第四話
「マリオン!」
クロディーヌの抗議の声など、耳に入らなかった。
こちらを向いたフランシスと目が合う。
正面から見ると、何から何まで完璧な気品のある令嬢だった。
このレディが、数日前血まみれになって一太刀に男を殺したなどと、誰が信じられるだろう。
マリオンはマークを押しのけた。
「失礼。この子は俺のなんだ」
マークどころか、広間のほとんどの人々がその王子の剣幕に驚いてこちらを見ている。
マークから守るようにフランシスの肩を抱くと、マリオンは王妃に抗議の目を向けた。
「どういうつもりですか、母上」
王妃は、さっきからずっと笑顔のままだった。
「あら、今夜の舞踏会はあなたの争奪戦だって聞いたのよ、マリオン。だったら、フランシスを除け者にするのはフェアじゃないわ」
「僕は別に、除け者にしたわけじゃ……」
「ねえ、どうして音楽が止まってしまったの?」
王妃は息子の言葉を無視して、楽団の方に目を向けた。
全員が踊るのをやめてしまっていたので、楽団のメンバーまでもが手を止めてこちらを注目していたのだ。
「も、申し訳ありません、陛下。さ、早く、音楽を」
モーガン侯爵が慌てて指揮者に指示する。
音楽が再開されると、王妃はまたにこやかに息子に目を向けた。
「踊ってらっしゃい。私は久しぶりに会ったご婦人たちと、少しおしゃべりしてくるわ」
去ってゆく王妃にもっと言いたいことはあったが、それよりもこっちだ、と思いながらマリオンはフランシスを見た。
気まずそうに目をそらしている。
(ある意味犠牲者か)
そう思いながらため息をついた。
「母上の着せ替え遊びにつき合わされたのか」
「どうしても、今のうちに僕のドレス姿を見たいって。目の病気を患ってらっしゃるから」
「目の病気?」
(聞いてないぞ、そんな話)
そしてマリオンは、チラチラとこちらに送られてくる好奇の視線を痛いほど感じながら、なるべく自然に振る舞おうと試みた。
「とにかく、踊ろう。こんな機会は、もう二度とないかもしれないんだから」
そう言ってフランシスの手を取った。
「僕は、女性側の踊りはできない」
「大丈夫だ。俺がリードしてやるから」
そしてマリオンは、ためらっているフランシスの背に手をやって、強引に踊り出した。
「そう、力を抜いて。大丈夫、うまいじゃないか。お前は身体能力はずば抜けてるんだから、ダンスくらい……」
褒めたとたん、フランシスはドレスの裾を踏んで前のめりによろけた。
その体を抱きとめながら、マリオンは苦笑する。
「だいたい、踊れないならなんでマークの誘いを拒まなかったんだ」
穏やかに言うつもりだったが、さっきの光景を思い出した途端、つい責めるような口調になる。
「今みたいによろけたら、あいつに抱きしめられるところだったぞ。……って言うかその前に、あいつお前の手にキスしてたな。俺以外の男に触れられるのは嫌なんじゃなかったのか」
「慣れろって言ったのはあなただ」
「あー、いやそれは、男のいやらしい目つきに慣れろって言ったんであって、拒めるものは拒めよ」
「どっちを選ぶのか見てみたかった」
一瞬、意味がわからなかったマリオンだが、
「ああ」
と振り向いて、すっかり忘れていたクロディーヌの姿を探した。
壁際に立って、怖い顔でこっちを見ている。
「そんなの、お前を選ぶに決まってるだろ」
「僕は、大人の色気もないし、包容力もない」
マリオンは思わず笑ってしまった。
(なんだ、パティの作戦も効果あったんだ)
「そんなのいらないさ。これ以上魅力的になったら、俺が困る」
「おまけに、僕は姉上よりもさらに年下だ」
「フランシス、あれはお前にやきもちを妬かせようとしたパティの作戦だったんだ」
ため息が聞こえた。
「そんなことだろうと思った。あなたたち、変だったもの」
「でも、少しは妬いたか?」
「まさか」
「妬いたから、こんな格好でここへ来たんだろ?」
「僕と知り合う前にあなたが誰と何をしようと、そんなのどうでもいい」
「そうか」
「でも、これから浮気したら許さない」
「そうか」
笑いかけて、マリオンは動きを止めた。
「今、なんて言った?」
覗き込んだ顔は少し赤らんでいる。頬紅のせいだけではないはずだ。
「王后陛下が……」
「おい、話を逸らすな」
「目が見えるうちに、ウェディングドレス姿も見たいって」
さらに赤く染まる横顔をみつめながら、マリオンの鼓動は早鐘のようになった。
「おい、それって、俺と結婚するってことか?」
フランシスは、横を向いたままこっくり頷いた。
「僕は……、ただの一度も、母上に親孝行ができなかったから」
その言葉に、快哉を叫びそうになったマリオンの心は少しクールダウンした。
「お前、母上のために俺と結婚するのか?」
「それから……」
マリオンは固唾を飲んで次の言葉を待つ。
「姉上が、僕のために一生懸命になってくれてるから。僕のせいで、傷ついているはずなのに」
落胆する気持ちを必死に隠し、心の中でため息をついた。
(まあ、しょうがないか。政略結婚でもなんでもいいって言ったのは俺の方だし)
そして近くを通ったバーテンに声をかけた。
「シャンパンとオレンジジュースを」
その声と、フランシスの小さな声が重なった。
「なんだって?」
慌てて振り向いた。
“好き”という言葉が、確かに聞こえたような気がする。
「二度も言いたくない」
「おい、意地悪するなよ」
「意地悪なのはあなただ」
「は?」
「僕を追い詰めて……、僕を苦しめて……」
うつむいたままのフランシスの声が、かすかに震えている。
「苦しくて……、毎日、苦しくて……」
「フランシス……」
「僕が、どんどん僕じゃなくなっていく……。会わなきゃよかった……。あなたになんか……、あなたになんか……」
「フランシス、なぜ泣く」
上を向かせようとした手を振り払われた。
「どうして、あなたは男なんだ」
支離滅裂なことを言われていると思った次の瞬間、胸を叩くこぶしと一緒にその言葉は飛び込んできた。
「僕が初めて好きになった人なのに」
喜びよりも、愛しさよりも、憐憫の気持ちが真っ先に湧いて、マリオンの心を占めた。
(そうか。女の体と男の心を持つお前にとって、恋愛ほど困難なものはないんだな)
自分の想像など遥かに及ばないくらい。
男と女、どちらを好きになっても苦しみ悩むだろう。
けれどもフランシスは、男でありたかったのだ。男を好きになるということは、自分が守ってきた最後の砦が崩れるようなものなのだろう。
(政略結婚という言葉は、フランシスにこそ必要だったんだ)
国のため、マリオンの母のため、姉のため、そういう理由を並べることで、認めたくない自分の気持ちから目を逸らしたかったのだ。
(それでも、好きだって言ってくれた)
涙が出そうになって、マリオンは自分の胸を叩いているフランシスを抱き締めた。
「ごめんな、男で」
いつの間にか、また音楽が止んでいる。
きっと、みんなこっちを見ているだろう。
「ごめんな、苦しめて」
かまうもんかと思いながら、手を止めたフランシスの顎をそっと掴んだ。
「そして、ありがとう」
上を向かせて、唇を重ねた。
ざわめきが起こる。
それが静寂に変わるまで、マリオンはキスをやめなかった。
やがて唇を離すと、マリオンは、案の定こちらを注目している人々を見回した。
視線の色は様々だった。
驚き、怒り、悲しみ、妬み……、けれども、若いカップルを祝福する暖かい目も少なくない。
パトリシアは泣いていた。
いつの間にかその隣に立っている母は、嬉しそうに微笑んでいる。
「みんな、紹介する! アステラの、フランシス・ブラッドリー王女殿下。俺の妻になる人だ!」




