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最強のプリンセス  作者: 雨宮佳奈子
第一章 森と月光と王子の恋

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第十三話

(なんてやわらかい…)

 くちづけひとつで、天にも昇りそうな気持ちになった。数えきれないほど経験してきたことなのに。

 しかも相手は、今までマリオンが相手にしてきた成熟した女性たちとは正反対の、まだ青い実の少女だというのに。

 この時間が永遠に続けばいいと願ったが、マリオンは精一杯の自制心を働かせて、唇を離した。

(そうだ。まだ青い実だ)

 大事にしなければ…。

 それに、しつこくしたら唇を噛みちぎられるかもしれない。

 良くてもまた平手打ちくらいはされるかと覚悟したが、フランシスは黙ってうつむいていた。

 耳まで赤くなっている。

「嫌だったか?」

 少し間があったが、やがてこっくりと頷いた。

「じき慣れるさ。しばらくはお前に我慢してもらうことになるかもしれないけど、それでも、そんなことは何でもないと思えるくらい、お前を幸せにしてやる。結婚したら、バルトワとアステラをひとつの国にしよう。そうしたら一緒に暮ら…」

「あなたは信用できない」

 高揚していた心に冷水を浴びせるような声が、マリオンの言葉を遮った。

「姉上との約束を破った」

 恥じらう乙女に見えたのは束の間だった。

 また攻撃的な目がマリオンを射すくめる。

 マリオンはしばらく頬をポリポリかいて反論の言葉を探したが、やはり非を認めざるを得ない。

「そうだな。確かに彼女にはひどいことをした。だが、さっきも言ったが、いとこの俺と結婚したら、パトリシアは健康な子供を持てないかもしれない。彼女の幸せを考えたら、他の男と…」

「だったら最初から婚約しなければいい!」

 痛いところをつかれて、マリオンは思わず口ごもった。

 今まで、清廉潔白な人生を送ってきたわけではない。

 手に入れたいものを強引に奪ったり、口うるさい教育係に傍若無人な態度を取ったり、気まぐれで女を抱いたり…、けれども誰もマリオンを咎めたりはしなかった。もとより、自分と同じような言動をしている父親であればなおのことだ。

 だが今、自分よりはるかに年下のこんな小柄な少女に説教されて、マリオンは返す言葉すらみつけられない。

「簡単に婚約して、簡単に裏切って、そしてまた簡単に僕と結婚しようとしている。しかも、ふたつの国をひとつにするだって? 何もかも自分の思い通りにいくと思っているのか?」

 たじろぎながら、そうかもしれないとマリオンは思った。

 今まで、欲しいと思って手に入らないものなどなかった。たとえ一夜の関係でも、自分に抱かれる女は幸せだろうと思っていた。

 生まれて初めて女に睨まれ、女に殴られ、言葉でさえ屈服させられても、それでもきっといつかこの美しい獣を手に入れることを自分ならできると信じていた。

「そうだな、すまなかった、フランシス」

 謝るのはこれで何度目だろう。

「パティには、明日もういちど心から謝罪する。だが…だが信じてくれ。決して簡単な気持ちでお前と結婚しようとしたわけじゃない。初めてなんだ。こんなにも人を愛おしいと思ったのは」

 誠実に見えるようにと切実に願いながら、マリオンは冷たいままの青い瞳をみつめた。

「だから、やり方を間違えたかもしれない。急ぎすぎたかもしれない。だけど、お前がいつか男の体になってしまうのなら、俺は一分でも一秒でも時間を無駄にしたくないんだ。今のお前のそばにいたいんだ。今のお前を愛したいんだ」

 にじり寄ってまたその両腕を掴んだ。

「わかってくれ、フランシス」

 もう一度抱きしめて口づけしたい欲望を、マリオンは懸命にこらえた。

 フランシスは何も言わずに目をそらした。

 チラッと目に入った棚の置時計の針が、まもなく二時を指そうとしていた。

「もう休め。こんな時間に悪かったな。詫びのしるしに俺が寝ずの番をしてやろう。だから何も心配しないで眠れ」

 本当は抱き上げてその体をベッドに運んであげたかった。

 だがいかんせん、さっきしこたま打って腰をまた痛めたらしい。

 立ち上がることも容易ではなさそうだったが、それを隠したい気持ちもあって、マリオンはかっこつけた台詞と一緒に笑顔を見せた。

「大丈夫だ。お前が嫌がることはしないよ。お前が今、そういうことができない体だってことは知って…」

 途中まで言って失言に気づいた。やばい!と思った時には遅かった。

 見る見る赤く染まったフランシスの顔は、やがて怒りの形相に変わった。

「出ていけ」

 いつの間にかその手に、しまったはずのナイフが握られている。

「待て! フランシス! 俺は腰が痛いんだ、腰が…」

「出ていけ!」

 鞘が抜かれた。

 マリオンは転がるようにドアに向かった。その背に枕やらクッションやらが飛んでくる。

 なんとかドアまでたどりついたが、振り向いたそのすぐ横を置時計がかすめた。そして今度は花瓶が飛んでくる。

 様々なものがドアにぶつかり、壊れる音とともに、マリオンはようやく部屋の外にまろび出た。

 背後で大きな音を立ててドアが閉まる。

 ナイフが飛んでこなかったのはせめてもの情けか。

 床に這いつくばっていたマリオンは、騒ぎを聞きつけて集まってきた使用人たちの視線の只中にいた。マーサも、そしてカイルもいる。

「殿下…」

 そして最悪なことに、隣の部屋からパトリシアも顔を覗かせた。

 驚きで丸くなっていた彼女の目に、また見る見る涙がたまる。

「やあ、パティ」

 ひきつったマリオンの笑顔は見ずに、パトリシアは勢いよくドアを閉めてしまった。

「夜這いしたんですか、殿下。しかもこっちに…」

 歩み寄ってきたカイルは、フランシスの部屋のドアに目を向けた。主の破天荒な行動には、今さら驚いてはいないような口ぶりだった。

「人聞きの悪いことを言うな、カイル。話をしただけだ。起こしてくれ。また腰を痛めた」

 自分の肩にその腕を回させてカイルが助け起こそうとすると、マリオンは思わず痛みに顔をしかめた。

「痛っ!」

 マーサが駆け寄ってきた。

「マーサさん、すみませんが床を片付けてくれませんか。殿下の手当ては私がします。オリバー先生から薬をもらってきているので、たぶん大丈夫でしょう」

部下の冷静さが、よけい癇に障るマリオンだった。


 オリバーの特効薬のおかげで、マリオンはなんとか歩けるくらいには回復した。

 それでもカイルに支えられながら朝食のテーブルについたが、そこにいたのは国王夫妻だけだった。

「子供たちは、二人とも夜更かしをしたそうです」

 マリオンはホッとする気持ちもあったが、やはり寂しさの方が強い。朝食が済んだら、自分はすぐに旅立つのだ。

 子供たちの寝坊に怒っている様子もない国王の耳にも、やはり昨夜の騒ぎは届いているのだろうと思いながら、マリオンは知らんぷりするわけにもいかなかった。

「陛下、誓って言いますが、僕はお嬢様たちに不埒なことはしていません。どちらにも」

 キスはしたが、それは同意の上だったと信じたい。

「わかっていますよ」

 お前がフランシスに手を出すなんて十年早いと言われたようで、国王の笑顔は何の救いにもならなかった。

 今日は正面に座っている王妃は、固い表情のままこちらを見ようともしない。

「ときに、陛下」

 マリオンはさっさと話題を変えた。

「しばらく、私の部下のカイルをここに置いてもらえませんか?」

 主を席に座らせる役目を果たして退散しようとしていたカイルは、驚いてその足を止めた。

「昨夜の料理が僕はいたく気に入りました。カイルに、この国の料理を学ばせたいのです」


「どういうつもりですか、殿下!」

 主の出立の準備を手伝いもせずに、カイルはその背後で声を荒げていた。

「カイル、俺の代わりにフランシスを守ってやってくれ」

 マリオンは淡々と身支度を整えている。

「殿下より強い人を、どうやって守れと…」

「陰口をたたくような奴がいたら俺の名前を出して諫めろ。言い寄ってくる身の程知らずにも、俺の名前を出して脅せ。そして逐一フランシスの様子を俺に知らせろ。毎日伝書鳩を飛ばせ」

「そんなにたくさんのこと、無理です!」

 カイルの泣き言などかまわずに、マリオンは笑顔で振り向いた。

「頼んだぞ、カイル」

 カイルはただ、口をパクパクと動かすことしかできなかった。


 馬車に詰め込まれる荷物の多さに、マリオンは唖然とした。

「なんだ、この衣装ケースは」

「私も一緒にバルトワへ行きます」

 振り向くと、グレース王妃が侍女たちを従えて歩み寄ってきた。

「あなたの横暴をお兄様に止めてもらうわ」

 一瞬反発しようとしたマリオンだったが、すぐに思い直した。

(そっちから飛び込んでくるなら、むしろ好都合かもしれない)

「どうぞ、叔母上」

 マリオンは笑顔で王妃の手を取り、馬車に乗るのを手伝った。

 車椅子に座っている国王を中心に、城の重臣たちがエントランスに並び、バルトワの王子を見送ろうとしていた。

 そこに二人の王女の姿はない。

 マリオンは失望を隠して国王に歩み寄った。

 まだ腰が痛むのでよろけそうになるのを、すぐにカイルが駆け寄ってきて支えてくれた。

「近いうちにまた来ます。それまでどうか、お体を大切に。二人のお嬢様にも…」

 怪訝な表情をする数人の大臣の顔が目に入った。まだ、フランシスが女性であることを知らない人間ばかりなのだ。が、マリオンはかまわずに続けた。

「よろしくお伝えください」

 その時、国王の背後でざわめきが起こった。そして、感嘆の声とため息。

「間に合ったようだな」

 国王は振り向いた。

 その視線の先に、正装したフランシスが立っていた。


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