第二話
ある日の朝食の後、紅茶を飲みながらカトリーヌ王妃が言った。
「あなたたち、パーティー用のドレスは持ってきてある?」
ニコラス国王はいつもせわし気に退席するが、王妃は若者たちの会話に加わりたくて、こうして一緒にお茶を飲むことが多い。
「私は持ってきたけど、フランシスはドレスは着ませんよ。男の子だから。ね!」
パトリシアがフランシスに笑いかける。
「はい」
フランシスが頷くと、王妃は悲しそうな顔をした。
「まあ、残念だわ。こんな時くらい女の子になればいいのに」
「こんな時って、何かあるんですか? 伯母様」
「今夜、モーガン侯爵のお邸で舞踏会があるのよ。招待状が届いていたわ。三人で行ってらっしゃい」
「モーガン侯爵って言ったら、クロディーヌのところね。私、何度か会ったことがあるわ」
「クロディーヌには確か弟がいたな。なかなかハンサムだったぞ。君の花婿候補にちょうどいいんじゃないか、パティ」
「いやよ、クロディーヌの弟なんか。私、彼女に何度も睨まれたことがあるわ。どうしてだと思う? フランシス」
不思議そうな顔をしたフランシスに、パトリシアは横目でマリオンを見ながら言った。
「彼女はマリオンにぞっこんだから」
マリオンは思わずお茶を飲む手を止めてフランシスを見ると、ちょうど目が合った。先に目をそらしたのはマリオンの方だった。
「へえ、そうなのか?」
「何をとぼけてるのよ、マリオン! あなた、何回浮気したの?」
マリオンは、口にふくんだ紅茶を思わず吹いた。
「な、何を言い出すんだ、パティ!」
「あら、別にいいのよ、マリオン。あなたは私を子供扱いしてキスもしてくれなかったけど、男盛りのあなたが婚約者がいるからって他の女性に手を出さないでいられるなんて、私だって思ってなかったもの」
「そうね、確かにあなたに会いにくる女性の中では、クロディーヌが一番美人かもしれないわね」
「母上!」
「おまけにグラマーだし。くやしいけど」
「でも私は、クロディーヌよりあの子の方があなたは気に入ってるんだと思ってたわ。ほら、なんて言ったかしら、あの可愛い子」
「母上、その話題は今ここですることですか」
「でもね、伯母様。私が今まで見た中で一番きれいだと思ったのは、ドレスを着たフランシスよ」
突然、全員の視線が自分に向いて、フランシスは戸惑った顔をした。
「あら、ドレスは着ないんじゃなかったの?」
「一度だけ、私が着せてあげたことがあるの。本当にきれいだった」
マリオンは、話題が変わったことに心底安堵していた。
「そう。見たかったわ」
王妃は本当に残念そうだった。
「私ね、伯母様。マリオンとの婚約が破談になってフランシスを恨んだこともあったけど、あのきれいなフランシスを見た時、マリオンが選んだのがこの子で良かったって心から思ったのよ」
パトリシアの横顔を見ていたフランシスは、やがてうつむいた。
ああ、またあの表情だとマリオンは思った。
困っている。戸惑っている。どうしていいかわからなくなっている。
場所を変えて二人だけで話そうーそう言おうとしてマリオンが席を立った時、ノックの後に侍女が入ってきた。
「クロディーヌ様がお見えになりました」
「まあ、なんてタイミングかしら」
目を丸くしているパトリシアの腕を、マリオンがつかんだ。
「君も来い。一緒に出迎えよう」
廊下へ出るなり、マリオンはパトリシアの両腕を掴んで自分の方を向かせた。
「いいか、余計なことを言うんじゃないぞ、パティ」
「余計なことって?」
「さっきみたいなことだよ。クロディーヌが俺にぞっこんだとか、俺が浮気したとか、なんであんな話をフランシスの前でするんだ。いくら俺に仕返ししたいからって…」
「仕返しじゃないわ、マリオン。むしろあなたのためよ。これはジェラシー作戦なの」
「ジェラシー作戦?」
「そう。女の子はね、誰かに取られそうになった時に、初めて自分の恋心に気づくものなのよ」
一瞬ばかげたことを言い出したと思ったマリオンは、しかしパトリシアのその言葉に反論できなくなる。
「だから、いい? マリオン。フランシスの前で、クロディーヌにフランシスを好きだって言っちゃ駄目よ。クロディーヌの方を立てて、フランシスを慌てさせるの」
「慌てる…かな?」
「あなたを好きならね」
「好きだと思うか?」
「あの子たぶん、いろいろ悩んでるんだと思う。だから私言ったのよ。マリオンを好きなら、私に遠慮しなくていいわよって」
「そしたら?」
マリオンはつい、真剣な声を出していた。
「困った顔で黙ってるから、あなた以外の人がマリオンと結婚するなんて、絶対に嫌だからねって…」
そこでパトリシアは言葉を止めた。
その視線を追って振り向くと、「絶対に嫌」な相手が歩み寄ってくるところだった。
「こんにちは、マリオン」
クロディーヌが、晴れやかな笑顔と明るい声で挨拶してきた。
少し胸元のあいた、クリーム色のドレスを着ている。パトリシアよりももっと濃い栗色の髪に、緑色の瞳。口元の小さなほくろが印象的な女性だった。
「こんにちは、クロディーヌ」
ばつが悪そうな顔をしているマリオンより先に、パトリシアが笑顔で答えた。
「やあ」
遅れてマリオンも強張った笑顔をつくる。
「まあ、パトリシアもいらしてたのね」
クロディーヌの笑顔も少しひきつっていた。が、すぐにマリオンの方に顔を向ける。
「舞踏会の招待状ご覧になった? お返事を伺おうと思って」
「喜んで伺うわ。三人で」
「三人?」
クロディーヌが怪訝な顔でパトリシアを見た。
「こっちへいらして、クロディーヌ。妹を紹介するわ」
そしてまだ困惑しているマリオンを無視して、パトリシアはクロディーヌの手を引いた。
部屋へ戻ると、ちょうど王妃が立ち上がったところだった。
「王后陛下、こんにちは。ご機嫌いかがですか?」
クロディーヌは両手でドレスをつまんでお辞儀した。
「こんにちは、クロディーヌ。私はこれで下がりますから、若い人同士ゆっくりなさってね」
そして後ろに立っているフランシスの方を振り向いた。
「じゃあ、後でね。フランシス」
「はい」
横を通り過ぎていく王妃を、マリオンは怪訝そうに見た。
「後でって?」
「今日は、フランシスを私に貸してちょうだい、マリオン」
「いいですけど、何を…」
「いろいろね」
楽しそうな微笑を浮かべて、王妃は出て行った。
「クロディーヌ、紹介するわ。私の妹のフランシス」
背後から聞こえるパトリシアの明るい声が、なぜか嵐の前触れのように思えながらマリオンは振り向いた。
「はじめまして」
笑顔で挨拶するフランシスを見るクロディーヌは、笑い返すことができずにいた。
「妹? 弟じゃなくて?」
「妹よ。でも弟だと思ってもらってもいいわ。フランシスは、女の子にも男の子にもなれるから」
クロディーヌはますます困惑した表情になった。
「僕はアステラの騎士なので、男として暮らしてるんです」
「騎士? だって、あなた…」
「いいから座って、クロディーヌ。ほら、マリオン、突っ立ってないで、ちゃんとクロディーヌをエスコートしてあげなさいよ」
「あ、ああ…」
マリオンは歩み寄ってきて、クロディーヌのために椅子を引いてあげた。
メイドが新しい紅茶を運んできてテーブルに並べる。フルーツがたくさんのったケーキも用意された。
「ねえ、私たちが破談になった噂は聞いたでしょう? クロディーヌ」
「え、ええ、まあ…。でも、まだ仲が良さそうじゃない」
「ええ、仲良しよ。いとこ同士ですもの。でも結婚は別。どうしても許せなかったの。マリオンがあなたと浮気したこと」
マリオンは再び紅茶を吹いた。
「マリオン!」
クロディーヌが真っ赤な顔で立ち上がった。
「秘密にしようって言ったのはあなたの方なのに!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、聞いてくれ、フランシ…、痛っ!」
フランシスの名前を出した途端、パトリシアに思いっきりふくらはぎを蹴られた。
「わかるよ」
涼し気な声に、痛みで伏せた顔をマリオンはすぐに上げた。
フランシスがにっこり笑ってこっちを見ている。
「男の性、だよね」
そしてフランシスは、クロディーヌの方を見た。
「美しいものは、自分のものにしたくなる」
いつかのマリオンのセリフを真似ながら、フランシスはクロディーヌをみつめていた。
クロディーヌの頬が見る見る染まる。美少年に口説かれたような錯覚に陥っているのだ。
なんだこの展開は、とマリオンがますます困惑していると、パトリシアがコホンと咳ばらいをした。
「まあ、そうね、クロディーヌは確かに美人よね。でも、ただ美人だからってだけで私を裏切ったの? ほかにも理由があるんでしょ」
そう言ってじっとマリオンをみつめる。
「クロディーヌのどこがそんなに良かったの? もう怒らないから教えて。私、今後のために参考にしたいの」
目が笑っていない。
「ねえ、マリオン」
早く言え、と、その目が圧をかけてくる。
「そう…だな…。大人の色気…と言うか、包容力と言うか…」
「ああ、なるほど。それは確かに私にはない魅力ね」
「ねえ、パトリシア。許してちょうだい。あなたたちは年の差がありすぎたのよ。マリオンから見たら、あなたはまだほんの子供だもの」
「僕はこれで失礼します」
突然フランシスが立ち上がった。
「王后陛下と約束があるので」
立ち去ろうとするフランシスを、クロディーヌが立ち上がって呼び止めた。
「舞踏会でお待ちしてるわ」
「僕は行きません」
「え?」
三人は、そっくり同じ表情で同時に言った。
「ドレスを持っていないので」
「あら、いっそ男装でいらして。女の子たちがきっと喜ぶわ」
そう言いながらフランシスについて歩いていくので、マリオンは聞こえないだろうと思ってパトリシアに小声で聞いた。
「慌てたかな?」
「慌てたと言うより、怒ったかも」
「そうか? 全然普通に見えたぞ」
「本心を隠してクールにふるまうのは、あの子の得意技だから」
「なるほど」
「もうひと押しよ、マリオン」
クロディーヌが戻ってきた。
「何を話してたんだ?」
「マリオンと結婚するんですかって聞かれたから、私たちのことはきっと噂になるから、責任を取ってもらわないとって言ったの」
クロディーヌは恥ずかしそうにうつむいていたので、マリオンの青ざめた表情には気づかなかった。
「そしたら、お幸せにって」




