第二話
本気を出せば、時計を取り返すことくらい造作ないことだった。
でも大勢の前でそれはしたくない。
ジュリアン・ブロンテは、フランシス王女と対極の人間でいなければならない。
けれど、一対一なら多少は本気を出してもいいかなと、フランシスは思う。
出さないわけにはいかない。ただの時計ではない、マリオンから初めてもらったものなのだ。
プライドの高いショーンなら、自分に負けたなんて口が裂けても口外しないだろう。いや、もし口外されたとしても、そんなことはしていないとしらを切れば、きっと大半は自分の方を信じるはずだ。
「先生に言うべきだ」と、クリストファーは何度も言った。
「これは泥棒じゃないか!?」
「とにかく、僕も一緒に行く」
食堂でもそう言っていたギルバートは、さっき部屋を出るときに外に立っていて、また同じことを言った。
「さっきも言ったけど……」
フランシスは内心、そのお節介ぶりに困惑していた。
「大事な時計なんだ。怒らせて、壊されたり捨てられたりしたら困る」
そう言ってフランシスは、ついてこようとするギルバートをなんとか押しとどめて、ショーンの部屋の前までやってきた。
ノックをすると、すぐドアが開いた。
「よお、来たか」
上半身タンクトップ姿の大きな体躯が視界をふさぐ。
「ちゃんと一人で来たな。偉いぞ」
ニヤニヤ笑いながら、ショーンはフランシスの肩を抱いて部屋の中へ招き入れ、ドアを閉めた。
部屋の奥のベッドの上に、ダンベルが置いてある。タンクトップからのぞく逞しい筋肉が汗ばんでいるところを見ると、さっきまでトレーニングしていたのだろう。
ダメ人間はふるい落とされるはずなのにと、ショーンのような問題児が入学できたことが不思議だったフランシスだが、その理由が少しわかったような気がする。戦える魔術師は、やはりアステラには必要なのだ。自分を除けば、ショーン以外にその素質がありそうな生徒はいない。みんな育ちのいい優等生ばかりだった。
「いくら?」
フランシスは、ポケットからお金を出そうとした。
「いらねえよ。貴族が平民から金を取れるか」
(なら最初から騒ぐな)
言いたかったが口には出さない。
ショーンは机に向かうと、そこに置いてあった腕時計をつかみ、振り向きざまいきなり投げてきた。
「ほらよ」
かなり強く投げたのに難なくキャッチしたフランシスを、ショーンは意外そうに見た。
「じゃあ、おやすみ」
「待てよ」
さっさと帰ろうとドアノブをつかんだ手を、駆け寄ってきたショーンが後ろからつかんだ。
「その時計、相当高いぞ。なんでお前みたいな平民が入学できたのかわかったよ。金持ちのパトロンがいるんだな」
大きな体を屈めているのか、首筋に息がかかる。
「子分じゃなくていい。俺の女になれよ」
なんとなく、こういう展開も予想できた。
「僕は男だけど」
「なにとぼけたこと言ってんだ。パトロンにやらせてんだろう? 俺だって、男同士でどうやってやるかぐらい知ってるよ。初めて知ったときは虫唾が走ったけど、お前ならいいや」
そして肩をつかんで振り向かせた。
「俺の彼女よりかわいい顔してる。週末しか会えないんじゃ寂しいだろ? 俺がかわいがってやるよ。そしてお前をいじめる奴から守ってやる」
思わず吹き出しそうになる。
(いじめてるのはあんただけだ)
「俺を味方にすれば鬼に金棒だぞ。この学校に一番寄付したのは俺の親だし」
(いや、それは父上だと思う)
「俺より強い奴はここにはいない」
(どこを蹴ろう)
「なあジュリア、お互い楽しもうぜ」
(やっぱりあそこだよな)
そのとき、外で男の大声がした。
「火事だ! 火事だぞ!」
フランシスとショーンは、同時にドアの方を見た。
「みんな早く逃げろ!」
大人の声だった。
「なんだって?」
ショーンはフランシスの体を押しのけてドアを開けた。
そして、そこに立っていたギルバートと鉢合わせして、思わず目を剥く。
「なんだ、やっぱりボディガードつきだったか」
振り向いてフランシスを睨んだ。
「そんなことより、火事って本当だろうか?」
ギルバートも困惑しているようだった。
それぞれの部屋から飛び出してきた学生たちで、寮内は騒然となった。
「声はあっちから聞こえたよな」
言いながらショーンは走っていった。
「とにかく、外に出よう」
ギルバートはフランシスの背中に手をおいて、ショーンと反対の方へ促した。
フランシスはなんとなく不愉快で、ギルバートを見ようとはしなかった。
(あんなに来るなって言ったのに)
親切なのかもしれないし、級長としての義務感なのかもしれないけど……。
(ちょっとうざい)
「うわあっ!」
突然聞こえてきた悲鳴に、フランシスとギルバートは声の方を見た。ショーンの声だった。
フランシスが先に駆け出し、ギルバートもついてきた。
つきあたりを左に折れると、二人はすぐに立ち止まる。視線の先に、上半身泡まみれになってうずくまっているショーンと、放り出された一本の消火器があった。
結局どこも燃えた形跡はなく、火事騒ぎは誰かのいたずらだった。
犯人はおそらくショーンを泡まみれにした人物と同一なのだろうが、翌日になっても誰も名乗り出ないし手がかりもない。
フランシスは犯人が逃げたであろう方向へ行ってみたが、部屋から飛び出してきた学生たちで寮内はごった返していた。
だが、犯人は学生じゃないとフランシスは思っている。
(あれはもっと大人の声だった)
少ししわがれた、どすのきいた声。
「誰だとしても、ショーンの魔の手からジュリアを救ったんだ。正義の味方だよ」
クリストファーは火事だと聞いて一目散に外へ逃げ出したらしく、現場を見てもいないのに得意気に話題の中心にいた。
もはやフランシスは、名前の訂正をする気にもならない。
「ざまあみろだよな。泡まみれになって腰を抜かしたんだぜ」
「おい、クリス」
机に座って嬉しそうに言うクリストファーの肩を、リチャードが後ろから叩いた。
後方の扉からショーンが入ってくるところだった。
クリストファーは慌てて机から下り、席についた。
ショーンが自分の席へと歩いている間、教室内は水を打ったように静まり返っていた。が、我慢できなくなった誰かが、クスクス笑いだす。
「誰だ!? いま笑ったの」
ショーンは立ち止まって見まわした。教室内はふたたび静まり返る。
「いいか!? いま笑ったやつも、ゆうべふざけた真似しやがったやつも、覚悟しとけよ! 俺を敵にまわしたことを絶対後悔させてやる! 痛い目に遭いたくなかったら、犯人知ってる奴はすぐ俺に……」
「騒々しいぞ。早く席に着きなさい」
教師のマイケル・コールマンが厳しい顔つきで教室に入ってきた。
ショーンは舌打ちしながら席に着いた。
「今日の一限目は実技の授業をする。今から体育館に移動!」
生徒たちは歓声を上げた。魔術の歴史やら理論やら、退屈な授業に大半の生徒たちが飽き飽きしていたのだ。




