第二十二話
じっと黙って二人を見ていた国王は、やがてため息をつきながら目を伏せた。
「オリバーを連れて行きなさい」
マリオンとフランシスは、驚きの表情で国王を見た。
二人とも、止めようとする言葉が返ってくることしか予想していなかった。
だがマリオンが何か言う前に、オリバーは首を振った。
「それはできません、陛下」
「私なら、もう大丈夫だ」
「ダニーもいます」
「しかし、筆談なしで会話できる唯一の人間と、フランシスだって離れたくはないだろう」
「私がこの子の代弁をしてあげることは、もしかしたら声を取り戻そうとする気持ちを邪魔してしまうかもしれない」
実際は、ジェイソン国王もまだ安心できる状態ではないらしいことを、フランシスはオリバーの心から読み取った。そうでなければ、ダニエルを連れてバルトワへ行く選択をしていたかもしれない。いつもの泰然とした表情の裏に隠した、自分への祖父の心配をフランシスは感じ取った。けれどもそれを抑えることができたのは、自分の代わりを任せられる人間がいるかららしい。
「私の代わりに、ファーガソン夫人についていってもらってください」
オリバーは国王に言った。
「あの人は、フランシスの赤ん坊を取り上げるためにここへ来たんです。この国へ、あなたのところへ来るということは、相当の勇気と覚悟が要ったと思います。それをやり遂げさせてあげてください」
国王はじっとオリバーの顔を見たあと、そばにいた側近に「姉上を呼んできてくれ」と言った。
側近が出ていくと、国王はフランシスの方に顔を向けた。
「フランシス。戦士は、人を殺すために存在するのではない。守るべきものを守るために存在するんだ。神は、この小さくて貧しいアステラを守るために、王族の男に特別な力を与えてくれた。けれどもそれは、同時に悲劇をもたらした。姉上の母親とグレースは、男の子を産めずに苦しんだ。エレナは、男の子を身籠ったために命を落とした。そしてお前もいま、戦士を産むということの重さに苦しんでいる。負の側面は確かにある。だが、女たちの苦しみを知っているお前には、どうか乗り越えてもらいたい。負の連鎖を断ち切ってもらいたい。生まれてくる子にどう戦うべきかを、どう生きるべきかを、教えてあげられる母親になってもらいたい。真の戦士に育ててもらいたい。そして……」
国王は悲しそうに目をそらした。
「できることなら、そんなお前に、そして生まれてくる子に、この国の未来を託したかった」
「お父様!」
パトリシアが前に歩み出た。
「私もアステラの王族です! 私がフランシスの代わりに頑張ります! もちろん力不足なのはわかってる。でもカイルが助けてくれます」
話が思わぬ方向に流れたことに、国王だけでなく居合わせた全員が面食らっていた。もちろんカイルも。
だが、驚いている場合ではないと慌てた様子で、カイルもそのパトリシアの隣に歩み出た。
「へ、陛下、パトリシア王女殿下との結婚を、どうか許してください!」
国王はさらに驚愕の表情になり、ただ目を丸くして何も言えずにいた。
「陛下」
マリオンは二人のせっかちさに苦笑していた。
「突然すぎて、すぐに返事はできないでしょう」
「なに仕切ってるのよ、マリオン。そもそもあなたが急にフランシスを連れて行こうとするから、私たちも急がなきゃならなくなったんじゃない」
「それにしたって急ぎすぎだ。そう慌てるな。まず陛下、二人の結婚についてはゆっくり考えてもらうとして、ただ、カイルはここに置いていきます。もちろんフランシスの代わりにはならないでしょうけど、僕の側近をしていただけあって、とにかく使える男です。ばりばりこき使って、そして判断してください。パティの婿にふさわしい男かどうか。もちろん僕は、誰よりも推薦しますけど」
そのとき、側近に連れられてロビンが部屋に入ってきた。
集まっている面々を見て何が起こっているのかと訝し気な表情のロビンに、国王は言った。
「姉上、マリオン殿下が、フランシスをバルトワへ連れて行くと言っている。すまないが、あなたも一緒に行ってあげてくれないか」
ロビンは驚き、すぐにフランシスに目をやった。笑おうとしているようで泣きそうにも見えるフランシスに、ロビンは微笑いかけた。
「もちろん、ついていきます」
「すぐに発つけど、大丈夫か?」
マリオンの言葉にロビンは目を丸くしたが、すぐに苦笑した。
「わかったわ。急いで支度します」
「その前に、オリバー、姉上の顔の痣を消してあげてくれないか?」
出ていこうとしていたロビンは、驚いて立ちつくした。
「わかりました」
オリバーはうなずいて歩み寄ってきたが、ロビンは首を振った。
「いえ、私はこのままで……」
「パティが、フランシスをレディにしようとしたのと同じ気持ちです。バルトワへ行って、嫌な思いをすることがないように……」
国王は言った。
「いえ、私はあなた方に何の罪滅ぼしもしていません。せめて、この顔で生きていくことくらいしか……」
「あなたは、ずっとフランシスを支えてくれている。それで十分です」
オリバーが言った。
「そう。姉上が慣れない異国でもフランシスのサポートに専念できるように、少しでも懸念材料はなくしたいんです。どこにでも、意地悪な人はいるものだから」
「まあ、いるかもしれないな」
国王の言葉に、マリオンは苦笑した。
「私もオリバーも、無事に出産できるように遠くから祈ることしかできない。だから、この子の親としてできることはやらせてほしい」
フランシスが、涙を浮かべながら国王の元へ駆け寄り、その体に抱きついた。
抱き合っている親子をみつめたあと、マリオンはまだ困惑した表情のロビンに顔を向けた。
「意地悪な奴がいるかどうかはともかく、顔に痣のあるロビン・ファーガソンという女性が、自分の妹に捕虜だった黒魔術師を逃がすよう仕向けたということは、俺の父も知っている。だから痣を消すことももちろんだが、名前を元の名前に戻した方がいい。父との間に、今さら無用ないざこざを生まないために。それは、フランシスによけいな気苦労をさせないためでもあるんだから、あなたは何も遠慮することはない。むしろ、そうしてもらわなければ連れていけない」
ロビンは大きく息を吐きながらうなずいた。
「わかりました」
オリバーはロビンの前に歩み寄って、その顔に右手をかざした。
その手のひらが光るのをみつめるロビンの頬を、涙が一筋つたった。
マリオンたちと一緒に馬車でバルトワから帰ってきたクリストファーは、途中で鳥に変身してギルバートの家へ行き、一緒にアステラ城にやって来た。
その二人とダニエルはテーブルに座り、マーサが焼いたホットケーキを黙々と食べていた。
誰も一言もしゃべらず、まるでお通夜のようだった。
ギルバートは時折手を止め、無意識のうちにため息をついていた。ホットケーキの味など、正直全然わからない。
フランシスに会いに来てほしいという手紙を確かに書いたが、まさかこんなにすぐに彼女を連れて行ってしまうことになるなんて――。
「パティも、座って一緒にお食べなさい」
アイスティーを運んできたパトリシアに、上の空の表情で立っていたマーサが、ハッと我に返って言った。
「いえ、私は、後で……」
どこまでも使用人という立場を崩そうとしないパトリシアも、どこか浮かない表情だった。
そしてマーサも、みんなには隠しているが、ホットケーキを二度も黒焦げにしてしまった。とても料理に集中できる状態ではなかった。
「いい匂いだな」
マリオンの声に、全員が顔を上げて入り口の方を見た。
「マーサのホットケーキを食べてから出発したいそうだ」
マリオンに肩を抱かれているフランシスをじっとみつめたあと、マーサは大きく首を振った。
「いえ、あの、申し訳ありません。もうないんです」
ダニエルが不思議そうな顔でマーサを見た。
「ショーンの分まであるって、さっき……」
「ショーン様は二人分食べるので、多めに残しておかないと……」
「じゃあ、僕の分をあげる。半分だけど……」
クリストファーが言うと、マーサは厳しい顔をしてまた首を振った。
「いけません! フランシス様にそんな食べ残しを……」
そしてマーサは無理に作ったような笑顔で言った。
「卵も、もうないので……。明日……明日なら……」
マリオンはフッと笑ったあと、フランシスに優しい眼差しを向けた。
「じゃあ、途中でレストランに寄って、そこで食べよう。レストランのホットケーキなら、アイスクリームも添えてあるぞ」
ダニエルが羨ましそうな顔をした。
「ま、待ってください! フランシス様のお気に入りの石鹸を持たせてあげないと……。出入りの業者が明日来るから、たくさん買って……」
「マーサ、バルトワならもっといいものが売ってる」
「マ……マタニティドレスも、まだ縫いかけなのに……。あと一日……せめて……せめて……あと一日……」
最後まで言えずに、マーサは顔をおおって泣き出してしまった。
「じゃあ、その続きはバルトワで縫ってくれ」
顔を上げて、言われた意味が理解できずにマリオンをポカンと見ているマーサに、フランシスが歩み寄って抱きついた。
「陛下の許可は取ってある。一緒に来てくれないか、マーサ」
ギルバートが、呆れた表情で言った。
「早く言ってあげればいいのに。意地悪ですね」




