第十八話
「生きてます。ただ眠ってるだけです」
倒れている門番の胸に耳を当てていた兵士が、顔を上げて言った。
「眠り薬をかがされたんだな。そういう薬のことを聞いたことがある。確か…クロロホルムと言ったか…」
「フランシス様も、その薬を…」
口にしたくなかったことをカイルが言って、マリオンはきつく目を閉じた。
「眠らされたら、いくら最強でも…」
「スティーブ侯爵の泊っているホテルはどこだ! 誰か調べろ!」
不安が大きくなるだけなので、マリオンはカイルの言葉をかき消した。
「でも殿下、すぐ足がつくホテルに残っている可能性は少ないんじゃ…」
「じゃあどうやって探せと言うんだ!?」
苛立ちは最高潮になった。
「とにかく、ありったけの馬を走らせて捜索するんだ! 早く!」
「馬…そう、馬です、殿下」
ディーンが早口に言った。
「ブランカなら、きっとフランシス様をみつけるはずです」
「え?」
「不思議な力を持った馬なんです!」
半信半疑ながら藁をもすがる思いで馬小屋に走っていくと、あのおとなしかった白馬が息を荒げて足踏みしていた。
「わかるのか?」
マリオンは、急いで白馬をつないでいた綱をほどいた。
「主人に危険が迫っていることがわかるんだな!?」
ふりほどいて走り出そうとする馬に飛び乗り、マリオンは騎士たちを振り向いた。
「半分はホテルへ! 半分は俺について来い!」
その声は、カイルたちに途中までしか届かなかった。
目にも止まらぬ速さで、白馬は走っていった。
(この国は、馬まで魔法使いなのか)
森の中の道を一目散に走る馬に乗りながら、マリオンは舌を巻く思いだった。
どのくらい走っただろうか。不意に、自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして、マリオンは手綱を引いたが、白馬は止まろうとしない。
「マリオン!」
空耳じゃない。聞きなれたソプラノだ。しかも悲鳴に近い。
「フランシス!」
スピードを上げた先に数頭の馬がいた。
乗り手は皆、蹄の音とマリオンの声に驚いてこちらを見ていた。
敵は複数だろうと怯まなかった。追ってくるはずの騎士たちを待っている猶予なんかない。
腰の剣を抜き、飛びかかってくる男たちを素早く切りつけた。
一人、また一人と、断末魔の叫びを上げて男たちは馬から落ちていったが、突然白馬が横に飛びのいた。その横を何かがかすめていく。
先頭に止まっていた馬車の前から、御者が矢を放ったのだ。
(なんという馬だ)
指示も出さないのによけた白馬に、マリオンは感嘆した。
だが安心している余裕はない。すぐにまた二の矢が放たれようとしていた。
「殿下!」
頼もしい腹心の声と共に、ナイフが飛んできた。矢を放とうとしていた男の胸に、そのナイフが刺さる。
振り向くと、カイルを先頭に騎乗したアステラの騎士たちがいた。
残っているわずかな敵の処理は彼らに任せて、マリオンは白馬から飛び降り馬車に駆け寄った。
そして勢いよく開けた扉の先に、信じられない光景を見る。
スティーブがフランシスを後ろから羽交い絞めにして、その喉にナイフを突きつけていた。それだけならまだ予想できた。
マリオンの目に一番先に飛び込んできたのは、細くて白い素足だった。
フランシスは薄い下着しか身につけていない。パトリシアが一生懸命着せてあげたはずのドレスは、ナイフで切り裂かれて床に散乱していた。そしてその上に散らばったサファイア。まるで青い瞳が流した涙のように。
「貴様…」
怒りで声が震えた。
こっちを見ているフランシスの頬に、殴られた痕がある。
(何があった、ここで…)
「近づいたら女の命はないぞ」
スティーブも無傷ではないようだ。唇に血が滲んでいる。
(俺の名を呼びながら、何をされた)
「さっさと立ち去れ、さもないと…」
外国人特有の発音でスティーブが言った直後、同じ声の悲鳴が響いた。
ナイフを握った手首に、フランシスが噛みついていた。
一瞬ゆるんだ腕からフランシスが逃げるのと、マリオンが飛びかかるのは同時だった。
慌ててナイフを向けようとしたスティーブの手首をマリオンは素早く掴み、椅子の角に思いきり打ちつける。手から離れたナイフが床に転がった。
すかさずその胸倉を掴み、渾身の力を込めて殴る。それを何度も何度も繰り返した。
スティーブが意識を失いかけた頃やっとマリオンは殴る手を止め、それでも掴んだままの胸倉を自分の方へ引き寄せて言った。
「今は生かしておいてやる。そして拷問してすべてを白状させる。いま殺された方がましだったと思うほどの苦痛を味わわせてやるから、覚悟しておけ」
そしてその体を馬車の外へ蹴り落とした。
「カイル、そいつを縛って城へ連れてこい! それから誰か、御者になってこの馬車をひいてくれ!」
そしてマリオンは、誰にもフランシスの姿を見せないようにと、素早く扉を閉めた。
床に落ちていたナイフを拾い、隅でうつむいているフランシスに近づいた。
「紐を切ってやる。背中を向けろ」
黙って横を向くその白い首筋に、赤いうっ血の痕があった。肩にも。胸元にも。
それは殴られた痕よりも、マリオンの心を深くえぐった。
怒りで叫びそうになるのを必死にこらえながら、フランシスの手首を縛っている紐をナイフで切った。
そして、床に落ちていたコートを拾って、その体をくるむ。
触れた瞬間、その肩がビクッと揺れた。自分の手さえもおびえているように見えるのに、マリオンはこらえきれずにその体を抱きしめていた。
一瞬拒むように動いた手は、すぐに力なく下ろされた。
馬車が動き出した。
「すまなかった」
抱きしめたまま、マリオンは絞り出すような声を上げた。
「俺がドジを踏んだ。あの時、騎士たちにみつかって騒ぎにならなければ、お前のことだからきっとあいつから注意が逸れることはなかっただろう。それに…それにもう少し早く…」
そこから先を言えなかった。
誰かに助けてもらう気なんかさらさらないと言っていたフランシスが、俺の名を呼んだ。俺に助けを求めた。それは、どれほど恐い目に遭ったことを意味しているのか。
問い詰めて聞き出したかったが、傷を深くしそうでできなかった。
それに…
(生きていてくれた)
それだけで今は十分だろう、マリオン。
マリオンは、自分自身にそう言い聞かせた。




