第三話
ギルバートは、生まれたときから聴覚に優れていた。それは、祖父から受け継いだ能力だった。魔術師だった祖父は20年前の魔物との戦いで命を落としており、ギルバートは肖像画でしか見たことがない。
だがこの能力を、ギルバートはあまり便利だとは思っていない。小さい頃はあまりにもたくさんの声や物音が聞こえてきて、頭が混乱することばかりだった。成長した今は、雑音を無視するすべを身につけて多少は楽になったが、それでも聞きたくないことが聞こえてきてうんざりすることはある。その聞きたくないことが、世の中にはなんと多いことか。
陰口を聞きたくなくて、いつしかギルバートは、完璧な優等生でいることが自分の心の平安を守る最善の方法だと信じるようになった。
勉強もスポーツもベストをつくす。困っている人は助ける。悪には勇気を持って立ち向かう。
だから昨夜も、こっそりジュリアンの後を追った。自分の能力が初めて役に立つと思った。
腕力ではショーンにかなわないだろう。それでも、できるだけのことをしようと。
そしてあの会話を聞いた。
怒りで震えだしそうになった。
勝算なんかなくても助けなければ――そう思って部屋に入ろうとしたとき、あの火事騒ぎが起こった。
出てきたジュリアンを見たとき、ギルバートは少し拍子抜けした。
彼は怖がっても、怒ってもいなかった。いやむしろ、ギルバートの方に不満があるように見えた。
そして今日も、何事もなかったように平然としている。
(あんなひどいことを言われて、なぜ冷静でいられる?)
それとも、ショーンの言ったことは当たっているのか?
(パトロンがいるって……)
ついギルバートは、少し離れた場所に立っているジュリアンの横顔をみつめていた。
見ると、目が離せなくなる。
去年の夏、ギルバートはアステラの騎士団の剣術の試合を観に行った。
そのときに見たフランシス王女の美しさを、ギルバートは忘れられない。強いということよりも、きれいだということの方がギルバートの印象に残った。顔はもちろん、剣さばきも立ち姿も、すべてがきれいだった。この世に、こんなきれいな人がいるのかと――。
そのフランシス王女によく似た顔が、視線に気づいてこちらを向いた。
ギルバートは慌てて正面に顔を向けた。赤くなっていないかと気にしながら。
「今からみんなに小さな木片を渡す」
体育館に並んで立っている生徒たちに向かって、コールマン先生が言った。
そして手に持っていた紙袋から小さな木片を取り出すと、隣に回すようにと言って端の生徒に手渡す。
「これは、イストレラの森の木で作った木片で…」
渡しながら先生は言った。
「この学校の理事長であるオリバー・ブロンテ氏の魔力が込められている」
“ブロンテ”と聞いて、生徒たちの視線がジュリアンに集まった。当のジュリアンも驚いた顔をしている。
「そう。フランシス王女殿下のおじい様にあたる方で、そこにいるジュリアンの……、ええと、なんだったか……」
「僕の、祖父の、兄にあたる人です」
「そうそう。それだ」
生徒たちの囁く声が、ギルバートの耳に入ってきた。
「理事長の親戚なんだ」
「えっと……、それってなに? 王女のいとこ?」
「いや、はとこだろう」
「全員に行き渡ったか?」
先生の声に、生徒たちはおしゃべりをやめ、「はい」と返事をした。
「これから教える呪文を唱えると、この木片が光の剣に変わる」
生徒たちがまたざわめいた。
「あ、いや、君たちにはまだ無理だろうが、できるように訓練をしていく」
(こんな木片が、剣に?)
ギルバートは、握ればすっぽりと手の中に隠れてしまう小さな木片をじっと見た。
「いいか、呪文はこうだ。しっかり覚えるように。デラ、ボルデ、ルモア、グラディウス」
最後は、戦の神の名前。
生徒たちは復唱した。
半信半疑ながらギルバートもその呪文を唱えたとき、急に左の方が光った。
「うわっ!」
「すごっ!」
「まじかよ」
全員がその光に注目している。
ギルバートも信じられない思いでその光を、そしてその剣を握っているジュリアンをみつめた。
当の本人も困惑した顔をしている。
「驚いたな」
先生までもがびっくりしていた。
「まさかすぐにできる生徒がいるとは思わなかった」
「すごいな、ジュリア!」
「さすがフランシス王女のいとこ」
「いや、はとこだって」
生徒たちはジュリアンの周りに集まって、そのまぶしい剣を目を輝かせながら見ていた。
ジュリアンもその剣を見ていたが、何も言わない。嬉しそうな顔もしないし、もてはやす級友たちに笑いかけもしない。
(どうしていつも、あんなに冷静なんだろう)
なんだか一人だけ違う世界の生き物みたいだ。
そう思いながら見ていたギルバートの耳に、ショーンのぼやく声が聞こえてきた。
「親戚なら、前もってコツを教えてもらってたに決まってる」
結局、光の剣を出せたのはジュリアンだけだった。
剣を木片に戻す方法は、ただ心の中で「消えろ」と念じるだけだと先生が教えると、今度はすぐにその剣を消してみせた。
彼が使った木片で試してみた生徒もいたが、なんの変化も起こらない。
授業が終わって木片を回収しようとした先生に、ギルバートは持ち帰って自主練させてほしいとお願いして、多数の生徒が同意した。
「絶対に悪用するなよ」
念を押して、コールマン先生は持ち帰りを許可してくれた。
「まあ、そう簡単にできるようになるとは思えないが」
そう言って笑い、生徒たちをがっかりさせる。
先生でさえ、できるようになるまで二か月かかったそうだ。
その日の授業は午前中で終わった。
学校が始まって最初の週末、生徒たちが自宅へ帰れる日だった。
校庭に数台の馬車が止まっている。帰宅する生徒を家族が迎えにきたのだ。
その馬車の列に向かわずに歩いていくジュリアンをみつけて、ついギルバートは追いかけていた。
「家はどこ? 送るよ」
ジュリアンを貧乏人よばわりしたショーンの言葉を真に受けているわけではないが、彼の迎えの馬車は来ていないようだった。
だが振り向いたジュリアンが何も言わないうちに、クリストファーとリチャードが駆け寄ってきた。
「ねえジュリア、明日みんなで釣りに行くんだ。君もおいでよ」
「級長も一緒にどう? 親睦を深めようよ」
ギルバートはジュリアンを見る。
「行かない」
にこりともせずにそっけない返事が返ってきて、ギルバートは言葉が出なくなってしまった。
クリストファーもリチャードも笑顔のまま固まっている。
「さよなら」
すたすたと行ってしまうジュリアンの背中を、三人はしばらく何も言えずに見ていた。
「ジュリアってさ、絶対笑わないよな」
クリストファーが不満そうに言った。
「笑えばもっとかわいいのに」
リチャードもぼやいたとき、三人の視線の先、ジュリアンの行く手に真っ白い馬が現れた。
その美しさに目を奪われているギルバートの耳に、嬉しそうなジュリアンの声が聞こえた。
「ブランカ」
そして白馬に飛び乗ったジュリアンは、もう一度その馬に笑顔で話しかける。
「今日はおじい様のところへ帰るよ」
馬はくるりと回り、校門へ向かって走り出した。
「おい、いま笑ったぞ」
リチャードが言う。
ギルバートも初めてジュリアンの笑顔を見た。
「僕たちは、馬以下ってこと?」
クリストファーが悲しそうにつぶやいた。




