第十四話
(そうだ。お前はいつも、俺を驚かせる)
その瞳の色と同じ目の覚めるような青い上着には、金の刺繍と肩章、そして胸元には王家の紋章が輝いていた。
マリオンだけではない。居合わせたすべての人々が、その凛々しい姿に言葉を失っていた。
「ディアスとの戦いが続いていたので先延ばしにしていましたが、今日、臣下たちの前で正式にアステラの後継者の任命式を行い、午後には国民たちにお披露目をします」
目を細めてフランシスをみつめていた国王は、やがてマリオンの方を振り向いた。
「いつか来るこの日のために用意していた衣装は、少し大きかったので、マーサが昨夜徹夜で直してくれました」
フランシスの後ろに控えめに立っていたマーサは、誇らしげな表情をしていたが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「あなたにお見せできてよかった。この日を迎えられるのも、あの日援軍を引き連れてディアスと戦ってくださったあなたのおかげです」
だが国王の言葉は、マリオンの耳に入ってこなかった。
カイルの支えを押しやって、引き寄せられるようにフランシスの元へ歩み寄った。
そしてその前に跪き、白い小さな手を取ってその甲にくちづけた。
「おめでとうございます。フランシス王女殿下」
とうとう周囲はざわついた。
その淑女にするような行動に、そして「王女殿下」と呼んだ言葉に、非難するような囁き声があちこちで起こる。
だが、かまうもんかとマリオンは思った。
フランシスの女性としてのスタートを、自分が誰よりも先に祝うのだと。
「あなたの、そしてアステラの未来が、輝かしいものであるように願っております。そして……」
マリオンはフランシスを見上げた。
「私は、あなたのためにどんな助力も惜しまないことを約束します」
微笑んでみせたが、フランシスはただ固い表情で黙っていた。
だが、立ち上がろうとして痛みに顔をしかめて動きを止めたマリオンを、とっさに支える。
自分の体重で押しつぶすわけにはいかないと、マリオンは必死に踏みとどまった。
いつのまにか駆け寄ってきたカイルが、後ろから支えてくれる。
「お怪我は?」
周囲の目を気にして敬語を使っていたマリオンに倣って、フランシスも丁寧な言葉で問いかけてきた。
フランシスがしゃべるのを初めて聞いた人々は、今度こそ驚きの声をはばからなかった。
マリオンはまた微笑した。
もう会えないと思っていたのに声が聞けた。それだけで、こんなにも幸せな気持ちになれるなんて。
「あなたのおじい様にもらった薬のおかげで、だいぶ良くなりました」
そして姿勢を正した。
「王女殿下、いつかバルトワにいらしてください。できればなるべく早く。バルトワは秋が一番美しい。特に収穫祭の賑わいをあなたに見せたい。アステラの料理に負けないくらいおいしい料理を食べさせてあげますよ。特に、海から捕れる新鮮な魚は絶品です」
「海?」
フランシスの表情が変わった。
「ええ、海は見たことがありませんか?」
フランシスは頷いた。森の中で育った少女の顔に、素直な憧れの色があった。
「壮大で、あなたの目のように美しいですよ。訪ねてきてくれれば、いつでも案内します。そして、私が持っているヨットに乗せてあげましょう」
そしてマリオンは念じた。
(笑ってくれ、フランシス。お前の笑顔を見ることができたら、きっと俺は、明日からの寂しさにも耐えられる)
だが、フランシスの口元がほころぶことはなかった。
昨夜の騒動を思えば無理もないかと、マリオンは心の中でため息をついた。
「マリオン!」
しびれを切らしたグレース王妃が、馬車の中から呼んでいた。
今度は本当に大きなため息をついた。
そして、名残惜しさをこらえてまた微笑した。
「待ってますよ」
一歩後ずさった。
「お元気で」
背を向け、馬車に向かって歩き出す。
美しいソプラノが、その足を止めさせた。
「マリオン殿下」
マリオンは、心臓を鷲掴みにされたような思いで振り向いた。
青い瞳が細くなり、その口角が少し上がった。
「良い旅を」
マリオンは、まるで夢でも見たかのように立ちつくしていた。
フランシスが、初めて自分の名を呼んだ。初めて自分に笑いかけた。
「マリオン!」
また叔母に呼ばれ、視線は動かさずに後ろ向きに歩き出したマリオンは、よろけてまたカイルに支えられる。
「殿下、やっぱり私がおそばにいないと……」
「うるさい。お前は自分の仕事をしろ」
(良い旅などできるものか)
マリオンは窓枠に頬杖をついて、さっきから愚痴るのをやめない叔母を見ていた。
(この叔母と一緒で……)
「どうして側室が産んだ末っ子の方が王位を継ぐの。女でもいいなら、ふさわしいのはパトリシアの方でしょ。」
「ですからそれは……」
黙っているといつまでも同じ話を繰り返すので、マリオンは渋々相手をする。
「戦の神に選ばれたのは、フランシスの方ですから」
「戦の神、戦の神って、誰がそれを証明するの? そんなのはただの信仰じゃない」
「少なくとも、僕は証言できますよ。戦場で一番強かったのはフランシスだって」
王妃は悔しそうに顔をそらした。
「ジュリアン公爵やジェイソン国王がどんなに強くても、鍛えぬいた男なら誰も不思議には思わないでしょう。神の名を出すのは、戦士たちの士気を高める手段にすぎないと考える輩もいるかもしれない。でも14歳の女の子が誰よりも強い戦士だった。それを目の当たりにした僕は、やはり神の存在を信じましたよ」
「神というより、魔法使いでしょ」
王妃はいら立ちを隠さずにマリオンを見た。
「人間の心を惑わすのよ。ジェイソンもあなたも、そんな人ではないものに操られているんだわ。恐ろしいと思わないの?」
「叔母上、魔術には白魔術と黒魔術の二通りがあるそうです。人の心を惑わし、悪い方向に向けるのが黒魔術です。20年前、魔物を生み出してバルトワを滅亡させようとした魔術師のことは、叔母上ももちろん覚えているでしょう? その恐怖から救ってくれたアステラの魔術師が、黒魔術師と同じはずがないじゃないですか」
「黒魔術師だってアステラで生まれたのよ」
マリオンは驚いて叔母を見た。
「ほう、よくご存じですね」
王妃は、すぐに顔を強張らせて黙った。
「そう言えば、あのときの黒魔術師の生き残りは、バルトワ城の地下牢に閉じ込めていたんでしたよね。その男に聞いたんですか? 彼らの出自を」
「い……いえ、誰か、そう、地下牢の番人か誰かが聞いたのを、私に教えてくれたのよ。私が直接聞いたわけではないわ」
「誰です? その番人って」
「私がそんな下賤な男の名前など覚えているわけがないでしょう」
「でも、話をするくらいは親しかったわけですね」
「親しいだなんて……誰が親しくなんかするもんですか。だけど何かのきっかけで耳にしたのよ。なんだったか、もう忘れてしまったわ。10年、いえ、15年以上も前の話よ」
「15年……ちょうどフランシスが生まれた頃ですね」
王妃の顔はさらに強張った。
「そ……それと何の関係があるの。ただ15年って言っただけで、正確なところは覚えていないわ」
「いや、ただ……」
マリオンはどこまで話すべきか迷った。
フランシスの母の死に黒魔術師が関わっていることを自分が知っていることを伝えたら、その情報源を明かさないわけにはいかないだろう。オリバーの話をしなければ、自分の話はただの戯言だと笑われて終わりだ。だがオリバーは、その存在をバルトワ側の人間に明かさないでほしいと言った。
それに、自分も知っているなら、当然ジェイソン国王もフランシスも知っているだろうと王妃は思うはずだ。あの二人は、それを王妃に明かしていない。
その理由はいろいろあるのだろうが、バルトワとの関係が悪くなることへの危惧が一番大きいだろうとマリオンは思う。自分の軽率な言葉で、その均衡を破るわけにはいかない。
「ただ、有能な魔術師だったフランシスの母君が亡くなった時期と、黒魔術師が地下牢から逃げた時期が同じなのは偶然なんだろうかと、ちょっと興味がわいたんです」
それでもマリオンは、揺さぶりをかけてみた。
案の定、王妃は動揺しているようだった。笑顔をつくろうとしているが、うまくいかない。
「そんなこと……どうしてあなたが興味を持つのよ。馬鹿馬鹿しいわ。偶然だろうとそうじゃなかろうと、あなたに何の関係があるの」
「おおいにありますよ。僕が愛する人の母君のことです」
ぎこちなかった笑顔は、すぐに怒りの形相に変わった。
マリオンはかまわずに続けた。
「もしも黒魔術師が逃げたのがバルトワの不手際だったとしたら、僕はフランシスに申し訳ない。どんなことをしてでも、真相を究明して犯人を捕まえようと思ってます」
「あの女……エレナが亡くなったのは出産のせいだったはずよ。男を女に変えるなんて、そんな罰当たりなことをするからだわ」
「叔母上」
マリオンは厳しい表情になった。
「言葉を慎んでください。フランシスの母君を侮辱するのは、僕が許さない」
「マリオン……」
呆然としていた王妃の顔が、悲しそうに歪んだ。
「どうしちゃったの。あなたおかしいわ。あの女は私の夫を誘惑して奪ったのよ。ばちが当たってもおかしくないことをしたのよ。それなのに、どうしてあの女の肩を持つの。黒魔術がどうのなんて、そんな根拠もない妄想までして、あなたもきっとフランシスの術中にはまってしまったんだわ。親子そろって、なんて恐ろしい」
マリオンはただ黙って、つばを飛ばしそうな勢いで熱弁する叔母を見ていた。
「お兄様に、必ずあなたの目を覚まさせてもらいます! 許さないわ! パトリシアとの婚約を解消して、あんな子と結婚するなんて!」
「叔母上、パティには心から申し訳ないと思っている。できる償いならなんでもします。でも、あなたがどんなに頑張っても、僕の気持ちを変えることはできない」
そしてマリオンは、余裕の笑みを浮かべてみせた。
「あなたはパティの母親なんだから、怒るのももっともです。邪魔したければすればいい。でも僕は、こう見えても戦士なんです。障害が多ければ多いほど燃える」
反論の言葉をみつけられずに口ごもっている王妃の方へ身を乗り出す。
「それに叔母上、さっきパティが王位を継ぐべきだって言いましたよね。僕は、アステラに婿入りするわけにはいかない。僕がフランシスと結婚すれば、必然的にパティが王位を継いで婿を取ることになるでしょう。そのためにも、僕じゃない男をパティにみつけてあげてください」
そして、もう話すことはないとばかりに窓外に目を向けた。
もうすぐ国境を越える。
王妃にはそう言いながらも、マリオンの胸には、バルトワとアステラをひとつにする野望が育っていた。




