第十二話
(ちくしょう、なんでいつもこうなるんだ)
フランシスが、馬乗りになってマリオンを見下ろしていた。
ナイフさえなければ、ときめいていたかもしれない。
「なんのつもりだ」
せめて声だけは精一杯虚勢を張った。
「それはこっちの台詞だ。何しに来た」
「だ…大事なことを言い忘れていたんだ。いや、忘れていたわけじゃない。ただ、他に人がいたから言いそびれた。それを言わずに、明日帰るわけにはいかない」
(しっかりしろ、俺)
しどろもどろになりがちな自分を、マリオンは心の中で叱咤した。
「お前を中傷から守りたいとか、両国の絆を固めようとか言ったけど、それがお前と結婚したい理由じゃない。いや、もちろんそれも大事な理由なんだが、同情とか、政略とか、そんなことよりはるかに大事な理由があって…、それを伝えなければ、お前に誤解されかねないと…」
フランシスは体を離すどころか、表情ひとつ変えない。
「おい、いつまでそのナイフを突きつけているつもりだ」
「早く話せ」
「こんな体勢で話すことじゃない」
しかしフランシスは動かない。
「俺を殺したって何のメリットもないぞ」
「あるさ。恨みを晴らせる」
(恨み?)
マリオンはさすがに動揺した。
「僕は、一生しゃべれなくてもいいから、女になんかなりたくなかった」
ああ、そっちかと、少し安堵した。母親を殺されたせいで、テイラー家全員を恨んでいるのかと一瞬思ったのだ。
「そうだな、悪かった。心から謝るよ、フランシス。だが長い目で見れば、それがお前のためだと思ったんだ」
みつめる瞳に、精一杯いつくしみを込めた。
「お前とアステラのためだ。陛下も言っていただろう。国民を騙すわけにはいかないと。それでお前は辛い思いをするかもしれないけど、その責任を取るためにも、俺は約束する。俺が生きている限り、祖国と同様にアステラの繁栄のために力を尽くす」
まだ動かないが、その目の厳しさは少しやわらいだように思えた。
「だから、俺を信じてくれないか。俺は、お前のおじいさんが太鼓判を押してくれた男だぞ。お前の味方になるって」
フランシスはゆっくりと体を起こし、マリオンから離れた。
そしてサックスブルーのパジャマのポケットから取り出した鞘に、ナイフをおさめた。
痛む上半身を無理に起こしながら、マリオンはその動作を見ていた。
「いつもそんなものを身につけて寝てるのか」
フランシスはそのまま立ち上がらずに、マリオンの隣で片膝を立てて床に座っていた。
「ここには、僕の命を狙う人間がいるかもしれないって、おじいさまに言われた」
「だがお前、俺の後ろから襲ってきたよな。まるで待ち伏せしていたみたいに」
「足音が聞こえた。危険が迫ればすぐわかる」
(まるで獣だな)
「危険って…。ちゃんとノックしたろう?」
「こんな時間にやってくるなんて、まともじゃない」
「ああ、まあ、そうだが…」
マリオンは頭をかいた。
そして少しためらった後、意を決して言った。
「復讐しようとは思わないのか?」
不機嫌な表情で目を合わせようとしなかったフランシスは、やっとマリオンの方を向いた。
「こんなふうに警戒しながら眠るくらいなら、こっちから息の音を止めてやろうとは…」
青い瞳は、黙ってマリオンを見ている。
「お前なら、その気になれば簡単にできるよな」
フランシスはまた目をそらした。
「母親がいない寂しさは、僕が一番わかっているから」
マリオンは、その言葉に少なからず衝撃を受けた。
さっきのジェイソン国王との会話でほぼ確信はしていたものの、やっぱり叔母だったのかという衝撃よりも、フランシスがパトリシアのために復讐をしないと言ったことの方が意外だった。
(俺にはあんなに敵意を向けてくるのに)
「僕は、女は殺さない。どんなに憎んでいても」
それもまた、男であろうとするがゆえの決意なのだろうか。
それと同時に、本当は優しい子なのだとマリオンは思った。昼間のあの、マーサに向けた笑顔を思い出してみてもわかる。男でありたい気持ちが強すぎるから、必要以上にとがってしまうだけで。
けれどもどれほどの痛みを抱いて、ここで暮らしているのか。
「許してくれ、フランシス」
マリオンは床に両手をつき、頭を下げた。
さすがにフランシスは驚いて、その大きな目を見開いた。
「叔母の代わりに謝る。いや、許されることではない。許さなくていいが、謝らせてくれ」
「あなたが謝ることじゃない」
素っ気ない言葉だった。
「土下座するなら、むしろ姉上にするべきだ」
話が思わぬ方向に飛んで、マリオンは顔を上げられなくなった。
「あんなひどいことを…」
恐る恐る顔を上げると、本当にフランシスは怒っていた。
バツが悪い気持ちと同時に、安堵している自分がいた。
フランシスはこの城にちゃんと居場所をみつけている。家族を受け入れているんだ、と。
「パティが好きか?」
フランシスは少し戸惑った顔をしたが、話題を変えたことには怒らずに、素直にうなずいた。
そして隣の部屋に目を向ける。
視線の先にパトリシアがいるかのように、目元が少しだけ優し気にほころんだ。
「無邪気で、可愛くて、よく笑って…、いつもいい匂いがする。僕は…」
微笑するかと思えたその横顔は、すぐにまた固い表情に変わった。
「僕はあんなふうにはなれない」
そしてまたマリオンを見た。
「姉と結婚してください」
初めて敬語を使った。
その視線を受け止めながら、マリオンも思いのたけを込めてフランシスをみつめた。
「それはもうできない。お前を愛してしまったから」
そしてマリオンは、にじり寄ってフランシスの両腕をつかんだ。
「それがさっき言った、伝えたい言葉だ。お前と結婚したい一番の理由だ」
フランシスは無表情で黙っていた。
「愛している、フランシス」
しばらくみつめ合い、黙り合いが続いた。
やがて根負けしたマリオンが、深いため息をついた。
「おい、なんだよその反応は。もっと感動するとか、恥じらうとか…」
「頭がおかしいとしか思えない」
冷たい言葉が奈落の底へ突き落とした。
「僕たちはまだ、出会って一週間も経っていない。同情だの、政略結婚だの言ってる方が、よっぽど真実味がある」
「ああ、確かに、愛だ恋だって言ったって説得力がないと思ったさ。だからさっきは、思いつく限りの理由を並べた。だけど、それだけだとお前に思われたくなかった。あの湖でお前を見た瞬間から、いやもしかしたら命を救われた時から、俺は恋に落ちたんだ」
「だったら、あなたはただ僕の容姿が気に入っただけだろう。だけどお生憎さま。僕はいずれ男になる。あなたより背が高くなって、叔父上のようなたくましい体になって、父上のような立派な髭をはやすんだ」
(やめてくれ!)
マリオンは耳をふさぎたくなった。
「そして姉上のような可愛い女の子と…」
最後まで言わせずに、マリオンは細い体を抱き寄せた。
「それならなおさら…」
「離せ」
「なおさら、今のお前を俺にくれないか。この美しさがいつかかげろうのように消えてしまうなら、その時間を俺にくれないか」
振りほどこうともがく体を押さえる手に、よりいっそう力を込める。
「今のままのお前でいいよ。男のようにふるまっていていい。ただ、俺の腕の中でだけ、女になってくれないか」
そして両腕を掴んで体を離し、その顔を覗き込んだ。
「俺たちの子供をつくろう、フランシス」
呆れた顔が口を開く前に、さらにたたみかける。
「お前は戦の神に祝福された子供を産めるんだぞ。その子の父親がバルトワの王子だったら最強じゃないか。お前は、お前に惚れている俺を利用しろ。アステラの未来のために」
「それは姉上と…」
「いいのか?」
戸惑っている声を遮った。
「お前の母親を殺した人間の血が流れている子供が、この国の後継者になっていいのか?」
フランシスは、凍りついたような表情で黙りこくった。
「自慢じゃないが父上を除けば、この大陸中のどこを探しても、俺より力を持っている男はいないぞ。地位も、財力も、能力も、すべてにおいてだ。だからお前の父君は、いとこ同士というリスクがあっても、自分の娘と俺の婚約に反対しなかったんだ。その俺とたとえ一時でも婚姻関係を結べば、たとえお前が男になってどこかの令嬢と再婚することになっても、アステラは安泰だろう。まして俺たちの間に子供がいれば」
言いながら、また俺は言いたくもないことを言っているなと自嘲したい気分になった。
「いわゆる政略結婚ってやつだが、王族の人間はみんなそうやって、国家の利益を優先して伴侶を選ぶんだぞ」
これじゃパトリシアと同じだなと、マリオンは内心で思った。
妹にしか思われなくてもいいから結婚してくれと泣いたパトリシアのように、政略結婚でもいいからと説得している自分。さっきのパトリシアも、こんなふうに必死だったんだな。
(かわいそうなパティ)
だがもっとかわいそうなのは、目の前で黙ってうつむいているフランシスだと思った。
この小さな体で国の守護神にならなければならないというのに、さらに結婚さえも国家のための犠牲を強いられている。
でも、じゃあなんて言えばいい?
なんて言えば、この美しい獣を手に入れられるのだ。
「フランシス、陛下があんな体になってしまった今、お前がどんなに強くても、アステラ軍だけでディアスに対抗するのは無理だ。バルトワが全面的にバックアップする。俺たちで力を合わせて、ディアスにいる黒魔術師を倒そう」
フランシスは顔を上げた。
「お前の母君の仇を取ろう」
本当は、子どもなんかは二の次だった。もちろん欲しい気持ちはあるが、フランシスと結婚できるならそれで十分なのだ。
黒魔術師も、退治しなければという気持ちの裏に、そうすることによって呪いが解けて、もしかしたらそれがフランシスが男になるきっかけになるかもしれないという不安があった。
だが今はとにかく、思いつく説得の材料を総動員して、彼女の心をつなぎとめたい。
明日帰国したら、次はいつ会えるかわからないのだ。
しかもジェイソン国王は、フランシスが女性であると告知する決断をした。
そうしたらきっと、たとえ自分より強い女だとわかっても、この美貌に魅せられて求婚する男があちこちから湧いて出るに違いない。だから自信家だと思われるのも厭わず、必死に自分を売り込んだのだ。
今はかわいそうでも、いつかきっと、俺を選んでよかったと思わせてみせる。大嫌いだと吐き捨てるように言った自分の体を、いつか受け入れて愛せるようにしてみせる。女に生まれてよかったと思わせてみせる。
だから…。
「だから、俺と結婚してくれ」
フランシスは答えなかったが、明らかにさっきまでとは表情が違っていた。心に迷いが生じているーそう見えた。
固く閉じている心の扉が開くようにと念じながら、マリオンはその小さな顎を掴んで顔を近づけた。
途端に逃げようとする体を強く引き寄せる。
「試してみないか、本当に嫌かどうか」
そして、今まで幾人もの女性を虜にしたはずのとびきりの微笑を浮かべてみせた。
「フランシス、男になりたいなら、キスの経験は積んでおいた方がいいぞ」
抵抗が一瞬止まったのを見逃さずに、マリオンは素早くその唇を奪った。




