「口は達者だけど、まだ子供よ」
「ロビン、なんとかして、あの子がここにいたいと思えるようにしてくれ」
ロビンは呆れた顔で夫を見た。
「いつまでも、あんなふうに拘束したくない」
「無理よ。あの子の言葉遣いを直すのと同じくらい。たとえ従順になったとしても、それがどこまで演技なのか見抜けないじゃない」
「だが、多少は手懐けられるだろう。お前があの子の伯母だと名乗れば……」
「そんなこと、あの子はとっくに知っていたわ」
「なんだって?」
「父親から聞いていたそうよ。顔に痣のある行方不明の伯母がいるって。でも、その程度の血縁なんてなんの役にも立たないわ。さっき、少しはあったらしい私への信頼も、完全に失ったし」
「だが、正直あれには驚いた。ろくに知りもしないただのメイドのために、あんなに簡単に引き下がるとは……」
「賭けだったけど、でも確信はあったわ」
あのブレザーの少年を利用した時もそうだった。彼はメイドのパトリシアとは比べ物にならないくらい、フランシスにとっては大切な存在なのだろうが、そうだとしてもやはり、ああいうところは彼女の唯一の弱点だろう。
彼女を操るために必要なものは、血縁でもましてドレスや宝石でもない。たった一人、弱い女か子供がいればいいのだ。
「あの子には、エレナの血が流れているということよ」
エレナと初めて会った日を、デヴィッドは昨日のことのように覚えている。
まだ十代だったころ、やはり同じ年頃のエレナは、戦場で怪我人の治療をしていた。
雨露をやっとしのげる程度の建物の中は、絶えず男たちの血と汗の異臭が充満していて、およそ彼女ほどその場に似つかわしくないものはなかった。
それでも笑顔を絶やさずに、彼女は治癒の魔法で怪我人たちを治していった。力およばず命を落としていく兵士を見れば、まるで自分の身内のように涙を流した。
たとえ魔法が使えなかったとしても、彼女の存在は兵士たちの癒しであり支えだった。本気で恋をしている男も少なくなかった。
デヴィッドも、怪我が治ったら告白しようと決めていた。
戦場で大怪我を負ったデヴィッドは、だがそのせいでエレナに出会えたことを感謝していた。
数年に一度鳥に変身できる子供が生まれるというアダムス家の使用人だったデヴィッドの母は、その家の当主に暴行され妊娠した。それが発覚すると、怒り狂った当主の妻に追い出され、頼った親戚の家で肩身の狭い思いをしながらデヴィッドを産んだ母は、人間と鳥のあいのこのような異形で生まれた赤ん坊を見て発狂した。ろくに栄養も取れていなかったため産後の肥立ちも悪く、その数日後に亡くなってしまった。
孤児になったデヴィッドは見世物小屋に売り飛ばされる。子供たちの嘲笑や大人たちの蔑むような目にさらされる日々が続いたが、やがて自分の体をコントロールする術を身につけ、成長して力をつけると、小屋の主人を殴り倒して逃げ出した。
見世物小屋で彼を見て、魔術を教えるから自分のところへ来ないかと誘ってきた男がいたが、デヴィッドはそこへは行かず兵士に志願しようと思った。母を不幸にし、自分が見世物になる原因だった鳥になど二度となりたくなかった。
だが、一夜の宿にしようと潜り込んだある家の小屋から、一人の女が半裸の状態で駆け出してくるのを見た。その後から満足そうな顔で出てきた数人の男たち。母と同じように暴行されたのだとわかった。
すぐ裏の山へ向かって走っていった女の後を追うと、一歩およばず女は崖から飛び降りてしまった。
気がついた時には、大鷲になって飛んでいた。
女の体が地面に届く直前に人間に戻って着地し、その体を受け止めた。
自分とさほど年の違わないその女は、驚いて自分を凝視した。涙が乾いていないその顔には、赤紫色の痣があった。
それがレイチェル、今のロビンとの出会いだった。




