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最強のプリンセス  作者: 雨宮佳奈子
第二章 海と祭りと王女の涙

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第六話

 響かないように、マリオンはそっとドアをノックした。

 返事はない。

 聞こえなかったか。それとももう寝たのか?

 後で部屋を訪ねるからと、夕食の後にフランシスに耳打ちした。

 だからこれは、決していつかの夜のように不意打ちではない。ないはずなのに、それでもマリオンは恐る恐る扉を開け、どこかに潜んでいないかと慎重に左右に目を走らせた。

 そして扉を閉めると、死角だったその裏から飛びかかってこないかと、パッと身構える。

 もちろんそんなことは起こらない。

 ただ、ベッドにその姿がないのは、あの夜と同じだった。

 バルコニーに通じる窓が開いていて、夜風がカーテンをなびかせている。

 歩み寄ると、手すりに体を預けて外を見ている背中が見えた。

 今夜もサックスブルーのパジャマを着ている。

 さっきの間抜けな姿を見られないでよかったと苦笑しながら、マリオンは隣に並んだ。

「星がきれいだよ」

 マリオンの方は見ずに、フランシスは言った。

「そうだな」

 マリオンも、手すりに両腕をのせて星空を見上げた。

 どこかから、虫の声がする。

「いっぱい悩ませたな」

 マリオンは、柔らかいブロンドにそっと手をのせた。

「今も、悩んでるよ」

 フランシスは、手すりの上の腕に顎をのせる。

「僕が男になったらどうするの?」

「そうだな……。一晩中泣いて、一週間何も食えなくなって、一か月は落ち込むだろうな」

 それでも、なぜか笑顔だった。

「でもきっと、変わらずお前を好きでいるんだろうな」

 フランシスはやっとマリオンの方を見た。

「俺はたぶん、いや、俺だけじゃないかもしれないが、お前のことを男だとも女だとも思ってないのかもしれない。形式上、どっちかに決めなきゃならないから女って言ってるけど、俺の中ではただの女じゃなくて、何か別の…」

「別の?」

 獣って言ったら怒るだろうなと、ちょっと考えた。

「ほら、猫って、オスだろうとメスだろうと愛らしいじゃないか」

「猫か……」

 フランシスも口元がほころんだ。

「お前はきれいだけど、たとえば、“あたし”って言ったり、“好きよ”とか、“愛してるわ”なんて言ったら、なんだか気色悪いような気がするんだ」

「はは、死んでも言わない」

「だから、男になっても、たまにはキスさせてくれよ」

 笑顔が、少し強張った。瞳が揺れたが、目はそらさない。その目元がほのかに赤らむ。

 求めているものは同じなのだろう。

 そう思って顔を近づけ、口づけた。

 顔を離すと、フランシスはうつむいた。

「でも僕は…もう男にはなれないような気がする」

 少し悲しそうな声だった。

「男の人を好きになったら、心まで女になってしまいそうで、それが怖かった。でも、あなたを失うことの方がもっと怖いって、今日わかったんだ」

 マリオンは、驚かずにはいられない。

 それでは、クロディーヌの存在を実は相当意識していたということか。

(お手柄じゃないか、パティ)

「それに、女であることの意味も、今日はじめてみつけた」

 そしてフランシスは顔を上げ、マリオンをみつめた。

「僕は、王后陛下のような母親になりたい」

 マリオンは思わず目を見開き、何度も瞬きをした。

「男の体よりも、もっと欲しかったもの。どんなに欲しくても、絶対手に入らないと思っていたもの。でも、自分がそれになればいいんだって……、なれるんだって……」

「フランシス……」

「そしたらきっと……、きっと、僕がこの体に生まれてきたことを受け入れられる。僕は、あなたのお母さんのような母親になりたい。あなたの……子供を産みたい」

 愛おしさがこみあげて、マリオンはフランシスを抱き締めた。

 子孫を残すことは義務だと説得した日もあったけれど、それはすべてこの愛しい人を手に入れるための手段に過ぎなかった。それが本当に、義務ではなく自分の子供が欲しいと思ってもらえる日が来るなんて……。

 けれどもそうやって、自分の存在意義を探さなければ耐えられなくなるほどの、苦悩の連続だったであろう彼女の人生を思う時、哀れみで胸が締めつけられそうだった。

 ただ、存在してくれるだけでいいのに。それだけでいいのに。

「だから、いいよ、マリオン。覚悟はできてる」

 マリオンの胸の中で、フランシスは言った。

 ただ単純に、初めて体を許すことへの覚悟という意味だけではないだろう。あの拉致された夜の恐怖を思い出すかもしれない。それでも耐えると言ったのだ。

「嬉しいよ、フランシス」

 マリオンは、抱きしめる手に力を込めた。

「嬉しいけど、でも、そういうことをしようと思ってここへ来たわけじゃない。ただそばにいたかったんだ。お前の体は子供を産むどころか、男を受け入れるにはまだ幼すぎる。今は、そう思ってくれただけで十分だ。だけど、そうだな……」

 マリオンはそう言うと、いきなりフランシスを抱きあげた。

「ちょっといい気持ちにさせてやろう」

 そして、目を丸くしているフランシスをベッドまで運ぶ。

「女に生まれてよかったって思わせてやる」

 ベッドの真ん中に座らせ、自分もその正面に座り、着ていたナイトガウンを脱いだ。

 目の前に現れた逞しい体を、フランシスはじっとみつめていた。見惚れていることを隠しもせずに。

「こういう体になりたかった」

 マリオンは少し自慢げな笑みを浮かべた。

「今日からこの体はお前のものだ」

 そしてフランシスのパジャマのボタンをはずす。

「そして、お前の体は俺のものだ」

 パジャマを脱がせ、露わになった白い素肌に、マリオンはさっきのフランシスのように見惚れた。

「きれいだ。フランシス」

 その言葉に、不快な表情をしたあの日の少女はもういない。

 頬を染めてうつむいたフランシスの手を、マリオンはそっと取った。

「まずは、ここから」

 数時間前に、マークが口づけた場所にキスをする。そして、細い指を一本ずつ口に含む。

 最後の小指から唇を離して顔を上げると、なんでそんなことをするんだと不思議そうな目で見ていた。その顔がかわいくて、もう一度唇を重ねた。

(どこまでわかっているだろうか)

 この体のすべてを、誰にも触れさせたくないと思っていることを。誰かが触れた痕跡を、この唇で消してしまいたいと思っていることを。

 どんなに愛情を注いでも、どんなにキスをしても、あの夜に受けた心の傷を消してあげることはできないかもしれない。

 でも、教えてあげたかった。本当に愛した女を、男はどんなに大事にするか。どんなに優しく触れるか。

 侵入してきた舌に驚いて、フランシスの唇が少しだけ離れた。

「口をあけて」

 息がかかる距離でそう言うと、その唇は素直に開いた。

 もう一度唇を重ね、彼女の歯列に、そして舌に触れる。

 ひとしきり大人のキスを教えてあげた後、ゆっくりとその体をベッドに横たえさせた。

 みつめると、なぜか瞳が濡れていた。熱にうかされたような顔をしている。

 その頬に、耳に、首筋に、肩に、優しくゆっくりと唇を這わせた。その唇がやわらかな胸まで下りていくと、フランシスは小さな声を上げた。

 愛撫しているのはマリオンの方なのに、そのなめらかな白い肌が、髪の香りが、桜色に染まった頬が、潤んだ瞳が、柔らかい唇が、甘い吐息が、腕に食い込む指の強さが、そして何より自分の名前を呼ぶその声が、マリオンを極上の快楽へといざなってくれた。

(やっと手に入れた)

 俺の美しい獣。

 俺の天使。

 俺の女神。

(絶対に離さない!)


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