第十四話
アステラに雪の季節が訪れた。
遅かったと言ったオリバーの言葉のとおり、グレース王妃は季節が変わっても目を覚ますことはなかった。時折目を開けることはあっても、そこには何も映ってはいないようだった。
あの嵐の夜の王妃の錯乱ぶりは、使用人たちの間でも知れわたっていた。
だから彼らはこの状況を、さほど憂いてはいない。表立って口にはしないものの、きっとばちが当たったのだと彼らは陰で囁きあった。ほぼ全員がフランシスに同情していた。
だがただひとつだけ、彼らの心を痛めることはあった。
もう一人の王女パトリシアの顔から、笑顔が消えてしまったのだ。
「ご苦労だな。これならサンタの私も楽に通れる」
城の庭の雪かきをしていた騎士団の男たちは、その声に顔を上げた途端、全員が唖然としてしまった。
真っ赤な衣装を着たサンタクロースがそこに立っていた。だがよく見ると、見覚えのある顔だった。
「カイルさん!」
真っ先にディーンが気づいた。
「……と、いうことは……」
彼らの視線の先に、馬車から下りてくるマリオンの姿があった。帽子も毛皮のコートも、全身黒づくめだった。
「いらっしゃるなんて、聞いてませんでした」
「サンタクロースはこっそり来るものだろう?」
カイルはディーンにウィンクして見せたが、そのカイルの全身をディーンは同情するような目で見た。
「相変わらずこき使われてるんですね」
「人聞きの悪いことを言うな、ディーン」
近づいてきたマリオンがディーンを睨んだ。
こっちも相変わらず、一部の隙もないくらいいい男だなと感心しながら、ディーンは深々と頭を下げた。
「ようこそいらっしゃいました、マリオン殿下。すぐにフランシス様に知らせてきます」
「おい待て」
駆け出しそうだったディーンをマリオンは止めた。
「カイルが言ったろう。サンタクロースはこっそり来るものだって」
温めたココアを運んできたマーサは、フランシスの部屋の前で止まり、ドアをノックした。
そして後ろにいるマリオンとカイルの方を振り向いて、得意げな笑みを浮かべる。まかせてください、とでも言うように。
「はい」という声を聞いただけで、マリオンの胸は高鳴った。
二か月ぶりの再会だった。
「フランシス様、温かいココアをお持ちしましたよ」
言いながら、マーサが部屋へ入っていく。
少しだけ開いた扉の隙間から、懐かしい金髪が見えた。
「少し休憩なさってください」
「うん、これだけ終わらせる」
「フランシス様はきっと大丈夫ですよ。お勉強を教えたオリバー様が、賢い子だって褒めてましたもの」
そのやりとりを聞きながら、(受験するって本当だったのか)とマリオンは思った。
何度か手紙のやりとりをしたが、フランシスの手紙は悲しくなるくらい事務的だった。まるで天気の話でもするように、16歳まで結婚できないとか、来春魔術師養成学校を受験するとか言ってきた。
自分は毎回熱烈な愛の言葉を書き連ねているというのに。
「ねえフランシス様、今日はクリスマス・イヴですよね」
「うん」
「オリバー様が、今年は一緒に過ごせないから、代わりに私が魔法を使えるようにしてくださったんです」
「へえ」
フランシスは、机に向いたまま顔を上げなかった。
「フランシス様がいま一番欲しいものを、私が用意してみせますよ。なんでもおっしゃってください」
「本当?」
声が笑っていた。
「何が欲しいですか?」
フランシスは、温かいココアを一口飲んでから言った。
「猫」
颯爽と登場しようと襟を直していたマリオンは、その言葉にがっくりと膝をついてしまった。「何が欲しい」じゃなくて、「誰に会いたいか」と聞かせるんだったと後悔しながら。
頭上で、カイルが声を殺して笑っていた。
「真っ黒い猫が欲しい。そしたら、マリオンって名前をつけて……」
「俺の名前をつけていじめるのか?」
フランシスがびっくりして立ち上がった。
「それとも、芸でもしこむか?」
言い終わらないうちに、フランシスが駆け寄ってきてマリオンの体に抱きついた。
「あらあら」
マーサは、少し赤くなった自分の頬をおさえた。
「俺は猫以下か」
そう言いながらも、こんなにあからさまに再会を喜んでくれたことで、事務的な手紙も猫以下にされたことも許せるマリオンだった。
「だって、マーサが本当に魔法を使えるなんて思えなかったもの」
カイルがコホンと咳ばらいをした。
「マーサさん、我々はあっちでお茶でも飲みましょう。マーサさんへのプレゼントもちゃんと用意してありますよ」
「カイル」
マリオンは、フランシスを抱きしめたまま言った。
「黒猫をみつけてこい」
「はい?」
「マーサを嘘つきにするわけにはいかない。今日中と言いたいところだが、特別明日まで待とう」
そしてマリオンは振り向いた。
「頼んだぞ、サンタ」
「わ……わかりました」
「待って、カイル」
うなだれて出ていこうとしたカイルを、フランシスが呼び止めた。
カイルは嬉しそうに振り向く。
「ですよね。無茶言うなっておっしゃってくださいよ、フランシス様」
「姉上の分の白猫も」
カイルとフランシスの声が重なった。
カイルはまたうなだれた。
二人が出ていくと、マリオンは待ちきれなかったようにフランシスの両頬をおさえ、唇を重ねた。
二か月ぶりのキスは、ココアの味がした。
すぐに顔を離し、ソファへといざなう。
どんなに体を曲げても、どんなに背伸びをさせても、この身長差で立ったままのキスは楽じゃない。
ソファに並んで座って、もう一度ココアの味を堪能する。今度は時間をかけて。
長いキスを終えても、マリオンはフランシスの肩を抱いたままでいた。
「ごめんな。なかなか来れなくて」
「うん」
強がりが得意な恋人は、口が裂けても「寂しかった」とも「会いたかった」とも言わない。
それでも、こうして寄り添っていてくれるだけで十分だった。
「まさか、ジェイソン国王に反対されるとは思わなかったな」
「言ってることがいちいち正論すぎて、何も言い返せなかった」
「だめでも言い返してほしかったぞ。15歳になったら子供をつくりたいんだろう?」
「結婚を待てって言われただけで、子供をつくるなっては言われなかったよ」
「当たり前だろう! 結婚と子づくりを別に考える親がどこにいる」
フランシスは、フフ……と笑った。
「でも僕が譲歩したから、願いを聞いてくれた」
「それだよ!」
マリオンは強い口調で言うと、フランシスの両腕をつかんで自分から離し、向かい合った。
「お前、俺との結婚と学校へ行くこととどっちが大事なんだ」
「どっちって言われたって……。別に天秤にかけたわけじゃないよ。学校へ行こうと行くまいと、許してもらえなかったんだから」
「だからって、全寮制の男子校だなんて……。狼の群れの中に入る羊みたいなもんじゃないか」
「僕が羊だと思う?」
「そりゃ、そうは思わないが、女だってこと隠し通せるのか?」
「そのために、父上に頼んで全室シャワー付きの寮にしてもらった。そうでなくても寄付がたくさん集まってるらしいよ。魔術師が減ってしまったことは、この国では深刻な問題なんだ」
マリオンは大きなため息をついた。
「そんなに行きたいか?」
「うん」
フランシスは頷いた。
「独身最後の思い出づくり……かな」
なぜかフランシスは、マリオンから目をそらして言った。
なんだかとってつけたような理由に思えるのは、気のせいだろうか?
思い出づくりならもっと違うことをしたいと思わないのだろうかと、納得できないでいる自分の偏見だろうか?
それでなくてもなかなか会えないのに、全寮制の学校なんかに行かれたらますます会えなくなる。
「それに……僕ももっと勉強すれば、おじいさまのような魔術師になれるかもしれない。治癒の魔法とか、読心術とか……」
「そ、それだけはやめてくれ!」
急に慌てだしたマリオンに、フランシスは驚いた目を向けた。
「何ができるようになってもいいから、読心術だけはやめてくれ。そんなことができるようになったら、俺はお前に近づけなくなる」
その慌てぶりに困惑した表情のまま、それでもフランシスは頷いた。
「わかった」
本当にわかっているのかと、マリオンは心配になる。
会うたびに美しくなっていくこの恋人を見る男たちが、心の中でどんな妄想をしているか。
(そんなことが読めるようになった日にゃ、お前はきっと人間不信に陥って外に出られなくなるぞ)
それなのに、男子校に行くなんて。
さっさと正体がばれて退学になればいいと、ついマリオンは思ってしまった。いやその前に、試験に落ちれば……。
「受験勉強は順調なのか」
「まあね」
「国王の推薦まであるのに、さらに試験が必要なのか?」
「ダメ人間が変な力を身につけたら大変だから、いろいろ厳しいらしい。それに、僕は父上じゃなくて、おじい様に推薦してもらうんだよ」
「え、なんでだ? 国王の推薦ほど強力なものはないだろう」
「強力じゃダメなんだよ。僕は目立ちたくない。無口で、内気で、陰気なキャラクターになるんだ。誰にも正体がばれないように。髪を染めて、名前を変えて、眼鏡をかける。試験もできれば下の方の成績で合格したいんだけど、それはちょっと難しいかな。手を抜きすぎて落ちちゃったら大変だから」
楽しそうに言うフランシスを、マリオンは不思議なものでも見るような目で見た。
(そんなことをしてまで思い出をつくって、何が楽しいんだ?)




