第十五話
ギルバートは、医務室のベッドで目を覚ました。
発見されたときは床に倒れた状態だったが、ベッドに移され、校医がいなくなってしまったため別の医者が呼ばれた。
何が起こったのかわかる人間は誰もいなかったので、両親にまで連絡がいき、彼らの心配そうな顔が目覚めたギルバートをみつめていた。
こんな危ないところには置いておけないと言い張る両親を、ギルバートはなんとか説得して帰した。
どうすればいいのかわからないけれど、できることなど何も思いつかないけれど、とにかく逃げるわけにはいかないと思った。
そして今、ギルバートは28名の同級生たちと寮の食堂にいる。
今日は授業どころではなくなり、寮に帰されていた生徒たちは、夕食の席に姿を現したギルバートの周りに集まってきた。
その彼らに、ギルバートは今日の出来事を話して聞かせた。
全員が、ひとことも口を挟まずに聞いていた。ギルバートが話し終えても、しんと静まり返っていた。
みな、この国が何度も他国と争っていることを知っている。そしてその戦場で、自分たちと年の変わらないこの国の王女が戦ったということも。
それでもどこかそれは、遠い世界の出来事のように実感の伴わないものだった。読書好きの男の子なら夢中で読む、冒険小説のような。
昨日まで自分たちと一緒に同じ教室で学んでいた同級生が、そんな世界の人だったなんて。
そして、女の子だったなんて。
「なんで……そんなことするのかな」
やっと口を開いたのは、リチャードだった。
「家来がいっぱいいるのに、なんで自分で……」
「それは、あの人が一番強いからだよ」
と、ロジャー。
「でも、だからって、なんで正体かくしてまでここに入学する? 悪い奴を捕まえようとしていたなら、堂々と名乗ればいいじゃないか。国王陛下が命令すれば、誰も反対できないだろう? なんで僕らを騙すのさ」
「僕も、リチャードと同じことをジュリアン……、フランシス王女に言った」
ギルバートの言葉に、全員が彼を見た。
「それじゃダメなんだって、あの人は言った。“普通”になりたかったからって……」
「普通になりたい? なんだよそれ!?」
寮の食堂の外で、マリオンとオリバーはその声を聞いた。
ギルバートから直接話を聞こうと、カイルを伴ってやってきたところだった。
「誰よりも強くて、誰よりもきれいで、この国で一番偉い人の子供で、なんでそんな人が普通になりたいなんて思うんだよ!? みんなあの人みたいになりたいって思ってるのに、なりたくたってなれないのに、なにぜいたく言ってんだよ!?」
「退屈だったんじゃない? なんでも持ってるから、きっと、持ってないものは普通ってことだけだって思ったんだよ」
「僕たちみたいな普通の人間と一緒に学校に通って、優越感に浸りたかったのかな」
「そうじゃない! なんでそんなこと言うんだ、クリス!? あんなに大好きだって言ってた人のことを……」
「大好きだったからがっかりしてるんだよ、級長。だって僕、ジュリアの前であんなにフランシス様の話したんだよ。それを心の中で笑われてたのかなって思うと……」
怒りの表情で扉に手をかけたマリオンを、オリバーが制した。
「私が……」
「許せない、あいつら……」
「殿下」
カイルが後ろからマリオンの腕をつかんだ。
「相手は子供です」
オリバーが扉をノックし、返事を待たずに開けた。
全員がこちらに注目する。
オリバーのことを知っている生徒はいないかもしれない。だが、後ろから入ってきたマリオンを見て、生徒たちはバツが悪そうな顔をした。
ギルバートが立ち上がる。
「座ったままでいいですよ」
穏やかに言うオリバーの背を見ながら、よくも冷静でいられるもんだとマリオンは感心した。
確かに、こんな時はオリバーに任せた方がいいかもしれない。自分では、このたまりにたまった怒りのマグマをここで爆発させてしまうだろう。
「フランシスの祖父の、オリバー・ブロンテです」
「理事長だ……」
少年たちは、顔を見合わせて囁きあった。
「今日まで、私の孫と仲良くしてくださった皆さんに、心から感謝します。特に、ギルバートくん、孫のせいで、怖い思いをさせてしまった。本当に申し訳なかった」
「いえ……」
ギルバートはまだ立ったままだった。
「謝らなければならないのは僕の方です。フランシス様は、僕を守るためにあいつらに捕まったんです。僕がいなかったら、僕がいなかったらきっと……」
ギルバートは声をつまらせ、うつむいた。
「ありがとう、ギルバートくん。さっき、みんなの話を外で少し聞きました。みんな、どうしてフランシスがこんなことをしたのか理解できないようだったので、少し、私の話を聞いてもらえませんか。今日まで、みんなを騙していた孫に対して、みんなが怒るのももっともです。孫もそれは覚悟していました。いつかみんなに嫌われる時がくるから、友達はつくらないと……」
黙りこくっている少年たちの中で、何かに打たれたような表情をしたギルバートを、マリオンは見た。
「それでもあの子は楽しそうでした。なぜなら、あの子の体が女性だということを知っている人間が一人もいない環境で暮らすことは、あの子の15年の人生で初めてだったからです。この中で、あの子の体が女でも、心が男だという特殊な境遇を知らない人はいますか?」
全員が首を振った。
「新聞に載っていたので、みんな知っています」
ギルバートが言った。
オリバーはうなずいた。
「ギルバートくん。君は先週の歴史のテストで、不正解はたったの一問だった。すごくくやしがっていたね」
「え……」
「ロジャーくん、君には双子の妹がいる。名前はアンナとレイラ。ちょっと生意気で君は手を焼いてるようだけど、可愛い盛りだね」
目を丸くしているロジャーにみんなが注目する。
「ミックくん、君の飼い犬の名前はジャック。真っ白い犬だね」
「そうです。なんで知ってるんですか? 僕の名前まで……」
オリバーは微笑しただけでその隣の少年に目をやる。
「ショーンくん、君は朝のジョギングと夜の筋トレを欠かさない。ダンベルの重さは30キロ。すごいね」
驚いた顔でうなずいたのは、一昨日フランシスと光の剣で戦った少年だった。
「クリストファーくん、君は……」
そこでオリバーは言葉を止めた。何かに驚いたような顔をしている。が、すぐにまた柔和な顔に戻った。
「君が苦手なのは、トマトと高いところ」
そしてオリバーは、静まり返っている少年たちを見回した。
「もうわかっただろうが、私は読心術が使える。申し訳ないが、いま君たちの心の中を覗かせてもらった。これから私が話すことを信じてもらえるように……。身内をかばって言っているだけだと思われないように……。私はこの15年間、孫のフランシスの苦しみをずっとそばで見てきました。自分と同じ人間が一人もいない、“普通”でないということの苦しみを……。生まれてから14年は、なるべく人目に触れないように森の中の私の家で暮らしました。アステラ城で暮らすようになってからも、しばらくは女だということを隠すために、口がきけないふりまでしました。男になりたい、女だと知られたくない、あの子の願いはただそれだけだったんです。みんなも、もし自分が男なのに女の体に生まれたらどうだろうかと想像してくれたら、少しはあの子の気持ちがわかってもらえるんじゃないでしょうか」
オリバーの話を聞きながら、マリオンはふと、ジュリアン公爵の墓石の前にたたずんでいたフランシスを思い出した。
その日の朝、隣の部屋のパトリシアにまで聞こえる声で泣き叫んだという、あの初潮を迎えた日のフランシスを。
わかってあげていたつもりでも、自分の想像など遥かに及ばない絶望感を、あの日の彼女は感じていたのだろう。
「そんなあの子に、女だと公表する決心をさせてくれたのが、ここにいるマリオン殿下です」
全員の視線が自分に向いたので、マリオンはすんでのところで涙をこらえた。
「この人に出会って、この人を愛して、フランシスは少しずつ、女の体を受け入れていきました。そしてこの人と結婚する決意をした。だからあの子にとって、この学校に来ることが、普通の男になれる最後のチャンスだったんです。15年間の夢をかなえるために、そしてその夢と決別するために、あの子にとってはどうしても、ここで男として過ごす日々が必要だったんです」
マリオンの目の前で、ギルバートが泣いていた。そして背後で鼻水をすする音がして振り向くと、カイルも涙を拭っていた。
「す、すみません」
「あの子を拉致したロビン・ファーガソンという人物は、あの子の母親に呪いをかけて、あの子が女として生まれる原因を作った人間とつながっている可能性がありました。そのロビン・ファーガソンを探るという目的もあったから、あの子はなおさら自分の正体を隠す必要がありました。でもそのロビン・ファーガソンが学生にも教師にもいないと知ってそれを私に報告にきたとき、あの子は、マリオン殿下の子供を産みたいからもう少し女でいたいと私に言いました」
マリオンはドキッとしてオリバーの横顔を見た。
「だから私は、もう話してもいいかもしれないと思い、長年考えていたことをあの子に伝えました。いつか男の体になれると信じていたあの子に、もうその願いはかなわない可能性が高いことを……。だからロビンをみつけられなくても、みんなに嘘をつき続けても、あの子はここで、少しでも長く男として過ごしたかったんです。結果だけ見れば、ロビンはここにいた。あの子は拉致されてしまった。あの子のしたことは、そしてあの子を止めなかった私の判断は間違っていたということになる。でもせめて、わかってあげてほしいんです。あの子はいつも苦しんでいました。どうして自分のような人間が存在するのかと。戦の神が与えてくれた力だけが、あの子にその答えをくれました。その力を発揮することが、自分が存在する意義だと信じていました。だからいつもあの子は、自ら戦うことを選ぶんです」
「違います! それだけじゃないです!」
一人の少年が立ち上がった。
「僕は、あの人の笑った顔を見るだけで幸せでした。それだけで……ただ、笑ってくれるだけで……」
「クリス……」
ギルバートが名前を呼んだので、その子がさっき言っていた言葉をマリオンは思い出した。
「王女様の悪口を言ってごめんなさい!」
そう言うとクリストファーは、泣きながらテーブルに顔を伏せてしまった。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
同じように謝りながら、何人かの少年が涙を流していた。
「僕たちに、何かできることはないですか?」
ギルバートが、マリオンにまっすぐな視線を向けて言った。
「助けに行くんですよね?」
「君たちにできることは、ただ信じて待つことだけだ。だが、光の剣の木片をいくつか借りたい」
「僕には、遠くの音や声を聞き取る能力があります。絶対役に立ってみせます。僕も連れて行ってください」
「俺も連れて行ってください!」
ギルバートの声をかき消すような大声で立ち上がったのは、ショーンだった。
「木片だけ持っていっても、光の剣を出せる人間がいなければ……」
「ここにその木片を作った人間がいる」
マリオンがオリバーを指して言った。
「こんなじいさんより、俺の方がよっぽど戦える!」
「おいおい、アステラいちの魔術師に向かってじいさんはないだろう」
「すみません、でも、でも絶対おれ、力になります! お願いです! 連れて行ってください!」
「普通の道はダイナマイトで封鎖された。険しい山や川を越えていくしかないんだ。子どもなんか連れていけない」
「俺のせいなんです! 俺がジュリア……、フランシス様を殴らなければ……」
マリオンの眉がビクッと動いた。
「殴った?」
「何度も何度も後悔した。なんであんなことをしてしまったのか……。ただイライラして、悔しくて、腹が立って、ジュリアが……あ、いや、フランシス様が、ギルバートと朝まで一緒にいたって聞いて……俺……」
今度はマリオンは口をあんぐりあけてギルバートを見た。
「ご、誤解です! あ、いや、確かに朝まで僕の部屋にいたけど、ただそれだけで、別に何も……何も……」
そこまで言ってギルバートは口ごもり、顔を赤らめてうつむいた。
「すみません。眠ってるあの人の……胸を……触りました……」
少年たちの視線が一斉にギルバートに集まった。
「なんて正直な……」
カイルが呆れた口調で言った後、慌てて主の腕をつかんだ。
「殿下、相手は子供ですから」
「わかってる」
「どうしても確かめたかったんです。ジュリアンがフランシス様なのかどうか。その前の晩、フランシス様が部屋を抜け出してあなたに会いに行くのを見ました。だからジュリアンとフランシス様が同一人物じゃなかったら、あなたが二股をかけていることになる。それを確かめずにはいられなかったんです。フランシス様が部屋を抜け出したのがわかったのは、さっき言ったように僕は耳がいいから。だから僕は絶対役に立ちます」
「うるさい! 誰がお前らのようなガキを連れていくか!」
「僕……、僕も……」
「まだ何かあるのか!?」
マリオンの怒鳴り声に委縮して、手を上げていた少年がその手を引っ込めた。
だがすぐにまた、勇気を振り絞ったような声で言った。
「僕、鳥に変身できます」
クリストファーだった。




