第十二話
「校医は女の先生だよ」
医務室の前でギルバートは言った。
「美人なんだけど……」
「けど?」
ギルバートはなんでも知ってるんだなと思いながら、言いかけてやめた横顔をフランシスは見た。
「見ればわかるよ」
そしてドアをノックする。
「失礼します」
消毒薬の匂いがする部屋へ入る。
「先生、友人が顔を怪我したので診てください」
先に入っていったギルバートが言った。
まるで保護者だなと思いながら、フランシスは後に続いた。
思いきり床にぶつけた右腕も痛かったが、うまくごまかせば顔だけで済むかもしれない。済まなかったらその時はその時だと腹をくくりながら、ギルバートの前へ進む。
こちらを診た女性の顔が、一瞬こわばった。が、すぐに笑顔になる。
「あら、噂の美人さんね」
自分たちからすればかなりの年上だが、確かにきれいな人だった。
誰かに似ていると、ふとフランシスは思った。長い黒髪が覆っていて、顔の半分しか見えないが。
「ここに座って」
丸い椅子を示される。
だがその時、フランシスの視線は白衣の胸の名札にくぎ付けになっていた。
R・Ferguson。
フランシスはゆっくり椅子に座った。
(そうか。ロビンという名前は男とは限らないんだ)
「どうしたの? 喧嘩?」
問いながら、女医は近づいてきてフランシスの顔を診る。
前髪が揺れ、その下に隠れていたものがちらりと見えた。
ふたたびフランシスは驚愕で息をのむ。
「はい」
フランシスが黙っているので、少し遅れてギルバートが答えた。
「誰にやられたの?」
フランシスの顔に手際よく消毒液を塗りながら、女医は質問を続けた。
「教えて」
フランシスが黙っているので、女医は後ろにいるギルバートに目を向ける。
「こういうことは、校長先生に報告しなければならないのよ」
「ショーン・カーターです」
メモを取ったあと、女医はフランシスの額と頬にガーゼをあて、絆創膏で止めた。
「ひとこともしゃべらないのね。これにびっくりした?」
言いながら、女医は前髪をかき上げて見せた。
右の目の横に、赤紫色の痣。
誰かに似ていると思ったのは、ジュリアン公爵だった。父よりも、叔父に似ている。
「大丈夫よ。あなたの傷は痕になんかならないから」
それでも黙っているフランシスをじっと見たあと、女医は言った。
「じゃ、次は上を脱いで」
フランシスは下を向いてブレザーのボタンをはずした。
「せ、先生、怪我をしたのは顔だけで」
慌てた様子でギルバートが言う。
「そうなのかどうか、診なければわからないでしょう?」
立ち上がって脱いだブレザーを横のベッドの上に置き、フランシスはネクタイに手をかけた。
「ぼ、僕は外に出てます」
「ここにいて、ギルバート」
この部屋に来て初めて、フランシスは口を開いた。
そしていきなり、はずしたネクタイを女医の首に巻きつけた。
「ここで何をしているんですか? ロビン・ファーガソン先生」
女医は、驚愕の目でフランシスを見た。
「それとも、レイチェル先生?」
ネクタイの両端をつかんだ手に少し力を込める。痛めた右腕に激痛が走ったがこらえた。
「僕が誰だかわかるんですよね? 女性だろうと容赦しない。あなたは……」
女医は苦しそうに顔をゆがめた。
「あなたは、マリオンを殺そうとした」
そしてフランシスは振り向かずに言った。
「ギルバート、誰か先生に伝えて。アステラ城の……」
いや、マリオンよりオリバーの方が近い。
「いや違う、オリバー・ブロンテ理事長にすぐにここへ来てもらうようにと。僕の名前を明かしていいから」
背後で立ち尽くしていたギルバートが、転がるように走り出す音が聞こえた。
が、突然不穏な気配を感じる。
「待って! ギルバート!」
振り向いて叫んだが遅かった。
体格のいい男がギルバートの行く手に立ちふさがり、その顔にナイフをつきつけていた。
さっき見た用務員の男。そしてその背後に……。
「アンダーソン先生!」
青ざめていたギルバートが驚愕の声を上げた。
「その手をお離しください、フランシス様」
(やっぱり……!)
用務員の声は、あの火事騒動を起こしたしわがれた声だった。
「お友達が大怪我しますよ」
男はギルバートを羽交い絞めにした。
「トニー、あのネクタイを奪って、王女の手首を縛るんだ」
「王女って……。フランシス王女? 聞いてない、そんなこと……」
もともと気弱そうな数学教師は、血の気をなくして動けずにいた。
「やるんだ! 薬が欲しくないのか!?」
アンダーソンはよろよろと歩き出し、フランシスの前に立った。生気のない目だった。
「様子がおかしかったのは、禁断症状だったんですね」
マリオンから聞いた、ブレストン王国の麻薬の話を思いだした。ディアス王国が侵略してきて、その薬を我が物にしていると。
やはり、ロビン・ファーガソンの後ろには黒魔術師が絡んでいたのだ。
アンダーソンが震える手を伸ばしてきて、ネクタイを奪おうとする。
「ギルバートを解放する方が先だ」
フランシスは用務員の男を睨みつけた。
「そうですね。あなたの価値とつりあわせるためには、この少年にもそれなりの犠牲ははらってもらわないと。まずは指から切り落としますか? 10本ある。そのあと耳? 目? そのネクタイを離すのはあなたが満足してからでいいですよ。さあ、どこから切り落としますか?」
微笑を浮かべながら、男は空いている方の手でギルバートの左手首をつかんだ。
ギルバートはきつく目を閉じた。全身が震えている。
フランシスは観念して、ネクタイをロビンの首から離し、足元に落とした。
アンダーソンはしゃがんでそのネクタイを拾おうとするが、まだ手が震えている。
「ロビン、相当はねっかえりなお姫様だ。薬で眠っていただこう」
言われるまでもなく、解放されたロビンは素早く薬棚に向かっていた。
アンダーソンはやっとネクタイを拾ったが、フランシスに近づけないでいた。
「そ、その人をどうするつもりだ!?」
すっかり血の気をなくしているギルバートが叫んだ。
「安心して。大切な人質だから手荒なことはしないわ。少なくとも、こんな怪我を負わせるような人間がいる場所より、よっぽど安全な場所に連れていくのよ」
「なにをしているトニー! はやく王女の体をおさえろ!」
「アンダーソン先生!」
よろよろとフランシスに近づこうとするアンダーソンに、ギルバートは叫んだ。
「この学校は、この国を守るために作られたんじゃないんですか!? それなのに、先生がこんなことをして恥ずかしくないんですか!?」
「ゆ、許してくれ……。薬がないと、もう生きていけないんだ……」
そう言いながら、アンダーソンはフランシスの両腕をおさえた。
また激痛が走る。
ロビンが薬棚から透明な瓶を手に取った。
「ま、待ってください」
ギルバートは、言いながらブレザーを脱いだ。
「今日は肌寒いから、これを……」
涙が浮かんだ目で数学教師に訴える。
おどおどとした目で問いかけてくる教師に、ロビンはうなずいた。
フランシスから手を離し、よろよろと近づいてきたアンダーソンに、ギルバートはブレザーを渡す。それを受け取って戻ってきたアンダーソンから、フランシスはブレザーを受け取った。
「ポケットに、イストレラの森の……思い出の、アレが入っている」
必死に何かを訴えようとしているギルバートに、フランシスはうなずいて見せると、自分には長すぎる両袖に腕を通した。
「ありがとう、ギルバート」
そして微笑いかける。
「まきこんで、ごめん」
ギルバートの瞳から、とうとう涙がこぼれ落ちた。
「それから、騙してて、ごめん」
そしてうつむくと、吐息のような声で囁いた。きっと、ギルバートの耳にしか届かないはずの声で。
その言葉が届いたかどうか確認するために顔を上げることもできないまま、去年の秋、ブレストンのスティーブに嗅がされたものと同じ匂いがする白い布が、フランシスの鼻と口をふさいだ。




