第九話
ドアが開くと同時に、クリストファーたちは一斉にクラッカーを鳴らした。
「ハッピーバースデイ、ジュリア!」
もうすでにパジャマ姿になっていたジュリアンは、目を丸くしていた。
「なんで……」
「僕、みんなの誕生日知ってるのさ」
クリストファーが得意気に言う。
「え、ぼく四月なのに……」
「ボブ、みんなっていうのは嘘だよ。クリスはジュリアの誕生日しか調べてない」
リチャードはボブに笑いながら言うと、
「入るよ、ジュリア」
と、突っ立っているジュリアンを押しのけるようにして部屋へ入っていった。
全員の分の椅子なんかないので、四人は勝手に床に座る。
一番最後にギルバートが遠慮がちに座ると、呆然としていたジュリアンも観念したような顔をしてその隣に座った。
シャワーを浴びたばかりなのか石鹸の香りがして、ギルバートはそれだけで鼓動が速くなった。
まともに顔を見れない。
何も変わっていないのに、女の子かもしれないと思うだけでこんなにも落ち着かないものなのか。
クリストファーたちは、持ってきたお菓子を紙の皿にのせて床に並べた。
「僕の家、りんご農園を持ってるんだ。自家製だよ、これ」
リチャードが紙コップに注いでみんなに回してくれた飲み物は、透明で確かにりんごの甘い香りがした。
全員に飲み物が渡ると、クリストファーが元気よく音頭をとった。
「誕生日おめでとう! ジュリア!」
みんなもそれに続く。
「おめでとう!」
さすがにこのときばかりは、ジュリアンも微笑を浮かべた。
「ありがとう」
が、みんなが頬を赤らめて注目するので、すぐに戸惑った顔をした。
「笑うとそんなにかわいいのに、なんでいつも不愛想な顔してるのさ」
ロジャーが無遠慮に言う。
飲み物を口に含みながら、ジュリアンはさらに困惑した表情になったが、やがてうつむいた。
「かわいいなんて言われたくないから」
みんな何も言えなくなった。
沈黙してしまった彼らをよそに、ジュリアンの意識は紙コップに向く。
「これ、おいしい」
「だろう! もっと飲めよ!」
リチャードがまた陽気になって、空になったジュリアンのコップに飲み物を注いだ。
フランシス王女が体は女でも心は男なのだという話を思い出して、ギルバートは、さっきの言葉はきっと本音なのだろうと思った。
(確かに、たいていの男はかわいいなんて思われたくない)
そう思いながら飲み物を口に含んだギルバートは、思わず吐き出しそうになった。
「リチャード、これ、お酒じゃないか!?」
「大丈夫だよ、度数はそんなに高くないから」
リチャードは笑いながら言う。
「度数の問題じゃないだろう」
「しらけること言うなよ、級長。今日はジュリアの誕生日なんだから」
「そうそう。僕なんか、家にいるときは毎日のんでるよ、これ」
「社交界ではさ、酒に強い方がもてるって言うぜ。今から訓練しておかないと」
「それよりさ、みんな夏休みになったらうちの別荘に来ない?」
クリストファーの言葉に、リチャードたちは目を輝かせた。
「行く行く!」
「ジュリアも……さ……」
クリストファーが遠慮がちに言うと、全員がまたジュリアンに注目した。
黙ってりんご酒を飲んでいたジュリアンが顔を上げた。その顔はほんのり赤い。
「ジュリアン、あんまり飲まない方が……」
「で、さ……、フランシス様も一緒に来ないかな」
ギルバートとクリストファーの言葉が重なった。
そして誰も、ギルバートの声など耳に入っていない。固唾を飲んで、ジュリアンの返事を待っていた。
「どうかな。僕あんまり親しくないから」
「親しくないなんてことないだろ。マリオン殿下がことづけを届けるくらいなんだから」
ロジャーが苦笑しながら言った。
「あ……」
そうだった、と思っているような顔に、ギルバートには見えた。
(もしかして、酔って思考能力が怪しくなってる?)
「ねえねえ、フランシス様ってどんな人?」
前の問いかけにまともな回答をもらえていないのに、クリストファーはどんどん質問攻めにする。
「何かさ、とっておきのエピソードとかない? 意外な一面とかさ」
ジュリアンは考え込んでいたが、やがてボソッと言った。
「猫を飼ってる」
身を乗り出して答えを待っていた四人は、あからさまにがっかりした顔をした。
「いや、そういうことじゃなくてさ……」
「ネネっていうんだ」
クリストファーの言葉など聞こえていないかのようにそう言ったジュリアンは、珍しく嬉しそうな顔をしていた。
「まだ小さいから、僕のことを親だと思ってて……」
「へえ。フランシス様の飼い猫がなついてんなら、やっぱり親しいんじゃん」
ボブが言う。
やばいな、とギルバートは思った。
これ以上しゃべったらばれるかもしれない。
「ネネに会いたい……な……」
しかしギルバートの心配は杞憂に終わった。
突然左の肩が重くなり、ギルバートはびっくりして横を向く。
自分に寄りかかって、ジュリアンは寝息をたてていた。
「寝ちゃった……」
全員、唖然としてしまった。
「そういや、授業中から眠そうだったもんな」
「君が飲ませすぎなんだよ、リチャード」
言いながら、ギルバートはジュリアンが握ったままの紙コップをそっと離させて床に置いた。
「だって、あんなにおいしそうに飲んでくれたから」
ボブが身を乗り出してきた。
「メガネ、はずしてあげよう」
ずれていたメガネをそっとはずす。
「まつ毛ながっ!」
「反則だよなあ。この顔で男だなんて」
言いながら、クリストファーも近づいてきた。
「キス、しちゃおうかな」
「な……なに言ってんだ、クリス」
ギルバートは慌てる。
「だって、この顔とキスするってことは、フランシス様とキスするのと同じだぜ。ファーストキスがフランシス様なんて、ぼく死んでもいいくらいだ」
「じゃ、僕も」
「じゃんけんしよう。順番きめようよ」
「バカなことを言うな」
ギルバートは憤慨しながら、ジュリアンのからだを皆からかばうように抱き寄せた。
「ずるいよ、級長ばっかり」
非難するボブを無視して、ギルバートはジュリアンを横抱きにして立ち上がった。
(こんなところに置いておけない)
マリオンが軽々と抱き上げたその体は、ギルバートでもなんとか運べそうだった。
「どこ行くの?」
「ベッドに寝かせる」
言いながら、抱いた姿勢でなんとかドアをあけた。
「ベッドって……、ジュリアの部屋ここだけど……」
自分のベッドにジュリアンを寝かせて、ギルバートはホッと息をついた。
衝動的に連れてきてしまったけれど、これからどうすれば……。
安らかな顔で眠っているジュリアンにそっと布団をかけようとした手が、途中で止まった。
どうすればじゃない。
(確かめたいんだろう?)
自分の中のもう一人の自分が囁いた。
止めた手のすぐ下に、ジュリアンの胸がある。
心臓が早鐘のように鳴り出した。
(これは……、これは……、必要なことだ)
自分に言い聞かせる。
(もしも、この人がフランシス王女じゃなかったら、男だったら、王女は二股をかけられていることになる。だから……確かめなければ……)
だけどもしそうだったとして、自分になにができる?
あのバルトワの王子に立ち向かえるのか?
何ができるわけでもないのに、ひとの秘密を暴くのか?
(いや、違う)
この人はきっと王女だ。
(僕は、この人が不幸な目に遭っていないことを確かめたいんだ)
そっと、パジャマのボタンに触れる。
さらに激しくなった鼓動で、呼吸ができなくなりそうだった。
ボタンをふたつはずしてそっと胸元をひらいたとき、赤いうっ血の痕が目に飛び込んできて、ギルバートは本当に息が止まった。
それが何を意味しているのか、ギルバートにもわかる。
また昨夜の抱擁シーンがフラッシュバックした。
それでも、ギルバートは目をそらせなかった。
その赤い痕が何かの花びらにさえ見えてしまうほどに、透き通るような美しい肌。
その美しさだけでもう確信しているのに、これが男のものであるはずがないのに、魅入られたようにギルバートは手を伸ばした。触れたい誘惑に、どうしても勝てなかった。
花びらに触れ、その下まで手を差し入れる。
心臓は、もう口から飛び出しそうだった。
その自分の心音ではないもうひとつの鼓動を、手のひらが感じた。温かで、なめらかで、やわらかいふくらみとともに。
「マリオ……ン……」
ジュリアンの、いや、フランシス王女の声に、驚いて抜こうとしたその手は、いきなり握りしめられた。
しかし、王女は目を閉じたままだった。
夢の中で、自分の手を恋人のものと間違えたのだろうか。
ギルバートの手を握ったまま、静かな寝息をたてている。
その顔は、とても幸せそうに見えた。
(ここに触れることができるのは、あの人だけだと信じているんだ)
ギルバートは、空いている方の手で王女の手をつかみ、そっと自分の手から離した。そしてパジャマのボタンをしめ、胸の上まで布団をかけてあげる。
不意に、自分の頬をつたった熱いものに、ギルバートは戸惑った。
(なんの涙だ)
王女が不幸じゃないことを確認できて、安心したのか。
(いや、そうじゃない)
ただ、悲しかった。苦しかった。
自分が恋をしているのだと気づいたそのときが、その恋が破れたことを知ったときだった。




