第十六話
バルトワにフランシスを連れてくるよりも先に、再びマリオンがアステラを訪れる時がやってきた。
パトリシアの、18歳の誕生パーティーの招待状が届いたのだ。
戦場でフランシスと出会った日から二か月が過ぎ、季節は秋に変わっていた。
さすがに叔母も帰るだろうと思い、また気まずい道中になるのだろうなと憂鬱になったが、グレース王妃も同じ気持ちだったのか、マリオンより先に出発していった。
(18か…)
馬車に揺られながら、マリオンは感慨深かった。
パトリシアが生まれた時から、自分たちの結婚は決められていた。
年に数回しか会う機会がない上に、七歳も年が離れているので子供にしか思えず、キスもしたことがない間柄だったが、天真爛漫な彼女はマリオンにとっても可愛い存在だった。
本来なら、今ごろ結婚式の準備を進めていたのだろう。
(もう少し出会うのが遅かったら、俺は妻帯者になっていたんだな)
パトリシアとの思い出をたどっていたはずなのに、いつしかフランシスの顔しか頭に浮かばなくなっていた。
(元気にしてたか?)
心の中で呼びかける。
(少しは、俺のことを思い出したか?)
目を閉じながら、少年のようなことを思った。
(翼があればいいのに)
会場である大広間に足を踏み入れた時には、パーティーは既に始まっていた。
主役は当然中央の席に座っていたのですぐにみつかった。ひときわ愛らしいピンクのドレスを着ていた。
そしてその隣で、黒いタキシード姿のフランシスが、姉の方を見て笑っている。
笑っている。
マリオンはしばらく動けずにいた。
記憶の中の彼女は、いつも怒りをはらんだ固い表情をしていた。幸せじゃないと涙を浮かべ、しゃべれなくてもいいから男でいたいと吐き捨てるように言った。
それでも自分は、なかば強引に彼女に女として生きることを強いたのだ。
今頃つらい思いをしているのではないか。一人で泣いているのではないか。そんな心配を幾度しただろう。
けれども今、フランシスは楽しそうに笑っていた。
軽やかな音楽が流れていた。
すみれ色のドレスを着た可愛らしい女性がおずおずとフランシスに歩み寄って、頬を染めながら何か言った。それを遠巻きに見ている令嬢たちも、近づきたそうな顔をしている。
しかしフランシスの口が動く前に、隣にいた今日の主役がその手を取って立ち上がらせた。
ひと言ふた言なにか言葉を交わした後、フランシスはすみれ色のドレスの女性にすまなそうな顔を向けて何か言った。恐らく詫びの言葉だろう。
そして男装の麗人は、改めて姉の手を取って優雅に踊りだした。
「ほお…」というため息があちこちから聞こえた。会場の視線のほとんどが、麗しい二人の王女に注がれていた。
いつの間にかフランシスの背はパトリシアに追いついていて、お似合いのカップルのようだった。
(俺の一番のライバルはパティだったのか)
カイルの報告は本当だったんだなと思った時、背後で女性の声がした。
「今日のために特訓なさったんですよ」
振り向くと、マーサが立っていた。今日もその顔は誇らしそうだった。
「ようこそいらっしゃいました、マリオン殿下」
深々と頭を下げるマーサに、マリオンは微笑で答えた。
「元気そうだな、俺の姫君は」
「殿下!」
懐かしい声に目を向けると、カイルが笑顔で駆け寄ってきた。
「やあ、カイル。理性のないアホな男がやってきたぞ」
「なにわけのわからないことを言ってるんですか」
自分が書いたことも忘れたのかと呆れた視線を向けた時、背後で聞きなれない言語の囁き声が聞こえた。
ドッチダ?
オンナノホウデス。
マリオンは振り向いて、群衆の中に声の主を探した。
(今のは、どこの国の言葉だったか)
子供の頃に家庭教師から他国の言語をいくつか習ったが、覚えているのはほんのわずかだった。
だが今の言葉には、何やら不穏な気配が感じられる。
耳を澄まして背後を見まわしたが、たくさんの言葉が飛び交っていて聞き分けられない。声はどちらも男のものだったが、怪しげな人物も見当たらなかった。そもそも、一目で怪しげに見える人物が、この広間に入れるわけはないのだが。
(もっと真面目に勉強しておくんだったな)
どこの国の言葉か思い出せないまま、視線をまた広間の中央に戻すと、二人の王女のダンスが止まっていた。
マリオンくらいの年ごろの背の高い男が、パトリシアの手を取っていた。どうやら次のダンスの相手に立候補したらしい。
心なしか、パトリシアの頬が染まっている。
「ほら言った通りでしょう。パトリシア様は面食いだって」
得意げにカイルが耳打ちしてきた。
それは覚えていたのかと思いながら、マリオンは返事をせずに歩き出した。
パートナーを奪われて所在なさげに立っているフランシスの背後から、そっと声をかけた。
「次は私と踊っていただけませんか、王女殿下」
青い瞳が振り向いた。ちょっと驚いて、すぐに真顔になる。
「ようこそ、マリオン殿下」
(喜んでいるふうではないな)
落胆が顔に出ないように頑張って、笑顔を作った。
「ダンスがこんなにうまいとは思わなかった。次は俺と……」
取ろうとした手は、彼女の背後に逃げた。
「いやだ」
(おお、さっそくジャブがきたか)
なんだか懐かしくて、拒まれているのにますます笑顔になった。
「俺に恥をかかせるなよ」
「この恰好の僕と踊る方が恥をかくだろう」
「そんなことはない。みんな目の保養がしたいんだ」
さり気なく自慢するマリオンに、フランシスは冷たい視線を向けただけだった。
「それとも、お前の誘いを待っている令嬢たちにするか?」
壁の花になってこっちを見ている少女たちに目をやった。
「どの子がいい?」
フランシスは首を振った。
「みんな、僕より背が高い」
マリオンは目を丸くして、伏し目がちな王女の顔を見た。
「へえ、お前にもコンプレックスがあったんだな」
嬉しそうに言うマリオンを、フランシスは少し目元を赤くして睨んだ。
「まあいい、少し話そう」
そしてマリオンは、フランシスの背を強引に押して窓際へといざなった。
途中でバーテンダーから自分用のシャンパンと、フランシスのためのオレンジジュースを受け取る。
こっちを見たパトリシアと目が合った。
「ハッピーバースデイ、パティ!」
グラスを掲げて明るく声をかけたが、パトリシアはツンと顔をそらすと、何事もなかったようにパートナーに笑顔を向けた。
軽くため息をついて窓際の椅子に座りながら、マリオンは踊る二人を見た。
「なんだか、いけ好かない男だな」
「僕もそう思う」
立ったままジュースを飲んでいるフランシスを、マリオンは驚いて見上げた。
「初めて意見が合ったな」
笑いかけたが、フランシスは姉のパートナーの方を見ていた。
「いかにも、自分はいい男だと鼻にかけてる」
「あなたに似ている」
二人の声が重なった。
一瞬の間の後、マリオンは立ちあがった。
「なんだって?」
シャンパンが少しこぼれた。
「姉上を見る目がいやらしい」
「おいフランシス、久しぶりに会ってそれはないだろう」
抗議するマリオンをフランシスは無視していたが、口角が少し上がった。怒らせて楽しんでいるみたいだ。
ただそれだけで、マリオンの心臓は高鳴る。
(よく笑うようになったな)
「ブレストンの侯爵だそうだ」
「ブレストン……」
ディアスよりもっと北に離れた、辺境の国の名前だった。
「招待状を出したわけじゃないのに、姉上を祝いたいと今朝やってきた。山のような贈り物を持って」
「ブレストン……」
もう一度その名を呟いた。
「あなたのせいで、噂を聞きつけた姉上の花婿候補が頻繁にやってくる」
「そうだ、ブレストンだ。あの言葉は……」
そしてフランシスの腕を掴んだ。
「本当にやばいやつかもしれないぞ、あいつ」




