4 御者の男
「ぐはっ」
スーの体当たりで男は吹っ飛んだ。
だがそこまで威力はなかったようで、むき出しの土の上に仰向けに転がった。
男は腰に下げていた袋から布のような物を取り出すと、いきなりティナの口を覆ったのだ。
薬か何かを含ませていたのだろう。気づいたスーが慌てて男に体当たりをしたが、ティナはその場に崩れ落ちてしまった。
しくじった!
ご主人様に危害を加えられてしまった。
それも自分の見ている前で。
男には勿論だが、うかつな自分自身にも腹が立つ。
今までキャラバン隊の生活の中で、ティナが危害を加えられることはなかった。
女性隊員から小言や嫌味を言われることは多かったが、手を上げられることもは無かった。だから油断した。
そんなことは言い訳にしかならないけど。
慌ててティナの様子を伺うが、息をしている。苦しそうにもしていない。気を失っただけのようで安心する。
男はティナを気絶させ逃げられなくしたかったのだ。
冗談だと言ってはいたがティナを生贄として差し出す気だった。それも生きたまま魔獣の餌にしようとしたのだ。
許さん。
目の前に転がるこの男だけじゃない。キャラバン隊の奴らも、サノト村の奴らも全員許さん。
スーの瞳の奥に暗い光が灯る。
「なんだっ、スライムからやられたのか? ふざけるなっ!」
男は立ち上がると怒りをあらわにする。
ティナがスライムを連れていることを、男は知ってはいたが、スーがティナの足元に大人しくいたので、その存在を忘れていた。
スライムは気にもかけない存在なのだ。
魔獣とはいえ最弱。それもティナはスーのことをペットだと言っていた。
そんなスライムに突き飛ばされたのだ、許せるはずが無い。
今すぐ殺してやる。
男はスーへと近づくと、踏みつけようと足を上に振り上げる。
普通のスライムなら、それで死んでしまうだろう。そう、普通のスライムなら。だがスーは違う。
笑わせる。
スーは唇を片方上げて皮肉気な笑みを浮かべる。唇どころか口すら無いが。
もう二度とティナに近寄らせるようなことはさせない。
ティナを庇うように前に進み出ると、両脇から触手を出し、振り下ろされる男の足を簡単に弾いてみせる。
「なっ、なんだと、スライムが触手?」
足が弾かれ、男は空足を踏む。
本来のスライムは、何かを食べるためだけの存在だ。身体を伸縮して食べ物へとへばり付く。ただそれだけ。触手を出すスライムなんて知らない。ましてや意志を持って抵抗するなんて。
男は一瞬ギョッとしたが、それでもスライムはスライムだと思い直すと、今度は蹴り飛ばそうと再度足を振り上げる。
「ぎゃあっ」
スーは男に蹴られて飛んでは行かなかった。それどころか声を上げたのは男の方だった。
伸びてきた男の足にスーは触手を叩きつけたのだ。“ボキリ” という音と共に、男の足は、いとも簡単に折れてしまう。
男はそのまま倒れ、激痛にのたうち回る。
「ぐわぁっ、いてぇっ。いてえぇっ! なっなんだっ。どうなったんだ」
(あーあー、煩い煩い)
スーは両触手で自分の両脇を押さえる。まるで耳を塞ぐように。スライムに耳は無いのだが。
スーは男を許すつもりなんかない。
ティナに危害を加えたことも勿論だが、生贄にしようとしたのだ。
万死に値する。
スーは触手をしならせ、男のもう片方の足へと打ち付ける。
「ぎゃああっ」
男はのたうち回る。
両足共に折れてしまったから、もう逃げることはできない。
よかったな。
お前の望んでいた生贄の出来上がりだ。それも生きているし意識もある。
そのまま食われてしまえ。
男をここで、いたぶり殺してもいいのだが時間が無い。いつ魔獣がやって来るか分からない。
気を失ったままのティナを、早く安全な場所に移動させなければ。
スーはティナを抱きかかえようと触手を伸ばす。
(チッ、もう来やがったか)
スーは森の奥へと視線を向ける。
木々が揺れ、音が近づいて来る。
荷馬車に繋がれたままの馬が、気配に気づき騒ぎ出した。
生贄を食べるために、魔獣が近づいて来たのだった。