第二十話
「声帯や喉に異常はない。ストレスからくる、一時的なものだろう」
心配そうな顔で周りに集まっている人々に、オリバーは言った。
「申し訳ありません。フランシス様」
ビリーがフランシスの前に跪いた。
「私がもっと、王宮の動きに注意を向けていれば……」
フランシスはやっと顔を上げてビリーを見ると、困惑した顔のまま首を振った。
「あなたのせいではないと言っています」
オリバーが代弁した。
「私は、人の心が読めるので……。この子の本心です。フランシスだけでなく、誰も、あなたのせいだなんて思っていない」
「私の……せいよ」
全員が声の方を振り向いた。
「私が……男の言葉でしゃべるのをやめさせたから……」
大粒の涙をこぼしながらそう言うと、パトリシア王女は顔をおおい、その場にしゃがみこんでしまった。
「無理やり女の子の格好をさせたから……。レディになれなんて言ったから……。だから……ストレスがたまって……。ごめんなさい。ごめんなさい、フランシス」
「あなたのせいでもない、パトリシア王女。そんなに自分を責めたら、フランシスの悲しみが増えるだけです」
そう言ったオリバーから体を離して、フランシスはゆっくりと立ち上がった。そして泣いている姉のそばに歩み寄り、自分もしゃがんでその背を抱いた。
パトリシア王女は、妹にしがみついて声を上げて泣いた。
その二人の元へロビンも歩み寄ってしゃがむと、フランシスの肩にそっと手を置いた。
「あまりにも、いろいろなことが続きすぎたのよ。ストレスは、様々な症状を引き起こすわ。胃の病気になったり、髪が抜けたり、精神が病んでしまったり、そして、流産の原因にもなる。だから、声でよかったと思いましょう。声なら、きっといつか出るようになる。でもおなかの赤ちゃんが流れてしまったら、その子は戻ってはこない。きっと、あなたの声が、赤ちゃんの代わりになってくれたのよ」
フランシスは、ロビンの顔をじっと見たあと、こっくりと頷いた。
「大丈夫よ。今は苦しくても、あなたにはたくさんの味方がついている。記者の人たちだって言っていたでしょう。あなたの記事は売れるって。殿下の悪口を書いた記事が売れたのだって、裏を返せばみんながあなたを心配していたから。あなたの幸せをみんなが願っているからよ。あなたが、ロベルト国王の子供たちを心配しているように、あなたを心配して、幸せを願っている人たちがたくさんいることを忘れないで。もちろんここにも、あなたと、あなたの赤ちゃんを守ろうとしている人たちがいることを、いつも忘れないでいて」
フランシスの青い瞳から、涙が一粒こぼれ落ちて頬をつたった。
「それを忘れなければ大丈夫だから。絶対、絶対もとのあなたに戻れるから。大丈夫よ、フランシス」
「フランシス様」
ビリーも歩み寄ってきた。
「これは決して、責任を逃れたくて言うわけじゃないんですが、私は、ディアスの新国王やその側近の人たちと頻繁に対面しました。新体制の人々は、何よりもディアスの国中に麻薬の害が蔓延しているのを憂いていて、その対策にいち早く取り組んでいました。ですから、ロベルト国王の崩御を彼らは本心では歓迎していたんです。あなたへの感謝を口にする者もいました。そしてあの国王は、アステラにまでその麻薬の売人を送り込もうとしていたそうです。フランシス様が、国王の子供たちを心配するお気持ちはわかります。でも決してあなたは、間違ったことをしたわけではない。自分を責めてはいけません。あなたの行いは、ディアスだけじゃなくアステラ国民も救ったんです」
途中でひどいスコールに遭い、カイルの旅は通常の倍くらいの日数を要した。
帰国の挨拶にやってきた忠臣の疲労を思いやって、「今日はもう休め」と言ったマリオンに、「大事なお話があります」と、カイルは姿勢を正して言った。
「奇遇だな。実は俺も、お前に大事な話があったんだ」
「では、殿下から先におっしゃってください」
「いや、お前の話を先に聞こう」
「いえ、殿下から……」
帰路のあいだ頭の中で何度も練ったパトリシアとの件の報告も、いざとなると反対されそうな不安や照れが先にきて、なかなか言い出しづらかった。
「まあ、俺の話は急ぐわけではないんだが……、いや、急いだ方がいいか。お前も俺と同じ年なんだから、そろそろ身を固めた方がいいだろう?」
(え?)
なんと、言い出しづらかった話を主君の方から切り出してきた。
「ふと、思ったんだ。俺のことにかかりきりで、お前は結婚どころか、まともに恋愛をする余裕も持てなかったんではないかと。いや、そのことに思い至ったのは、やはり同じように俺のせいで婚期を逃がした女に、少し責任を感じたものだから……」
(えええーっ!?)
マリオンのせいで婚期を逃がした女性なんて、一人しか思い浮かばない。いや、まだ彼女は十分若いが、それでもバルトワの王太子との婚約が破談になったのだから、次の相手はみつけづらいだろう。
「誰かいい男はいないかと考えたとき、お前のことを思い出した。なんだか俺の……その、言葉は悪いがおさがりみたいで、お前は嫌かもしれないが」
「そ、そんなことはないです! 殿下のおさがりなんて、身に余る光栄です!」
「そうか? まあ、ちょっと気が強い女なんだが」
「私は、気が強い女性は大好きです!」
「そうだと思ったよ。ちょっと尻にしかれるくらいの方が、お前には合っていると思うんだ」
「はい! もうすでに、尻にしかれています」
マリオンは目を丸くした。
「なんだって? お前、あいつとそんな仲になっていたのか?」
「そんな仲って……。いや、その……まだ、一度キスをしただけで……」
「いったいいつのまに……」
「申し訳ありません! 殿下への報告が後になってしまって……」
カイルは、汗をかきながら何度も頭を下げた。
「いや、いいんだ。だったら話は早い。そういうことになってるんなら、あいつも正妃候補なんて言われて、さぞかし迷惑だったろう。早く話を進めよう」
「正妃……候補?」
「この前やたら俺にベタベタしてきたのも、お前が帰ってこないから寂しかったんだな」
「あの……殿下……どなたの話をなさってるんですか?」
「どなたって、クロディーヌだよ。クロディーヌ・モーガン」
カイルは口をあんぐり開けて、しばらく凍りついたように動けなくなった。
その反応に戸惑って、マリオンもしばらくその顔を凝視したまま黙ってしまった。
「殿下……あんまりです」
やがてカイルは悲壮な声を出した。
「今まで必死にお仕えしてきた私に、おさがりの女性を与えようとするなんて……」
マリオンはますます戸惑った。
「お前、人格が入れ替わったのか? さっきは光栄だって言ったぞ」
「それはパトリシア様のお話だと思ったからです!」
今度はマリオンが口を開けて固まった。
言ってしまってから、カイルは慌てる。せっかく一生懸命話の段取りを練ったのに、すべてどこかへ飛んでいってしまった。
「パティって、お前、いくつ年の差があると思ってるんだ」
喜んだり落胆したり大忙しだったカイルの心は、その言葉で一気に脱力した。
「殿下がそれを言いますか?」
目をぱちくりさせたあと、マリオンはフッと吹き出し、やがて声を上げて笑い出した。
「ははは、それもそうだな」
ひとしきり笑ったあと、いつまで笑っているんだとでも言いたげな顔で見ているカイルの顔を、マリオンは急に真顔になって見た。
「なんだか、急にジェイソン国王の気持ちがわかった気がする」
「は?」
「まだまだ子供だと思っていた従妹が、急に誰かのものになると思ったら、妙に心配になるものだな」
「もともとは、殿下のものになるはずだった女性ですよ」
「そう。嫁にもらう当人はわからないんだ。どんなに幸せにすると言われても、心配でしょうがない親心を……。パティよりもっと若いフランシスを嫁にもらおうとしているくせに、パティの、小さくて甘えん坊で泣き虫だったことばかり思い出して、まだまだ嫁になんかいけないはずだと思ってしまう」
「もしかして……パトリシア様まで誰にも取られたくないと思ってらっしゃるんですか?」
「いやいや、そうではない。いくら俺でも、そこまで自己中じゃない。だが、今しみじみと思ったのさ。俺にとって、どんなにあいつがかわいい存在だったか……。心配なのも、異性ではなく、妹を思うような気持ちだ。だから……俺が認められない男には、くれてやりたくない」
カイルは、ドキドキしながら主君の視線を受け止めた。本当は目をそらしたくてしょうがなかったが、ここで逃げてはいけないと踏ん張った。
マリオンの目が、ふっとやわらかく笑った。
「お前ならいいだろう」
カイルは、天にも舞い上がりそうなくらい輝いた表情をした。
「殿下……」
「泣かせたら承知しないぞ」
「殿下! 殿下!」
半泣き状態で、カイルは主君の体に抱きついた。
「おい! いくら恋人の心が男でも、俺は男と抱き合う趣味はない!」
だが、マリオンがカイルを突き飛ばす前に、二人の抱擁は終わった。
甲高い鳥の声が、二人の視線を窓の外へ向けさせたのだ。
一歩踏み出した恋。
雲一つない真夏の青空。
愛らしい黄色い小鳥。
だが、いいことばかりじゃないという嫌な予感を、その小鳥は運んできた。




