第十六話
ダニエルは、ソファに座って鏡に映った二人のパトリシアを見ていた。
パトリシア王女は得意気に微笑し、姉のパトリシアの方はそれとは正反対に困惑した顔をしていた。
「ほら、ぴったりだわ。私も二年くらい前までは、あなたくらい細かったのよ」
鏡に映った姉は、王女に着せてもらった黄色地に小さな花の模様があしらわれているドレスを着ていた。
まるでお姫様のようだとダニエルは思った。お姫様にしては、ずいぶん自信なさげだったが。
「こんな立派なドレスを貸していただけるなんて……。絶対、汚さないように気をつけます」
「貸すんじゃないわ。あげるって言ってるでしょ」
「いただけません。こんな高価なドレス」
「いいのよ。私はもうきつくて着れないんだもの。妹はあんなふうだからもらってくれないし。ね、ダニー、お姉ちゃんにぴったりでしょ」
「うん。違う人みたい」
「えーと、アクセサリーはどれがいいかな。それから帽子も……」
「パトリシア様、もう十分ですから」
ノックの音のあと、侍女が入ってきた。
「パトリシア様、ギルバート様とショーン様がいらっしゃいました」
「え、ショーンったらまた来たの」
王女が振り向くと、侍女の後ろにギルバートとショーンが立っていた。
「エントランスでばったり会いました」
「すみません。毎日来て」
ショーンはあからさまに拗ねたような顔をしていた。
「ねえ、どう? パティきれいでしょ」
王女に言われるまでもなく、ギルバートは頬を染めてドレス姿のパトリシアに見惚れていた。
「せっかくのデートなんだから、おめかししないと」
得意気に言いながら、王女はパトリシアの首に真珠のネックレスをかけてあげた。
「デート?」
咎めるような目で、ショーンはギルバートを見た。
「ランチを食べに行くだけだよ。ドリアのおいしい店があるんだ。彼女、食べたことがないって言ってたから」
「ドリアなら俺も食いたいな」
「駄目だよ、ショーン、邪魔しちゃ」
ダニエルがショーンの腕をつかんだ。
「僕だって行きたいのを我慢してるんだから」
「ダニー、呼び捨てにしちゃ駄目ってあれほど言ったのに」
パトリシアは慌てて弟を叱った。
「すみません、ショーン様」
「いいんだよ。俺たち友達だもんな、ダニー」
ショーンが笑いかけると、ダニエルも嬉しそうに笑った。
「うん」
「お待たせしました」
マーサの声に振り向いた全員が、彼女の後ろに立っているフランシスを見て目を丸くした。
今日のフランシスは、同じ白でもシャツではなくブラウスを着ていた。襟にはフリルがついていて、その襟もとには濃紺のリボンが結ばれている。そしてそのリボンと同色の裾の広いパンツをはいていた。一見、スカートに見えなくもない。
「うわあ、可愛い!」
王女が満面の笑みで駆け寄った。
「ね、絶対似合うと思ったのよ! こういう裾の広いパンツがいま流行ってるの。なんでだと思う? フランシスの真似をして男の子みたいな恰好をする女の子が増えたもんだから、ファッション業界がそこに目をつけて、女らしさが消えないパンツをデザインしたの。私も買ってみたんだけどあんまり似合わなくて……。でもとっておいてよかったわ」
「急にサイズをお直ししてっておっしゃるものですから……」
「マーサ、それは黙っててよ」
「まだちょっと緩いんですけど、ベルトをしたのでなんとか……」
「だから、そうやって私が太ってるってことを言わないでってば」
「まあそのうち、フランシス様のおなかが大きくなれば、パトリシア様のお洋服をお直ししなくても……」
「マーサ、私の話きいてる?」
ショーンが笑い出し、ギルバートもつい吹き出した。
ダニエルもつられて笑う。
「ちょっと、笑わないでよ!」
「で? フランシスまでめかしこんで、三人でドリアを食いにいくわけ? パティの弟が気を利かして我慢してるっていうのに?」
王女とマーサの漫才みたいなやり取りにもにこりともせず仏頂面でいるフランシスに、ショーンは咎めるように言った。
「僕はただの付き添い。いきなり二人きりじゃ、パティが緊張するだろうから……」
「フランシス」
王女が睨む。
「『僕』じゃないでしょ」
フランシスは困惑して姉を見た。
「相手によって使い分けていいって言ったじゃないですか」
「今日は練習よ。まず慣れないと。みんなも、フランシスが『僕』って言ったら注意してね」
「どうしたんですか、急に……」
ギルバートが問いかける。
「バルトワに行って、あっちの人たちにバッシングされないようによ。着るものも、少しずつ女の子らしいものに変えていくの。正妃候補なんて言われていい気になってる女の鼻を、へし折ってやらないと……。えっと、パティの帽子はこれで、フランシスはこっちね」
王女は、パトリシアにベージュの地に黄色い花のコサージュがついた帽子を、そしてフランシスにはそれよりもっとつばの広いアイボリー色の帽子を持ってきた。パンタロンと同じ紺地に白の水玉模様のリボンがついている。
「いやだよ、こんなの」
「『いやです』」
自分の言葉を訂正する姉を、フランシスはただ恨めしそうな顔で上目遣いに見た。
「日差しが強いから、お帽子は絶対かぶってくださいね」
心配そうな顔で言うマーサにも答えず、フランシスは受け取った帽子をかぶらずにみんなに背を向けた。
「行こう」
「フランシス」
また姉に窘められて、フランシスは振り向いて言いなおした。
「行きましょう」
「お前も行くんなら、なんでダニーを連れてってやらないんだよ」
「あ、あの……」
抗議するショーンに、パトリシアが少し慌てた様子で言った。
「弟は、ゆうべちょっと熱を出したので、今日は……」
「じゃあ、俺が一緒に行く」
そう言ってショーンは、フランシスに歩み寄ってその手を握った。
「かわいこちゃん二人を、ギルバートに独り占めさせてたまるか」
フランシスは、しばらくショーンをじっと見ていたが、その手を振りほどいて歩き出す。
「来てもいいけど、いちいち触るな」
「触るな?」
ニヤニヤ笑いながらついてくるショーンを、フランシスは振り向いて冷たい表情のまま言った。
「私に触らないで」
「いいなあ。女の子みたいだ」
そしてショーンは振り向く。
「いいだろう? ギルバート。店に着いたら別々の席に座るからさ。邪魔はしないよ」
「いいけど……」
そしてギルバートは、少し頬を染めながらパトリシアに目をやった。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
パトリシアは緊張した面持ちで頷く。
「あなたは手を握ってあげないの? ギルバート」
ショーンとは真逆で初々しい様子のギルバートに、王女はけしかけるように言った。
「そ、そんな、あの、言っておきますけど、決してデートとか、そんなんじゃないですから」
「なに照れてんのよ。私がこんなに一生懸命きれいにしてあげたんだから、ちゃんとエスコートしてあげてよ」
それでもうつむいてぎくしゃくと歩いていく二人を、王女は笑顔で送り出した。
「行ってらっしゃい! 頑張ってね、パティ」
振り向いたパトリシアはますます困惑した顔をしていて、ダニエルはちょっと心配になった。
「僕は途中で降りるから」
馬車の中の席はほやほやのカップルに譲って、御者台にいるフランシスは隣で馬を操っているショーンに言った。
「え?」
「そんな野暮なことするわけないだろ。こうでもしないと、一人で外出させてもらえないんだ。パティにだけは話してある」
「お前、しゃべり方もどってるぞ」
「いいだろう、二人だけなんだから」
「途中で降りて、どこへ行くんだ?」
「君も、店に二人を降ろしたら適当に帰れよ。二人の邪魔しないで」
「おい、質問に答えろよ」
「それから、言いそびれていたけど、昨日はありがとう」
ショーンは、まじまじとその横顔を見た。
「お前がひとの話を聞かないのは、マーサ譲りか?」
やっとフランシスは笑った。
「あそこで降ろして」
フランシスが指さした十字路で馬車を停めると、ショーンも一緒に降りてきた。
「二時間後にここで待ってるから」
馬車の扉を開けて二人に言うフランシスの後ろから、ショーンも顔を覗かせた。
「おい、御者を代われ、ギルバート。俺もこいつについていくから」
あきらかに迷惑そうな顔をしたフランシスに、パトリシアが懇願するように言った。
「そうしてください、フランシス様。私、絶対にフランシス様を一人にしないように、奥様から言われているんです」
自分とロビンの板挟みになっているパトリシアに、フランシスはさすがに申し訳ない気持ちになった。
昨日の騒動以来すっかり信用をなくしてしまったフランシスのそばには、絶えず誰かがついていた。二人のパトリシアのどちらか片方だったり、マーサだったり。
夜は、ロビンがフランシスの部屋のソファで眠るという念の入れようだった。
ロビンが自殺するかもしれないと心配してここへ連れてきたというのに、すっかり立場が逆になってしまった。
そのロビンが、眠りにつく前にフランシスに言った。
「どうしても、どうしても耐えられないなら、あんなふうに自分が大怪我をするような真似をしなくても、私が堕胎させてあげることはできる」と。
「けれどもそれは、最終手段よ。そしてその手段を選ぶ前に、絶対マリオン殿下と話し合わなければ駄目」
正直、今でも心は不安定に揺れている。
けれども、ひとつずつやらなければならないことをやっていこうとフランシスは決めた。そしてそれは、できれば一人で行動したかったのだが。
「わかった」
フランシスはパトリシアに頷いた。
一人で行動したかった理由はそれを止められるんじゃないかと思ったからだが、ショーンならたぶん大丈夫だろう。
そしてフランシスはパトリシアに笑いかけた。
「楽しんできて、パティ」
パトリシアも恥ずかしそうに微笑する。
「はい」
ギルバートが降りてきて、御者台に向かった。
「パティを頼んだよ、ギルバート。外食なんて慣れていないだろうから」
「任せてください」
「変なとこ連れてくなよ」
ショーンがニヤニヤ笑いながら言う。
「変なとこってどこだよ。君の方こそ、フランシス様に迷惑かけるなよ」
そんなやり取りのあと、動き出した馬車を見送りながら、ショーンはボソッと言った。
「前途多難だろうな、あの二人じゃ」
それはフランシスにもわかっていた。身分の差がありすぎて、おそらくギルバートの親には反対されるだろう。
だが今はまだ、その心配をする段階ではない。
ギルバートは、まだ自分の気持ちを打ち明けてもいないだろうから。
「でも、障害が多いほど恋は燃えるんだよな」
そう言いながら、ショーンはまたフランシスの手を握ってきた。
「なにかっこつけてんだよ」
フランシスはその手をふりほどくと、ショーンを残してさっさと歩き出した。
「おい、照れるなよ。昨日は俺に身をゆだねようとしたくせに」
「そんなことはもう忘れた」
どうしてもフランシスは、ショーンやギルバートとは男同士のような感覚で接してしまう。だから昨日も、警戒心が足りなかったと反省している。
ショーンにこれ以上隙を見せないためには、逆に自分は女だという自覚を強く持つべきなのかもしれない。
そう思ってフランシスは、姉に持たされた帽子を被りながら振り向くと、あえて女っぽく言ってみた。
「あなたも忘れて、ショーン」
だがその台詞は、ショーンの頬を赤く染めただけだった。




