第三話
「入浴前には戻るわ」
自分がいなくても大丈夫そうだと思い、そう言い残してロビンは自室に戻った。
机の引き出しから小さな木片を取り出すと、じっと見る。
不思議な子だと、ロビンは思った。
父親ほども年の離れた男と対等に渡り合ったかと思えば、天使のような笑顔で人の心をつかむ。
冷静で聡明なのに、思い出などという感傷的なものに執着する。
そして、昔の名前で自分を呼んだときの、あの表情。
計算しているのかもしれないと思っても、それでも心が動かされる。手を差し伸べてあげたくなる。助けてあげたくなる。
憎くてしょうがなかった、ブラッドリーの血を引く人間だというのに。
だが、その血の最大の犠牲者は、あの子なのかもしれないとロビンは思った。
木片をポケットに入れ、部屋を出る前に、無意識のうちに鏡を見る。
そして、たった今よぎった自分の考えを即座に否定した。
(どんなに不幸な星の下に生まれても、あの美しさがそれを全部帳消しにしてくれたはず)
どうして自分をみつけられなかったのかと、フランシスは不思議がっていた。
それは、一時期自分の痣が消えていたからだ。最初はクロードが、そのあとはデヴィッドが魔法で消してくれた。
だからロビンは、醜い女と美しい女の両方を経験している。その差がどれだけあるかを知っている。
あんなに怯えていたメイドの心を瞬時にほぐしてしまったように、あの子の美しさは最大の武器だろう。
そしてその美しさが、デヴィッドを狂わせた。フランシスが言ったとおり、彼は狂人になってしまったと思う。魔力が衰えてしまうほどに。
ある時期から、再び顔に痣が現れた。鳥族の血を引いていたデヴィッドは飛べなくなり、グレース王妃の記憶を消すこともできなくなった。
顔に特徴のある自分が表に出ることは危険なのに、それでもデヴィッドは、収穫祭での暗殺者の交渉役も、魔術師養成学校に侵入することも自分にやらせた。心から信用できる人間が、自分以外にいないから。
でも、仮に魔力が衰えていなかったとしても、彼は再び自分の痣を消してくれただろうか。
死んだと思っていたエレナの子供が生きていて、しかも女の子だと知った時から、デヴィッドの心のすべてはその子に向いてしまった。自分の顔の痣など、彼の目にはきっと映ってさえいないだろう。
鏡から目をそらし、ロビンは考えた。
その子がいま妊娠しているということを、彼に伝えるべきだろうか。
そのことは、彼をさらに狂気に引き込むのではないだろうか。
食事が終わるのを見計らったように、ロビンではなく騎士団長のジムがやってきて、フランシスの足首を拘束具から外した。
パトリシアとジェーンに浴室まで連れてこられたが、そのジムもすぐ後ろからついてくる。そしてあろうことか、脱衣所まで入ってきた。
パトリシアとジェーンは、咎めるような視線をジムに向けた。
「聞いてるだろうが、このお嬢さんはとんでもなくお強いらしい。暴れ出したら、お前たちだけじゃ手に負えない」
「で、でも、いくらなんでも……」
パトリシアは必死に訴える。
「しかたないだろう。お前たちを守るためだ」
そう言いながら、ジムは好色そうな笑みを浮かべた。
「平気だよ、パティ」
フランシスは言った。
パトリシアが驚いてこちらを向く。
この顔だから、みんな虜になるんだ――あの夜のマリオンの言葉を信じてみようと思った。
(たぶん、ただ見るだけでいい)
怪我していない方の左手でネグリジェのボタンをはずし始めると、パトリシアが慌てて前に来て手伝ってくれた。
右腕をつっていた布を首からはずすと、ジェーンが背後のジムを気にしながら、その腕をおさえて袖から抜き取る。もう片方の腕をパトリシアが抜くと、白くて薄い下着姿になった。からだの線は隠しようもなく、丈は太ももの上までしかない。
その姿を隠すように背後に立っていてくれるジェーンの肩越しに、フランシスは振り向いて、じっとジムをみつめた。
ジムの喉が、ごくりと動くのが見えた。
心の中で10まで数えて、フランシスは前を向いた。
「ジェーン、パトリシア、外へ出ていろ」
「え……」
二人のメイドは驚いてジムを見た。
「あとは俺がやる」
「で、でも……」
パトリシアは青ざめていた。
「言ったろう。女じゃ無理だ」
パトリシアとジェーンは顔を見合わせ、動けずにいる。
「聞こえないのか!? 出て行けと言ってるんだ!」
「出た方がいい」
フランシスは、できるだけ穏やかな表情でパトリシアに言った。
「行きましょう、パティ」
ジェーンに促されても、パトリシアは心配そうにフランシスを見ている。
「大丈夫。僕は悪魔だから」
冗談めかして、小声で言った。
それでも青ざめたままだったが、手を引くジェーンと一緒にパトリシアは脱衣所を出て行った。
ジムが歩み寄ってきた。
「お前から誘ったんだぞ」
後ろから両肩をつかまれる。
「お礼をしてもらわないとな。あの夜、あの不良学生からお前を救ってやったのは俺だぞ。食堂の女たちから、お前があいつに呼び出されたって聞いたから。でももしかしたら……」
首筋に息がかかって、鳥肌が立った。
「あの時も、お前の方から誘ったのか? こんなふうに……」
振り向かされ、唇をふさがれる直前に、フランシスはその股間を思いきり蹴り上げた。
「うあっ!」
前かがみになったジムのわき差しから剣を抜き取ると、迷わずその肩を切りつける。
悲鳴が響き渡り、脱衣所は血に染まった。
左手一本で振り下ろした剣は急所をはずしたが、殺すことが目的ではない。
フランシスはその剣を持って外へ飛び出した。
「逃げた! 女が逃げたぞ! 誰か!」
背後でジムの叫び声。そして、驚愕の表情で立ちつくしているパトリシアとジェーン。その向こうで、ロビンも呆然としていた。
「フランシス……」
「馬と、僕の服を用意しろ」
騒ぎを聞きつけた兵士たちが駆けつけてきた。
「なんの騒ぎだ」
兵士たちの背後から現れたデヴィッドも、フランシスを見るなり言葉をなくした。
「死にたい奴からかかってこい」
10数名の兵士たちを、フランシスは睨みつけた。
「利き腕が使えないんだ。全員でおさえつければ……」
兵士の一人が仲間たちに言った。
「待て。あの子にこれ以上怪我をさせるな」
「は、伯爵様、それじゃどうやって……」
「フランシス、落ち着きなさい。アステラに通じる道はダイナマイトで封鎖した。一人でここを出てもあなたはもう帰れない。もちろん助けも来ない。ここにいることが何よりも安全だ」
「安全? 男がバスルームまで入ってきた。それのどこが安全だ」
「誰だ?」
デヴィッドはロビンに問いかけた。
「私以外で足かせの鍵を持っていたのはジムだけよ」
デヴィッドはため息をついた。
「もう二度とそんなことはさせない」
「悪かったわ、フランシス。私がついているべきだった。あなたが欲しがっていたものを、部屋に取りに行っていたの」
ロビンはポケットから木片を出して見せた。
「これと、その剣を交換しましょう」
「もういらない。剣さえあれば、僕は生きていける。道を空けないなら全員殺すぞ」
「そんな恰好でどこへ行けるの」
「どこへ行こうとここよりはましだ」
そこまで言って、フランシスは息をのんだ。
ロビンが、彼女のそばで立ちつくしていたパトリシアの喉元に、いきなりナイフをつきつけた。
「こんなことはしたくなかったけど、あなたをおとなしくさせるにはこうするしかないわね。この子の命がどうなってもいいの?」




