第十七話
国立図書館の館長室に、司書のジェニファーが血相を変えて駆け込んできた。
「か、館長! フランシス王女殿下がいらっしゃいました!」
館長のドミニクは仰天して立ち上がった。
「まさか。間違いなくご本人か? なんの連絡も受けていないぞ」
「私がお写真などで拝見しているのとはずいぶん雰囲気が違いますが、私があのお顔を見間違えるはずはありません」
ジェニファーは熱烈なフランシスファンだった。
「……って言うか、あんなおきれいなお顔が、この世にふたつとあるはずがありません」
「君がファンだと知って会いにきたのか?」
「私もそうかと……ってそんなことあるわけないじゃないですか、館長。ここ
一ヶ月のアステラの報道で、マリオン殿下に関する記事が載っている新聞と雑誌を、全部見せてほしいと……」
「え? いったいなぜ……」
「つまり、ご存じなかったということじゃないですか? この騒動を……」
「じゃあ、お見せするのはまずいんじゃないか。王室が隠していたということだろう?」
「でも館長、世の中にこんなに出回ってしまっているんですから、隠すなんて不可能です。お見せしたからといって、私たちが責任を問われることではありません。何より、王女殿下に要求されてしまった以上、拒むわけにはいきません。殿下には、知る権利があります」
ジェニファーは、黒ぶちメガネを人差し指で押し上げながら力説した。
「いえ、権利うんぬんより、殿下は知るべきです。そしてあんな男の元へ嫁ぐことなど、絶対思いとどまるべきです。それはアステラ国民全員の悲願です」
待たされている閲覧室の椅子に座って、チラチラと送られてくる周りの視線に辟易しながら、フランシスはボソッとつぶやいた。
「だからこんな恰好したくなかったんだ」
「恰好うんぬんより、お前そのものにみんなが注目してるんだよ」
ショーンが苦笑しながら言った。
やがてさきほどの女性司書が、大量の雑誌と新聞が乗った台車を押してきた。
「お待たせいたしました。これで全部です」
「ありがとう」
フランシスが立ち上がって礼を言うと、司書は頬を赤らめた。
「いえ。ただいま、お紅茶とお菓子をご用意します」
「いりません」
フランシスは即答すると、すぐに座って上から目を通し始めた。
「コーヒーの方がよろしかったですか」
「あ、俺、砂糖ひとつとミルクたっぷりね」
「ショーン、特別扱いは受けるな」
そしてすぐに言いなおした。
「受けてはいけません」
「だって俺腹減ってるんだよ。ランチ食べそこなったから」
「だったら外で食べてきなさい」
「そんな冷たいこと言うなって」
「うるさくするなら出てけよ!」
苛立って、言葉遣いなどどうでもよくなった。
閲覧室にいる全員から注目を浴びて、ショーンは慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「すみません」
そして、司書に向かって苦笑しながら言った。
「いいよ、何も持ってこなくて」
半分も読まないうちに吐き気がこみあげてきて、フランシスはトイレに駆け込んで吐いた。空腹時の嘔吐は、全身のエネルギーまで吐き出してしまったようなけだるさをもたらした。
こんなひどい仕打ちを受けても、マリオンはアステラまで会いにきてくれた。自分の前で、いつもと変わらず明るく振る舞っていた。
(それなのに僕は、自分一人が苦しんでいる気になっていた)
こんなに苦しいのに助けてくれないと勝手に恋人を恨んで、あろうことかおなかの子を亡き者にしようとした。
(マリオンの子でもあるのに……)
打ちのめされたせいなのか、吐いた苦しさのせいなのかよくわからない涙を拭った。
マリオンの浮気を責めるどころか、心変わりされても当然だと思えた。
(母親どころか、妻になる資格さえない)
力が入らない体を叱咤しながらやっとの思いで外へ出ると、心配そうな顔のショーンが待っていた。
「大丈夫か?」
「うん」
無理に笑って前に進もうとしたが、ふらついて倒れそうになる。
その体をショーンに抱きとめられたとき、突然周りが明るくなった。カシャカシャという音が何度もして、フラッシュをたかれたのだとわかった。
「フランシス王女殿下、そちらが新しい恋人ですか?」
「毎日会ってらっしゃると聞きました。マリオン殿下とは完全に破局したと思っていいんですね?」
「カーター侯爵家のご長男と聞いています。お似合いですね」
五人の男たちが、写真を撮ったり質問を浴びせたりしてくる。
何が起こっているのかとっさに理解できなかったが、やっと記者だとわかった。
「あなたたち、何をしているんですか!?」
さっきの女性司書が駆け寄ってきた。
「ここでの撮影は、ちゃんと許可を取ってからにしてください!」
フランシスは戸惑っているショーンを押しのけ、懸命に平然を装って姿勢を正した。
「ちょうどよかった」
目は記者たちを睨みながら、それでも口元には笑みを浮かべる。
「こちらから連絡する手間が省けた。あのマリオン殿下を中傷する記事を書いた新聞社、雑誌社全社に伝えてください。今から三時間後にアステラ城で記者会見を行うから、代表者が必ず来るようにと。もちろんあなたたちも。一社でも来なかったら、全体責任として今後一切ブラッドリー家の記事を載せることは禁止します」
記者たちは呆然としたあと、顔を見合わせた。
「そ、そんな無茶苦茶なことは、いくら王女殿下でも」
「ぼ……」
『僕』と言いかけて、フランシスは一度咳ばらいをした。
「私はいま、王女ではない。アステラ王国の国王代理です」
「情報提供者には多額の謝礼を出しているんだよ、おそらく」
アステラ城に帰ってきて図書館での騒動を聞いたギルバートは、そう推理した。
「そしてたぶん、ここにも何人かおしゃべりな人がいるんだろうな」
「まいったな」
ショーンは全然まいってなさそうな顔でそう言いながら、マーサが用意してくれたサンドイッチを食べていた。
「明日の朝刊の一面は、俺とフランシスの熱愛報道か」
にやけたいのを必死にこらえているような顔をしている。
「ギルバート、記者会見のときは僕の隣にいてくれないか」
「えっ」
フランシスの言葉にギルバートは目を丸くし、ショーンはサンドイッチを喉につまらせてせき込んだ。
コーヒーを淹れていたパトリシアが、驚いて駆け寄ってきてその背を叩く。それを手で制したあと、ショーンは唾を飛ばしながら怒鳴った。
「なんで俺じゃなくてギルバートなんだよ!?」
「あいつらが何かよくないことをつぶやいたり囁いたりしたら、すぐに僕に教えてほしい」
「どうすんだよ!? 三角関係なんて記事に書かれたら!?」
「書かせないよ。そのための記者会見なんだから」
記者会見に向けて姉が選んだ衣装に、フランシスはあえて逆らわないことにした。
自分とマリオンの結婚を妨害しようとしている人間は、そこら中にいる。彼らに対抗するためには、何よりまず自分がバルトワの王太子妃になる覚悟を固めなければならない。女として生きる覚悟を。そして母になる覚悟を。
フランシスの決意を感じたのか、パトリシアが選んだドレスは決して派手さも可愛らしさもない、けれども凛とした強さを感じさせるラベンダー色の裾が広がっていないシンプルなドレスだった。
それを着て会見場に向かう前に、フランシスは父に会いに行った。
やっと、短時間なら書類に目を通すくらいの仕事はこなせるくらい回復したジェイソン国王は、部屋に入ってきたフランシスを見て一瞬目をみはった。そしてすぐに微笑する。
「エレナが生き返ったのかと思った」
フランシスも微笑すると、静かにベッドサイドの椅子に座った。
そばにいた側近が、気を利かせて外へ出た。
「お加減はいかがですか?」
「もう大丈夫だ。オリバーが心配性なだけだ」
「まだご無理なさらない方がいいです」
「無理をさせられないのはお前の方だろう」
そして国王は、穏やかな表情でフランシスをみつめた。
「お前のお母さんが好きだった色だ」
ドレスのことを言っているのだとわかって、フランシスは少し照れてうつむいた。
「姉上に、レディになる準備をしろと言われました」
そして顔を上げた。
「バルトワに行くときのために」
少し表情が曇ったが、国王はただ黙ってフランシスを見ていた。
「父上は、マリオンを中傷する記事のことはご存じでしたか?」
返事が返ってくるまで、少し間があった。周りの人間がそのことをフランシスに知らせまいとしていたことは、国王も知っていたのだろう。あるいは、国王自身も知らせるなと命じていたのかもしれない。
「ああ。もちろん報告は受けている」
「僕は今日知りました。その点では、僕の方が父上よりも病人扱いされていたようです」
「お前を思ってのことだろう。ストレスも、つわりをひどくする原因になると姉上に聞いている。だが、あまり気に病むな。マスコミとはそういうものだ」
「僕は見過ごすつもりはありません。もうすぐここに、新聞社と雑誌社の記者が集まります。僕が要請しました。全社に、訂正文と謝罪文を書かせます」
国王はまた黙って、じっとフランシスを見ていた。
「父上には、事前に伝えるべきだと思って来ました」
「そうか」
国王は目を伏せた。
「好きにしなさい」
フランシスは立ち上がる。
「それじゃ、そろそろ時間なので」
「だが、心にとめておきなさい」
背を向けようとした娘に、父は顔を上げて言った。
「なぜあの記事が売れたのか。国民たちは、お前がバルトワに行くことなど望んではいないのだ」
フランシスは、父の視線を受け止めた。
「父上、もしも僕とマリオンが別れることになるとしても、それはこんなことのせいじゃない。こんな事実を捻じ曲げるような記事を書く奴らに、そしてそれを喜ぶような人たちに、僕たちは絶対屈したりしない」




