第十九話
アステラ城の地下牢で、マリオンはスティーブと対峙していた。
椅子に縛り付け、自分もまた椅子に座って足を組み、元は端正だったはずの痣だらけの顔をにらみつけていた。
牢の外にはカイルが待機している。
「全部はなせ。そしたら命だけは助けてやろう」
スティーブは黙ってうつむいている。
「それとも拷問を受けたいか」
本当はすぐにでも嬲り殺したかったが、マリオンには確かめなければならないことがたくさんあった。
しばらく沈黙が続いた。
「カイル、鞭を」
振り向かずにそう言ったとき、やっとスティーブは口を開き、ポツポツと、遠い北国の話を始めた。
「ブレストンは、薬の開発が進んでいる。特に大麻、阿片、コカイン…それで富を築いてきた。それが今、ディアスに侵略されてタダ同然で奪われている。国王陛下は、ディアスに対抗するための強い兵士が欲しかったのだ。アステラの王族の噂は聞いていた。今年の夏、その王族の戦士がディアスを叩きのめしたと。陛下は、その戦士を手に入れて、薬で操ること、そして戦の神に祝福された子供を産ませることを計画なさった。すべて、我が国を外敵から守るためだ」
マリオンは黙って聞いていた。
「戦士は女の子だと聞いていた。だから、その姫君を誘拐するつもりで近づいた。だが現れたのは別の姫君だった。あれは、昼間パトリシア王女の隣にいた王子だよな? 王子…いや、王女だった。どうして男の格好をしている?」
「そんなことは、お前は知らなくていい」
一蹴したマリオンの顔をしばらく黙って見ていたスティーブは、やがて諦めてまた話し出した。
「とにかく、アステラの王族ならどちらでも良かった。森に入れば、追っ手をまけると思った。だが、道に迷った」
アステラの森は、この国の人間でも入ったまま出られなくなることもあるという。
それとも、邪悪な気配を感じたオリバーの力か?
「なぜ、殴った?」
冷静を装ってそう問うと、スティーブはマリオンの顔をじっと見た。
「薬で眠らせて、縄で縛っているのに、なぜ殴る必要がある?」
スティーブは、自嘲するような笑みを浮かべて視線をそらした。
「唇を噛みちぎられた」
その唇の傷を見た時から想像はしていたが、それでもマリオンは、全身の血が逆流する思いがした。
「つまり、くちづけしたということか?」
「あんな女を見て、欲情しない男はいない」
悪びれずにそう言う目が、お前もそうだろうと言っている。
「男の格好をしている姿でさえ、姉よりきれいだと思って見ていた。まして本当は女だった。私も数々の美女を見てきたが、あんなにきれいな顔は見たことがない。しかも、触れた肌は指に吸いつくようだった」
マリオンは奥歯を強く噛み、拳を強く握りしめた。爪が皮膚に食い込むほどに。
「まだ薬が切れていないはずなのに、私を口汚く罵り、足で何度も蹴ってきた。だからよけいいじめたくなった。痛めつけ、辱めて、泣かせたくなった。神に選ばれた最強の戦士をこの手で征服できたら、どんなに快感だろうと」
目の前の男は今の状況も忘れ、愉悦に浸っているような表情をした。
「生娘の状態で献上しなければ陛下がご立腹されると思ったが、お前たちが来なかったら、たぶん私は自制できなかった。できるわけがない。あんな極上の女。どうせ、生娘だったかどうかなんてわからないんだし」
ということは、最後の一線だけは守られたのだなと、マリオンは安堵の息をつきたくなった。それでも少しも心が晴れるわけではないが。
「正直に言えば、今は少しホッとしている。薬漬けにされれば、あの美貌はボロボロになるだろう。あの年齢で、あれだ。成人した姿を見てみたいものだ」
そして、マリオンを見てニヤリと笑った。
「お前も惚れているのだろう? あの女に。だがやめた方がいい。たいていの男は骨抜きにされて駄目になる。ああいう女と対等でいられる男なんか、大陸中さがしても…そうだな、いるとしたら、バルトワの王子くらいだろう」
マリオンは顔を上げた。
「大陸最強の国の王子…そのくらいでないと…」
「ありがとう」
最後まで言わせずにマリオンは立ちあがった。
そしてスティーブを椅子ごと蹴り倒した。
「俺がそのバルトワの王子だ!」
床に倒れた状態で、スティーブは目を丸くしてマリオンを見上げていた。
廊下まで、パトリシアの泣き声が聞こえていた。
そっと扉を開くと、ベッドで半身を起こしているフランシスの体に、パトリシアがしがみついていた。その後ろにマーサが立っている。
「私の身代わりになったばっかりに…。ごめんなさい。ごめんなさい、フランシス」
「姉上のせいではありません」
マリオンは少し安堵した。馬車の中でも城へ着いても、マリオンは一度もフランシスの声を聞けずにいたのだ。
「僕の方こそごめんなさい。姉上のドレスがボロボロになってしまった。ネックレスも…」
「そんなのはいいの! そんなのはまたいくらでも、マリオンが買ってくれるわ」
「ああ、買ってやるよ」
マリオンは精一杯の笑顔をつくって歩み寄った。
パトリシアが涙目で振り向く。
フランシスは、入ってきた時から気づいているはずなのに、こちらを見ようとはしない。大きなガーゼが貼ってある頬が、痛々しかった。
「さあ、パトリシア様、もう遅いですからお部屋へ戻りましょう」
マーサが言った。
「でないと、フランシス様がお休みになれません」
「わかった」
パトリシアは、涙をぬぐいながらベッドから離れた。
「おやすみ、フランシス」
「おやすみなさい」
微笑を浮かべて答えるフランシスがいじらしくて、マリオンはもっとここにいたかったが、今は自分も一緒に出るタイミングだと思った。
さっきまで診ていたはずの医者の診断をマーサから聞きたかったし、何よりフランシスは自分を拒絶しているように見える。
(しょうがない、あんな姿を見られたんだ)
だが、パトリシアの後から部屋を出ようとしたマリオンの背中を、小さな声が呼び止めた。
「マリオン」
一瞬そら耳かと疑いながら振り向いた。
だが、呼んだだけで、声の主はうつむいたままこちらを見ない。
「そばにいてあげて」
パトリシアが小声で言いながら、マリオンの袖を握ってゆすった。
ゆっくりとベッドに歩み寄る。
背後で扉の閉まる音がした。
さっきまでパトリシアがいたベッドの端に腰かけ、マリオンはただ黙って、フランシスの次の言葉を待った。
「あいつらは…」
顔を上げずに、フランシスは言った。
「僕に、子供を産ませたかったんだって」
「ああ…」
マリオンは、できるだけ優しい声を出そうと努めた。
「俺も聞いた。さっきまで、スティーブを尋問していた」
「あなたも同じ?」
表情も優しく…と自分に言い聞かせていたマリオンは、しかしその言葉に愕然とした。
「僕はまだ、子供で…男にも…女にもなれないのに、必死に結婚しようなんて言うのは…子供をつくろうなんて言うのは…あいつらみたいに…」
「違う! フランシス!」
「僕を…ただ子供を産む道具としか…」
「違う! そうじゃない! 言ったじゃないか、愛してるって!」
優しくする余裕なんかなくて、肩を掴んで強引にこちらを向かせると、その目から涙が流れていた。
「そりゃ、俺は急ぎすぎたかもしれない。会って間もないお前に求婚して、長年の許嫁との婚約も破棄した。信用できない男だと思われてもしょうがない。だけど、お前がいつか男になってしまうかもしれないから、俺は焦ったんだ。アステラのためだとか、子孫を残すのが義務だとか、思いつく限りの理由を並べてお前をその気にさせたかった。だってお前は男になりたがっていたから、いくら愛だの恋だの言ったって、お前の気持ちは動かせないと思ったんだ。だけど…だけどそれだけだって思われたくないから、今みたいに誤解されたくないから、だからあの夜告白したんじゃないか!? お前に殺されそうになりながら…」
フランシスはまたうつむいた。
「男になりたいお前が、俺を簡単に受け入れてくれるとは思えなかった。だから、最初は義務感でも、しかたなしでも、何でもいいからそばにいてくれればいいと…。どんな手を使ってでもお前を…」
そこまで言って、マリオンは口ごもった。
どんな手を使ってでも?
そうだ。とにかく、理由も手段も何でもよかった。フランシスを手に入れられるならば。
拒否できないような理由で追い詰め、男になった時のために経験を積めと心にもないことを言ってキスをした。
そんな策略家の自分は、フランシスを拉致した男たちとどう違う?
この目で、何度彼女を犯した。想像の中で、何度彼女を屈服させた。あんなふうにこの手首を縛って閉じ込める夢さえ、自分は見たことがある。
神に選ばれた最強の戦士をこの手で征服できたら、どんなに快感だろうースティーブの言葉が甦る。
「そう…だな」
マリオンは力なく言った。
「俺とスティーブが似てるって言ったよな。確かに…確かにお前からしたら、俺もあの男と大差ないんだよな」
うつむいているフランシスの頭が少し揺れた。
「お前が欲しくて、欲しくて、自分のものにすることしか考えていなかった。お前を見る俺の目も、お前に触れるこの手も、どんなにか不快だったろう」
布団の上に、涙のしずくが落ちるのを見た。
この手で拭いてあげたかった。
抱きしめて、思い切り泣かせてあげたかった。
でももうできない。
彼女を傷つけるものすべてをこの世から消し去りたいのに、自分の目も、自分の手も、その傷つけるものだったのだ。
ゆっくりと立ち上がり、おやすみさえも言えないまま、マリオンは扉へと向かった。
「待って…」
また小さな声が呼び止める。
「行かないで」
今度こそ、空耳かと思った。
「僕を…僕を一人にしないで」




