第90話 浄水器はじめました
新入生もやってきて、実感もないまま最終学年に。
そしてそれは兵役へのカウントダウンに他ならない。
本来アカデミーには三年間席を置けるが、春生まれの私は十七歳で入学したので
実質の在学期間はあと一年。特例がないワケではないけど、戦時中なので延長は
無理だろうと言われてしまった。
初年度に躍起になって授業を受けた事もあって、卒業単位には比較的余裕があったので、今年は生産学科の代わりに法学と商業学の単位を選んだ。
「いろんなものに首を突っ込みすぎじゃねーですか?」
「一応領主だし、知らないじゃ済まされない事が多すぎるのよ」
「トーマスにまかせればいいです」
「そのトーマスもこのところヨハンのフォローにまわっていたでしょ?
ヨハンが細かいルールや契約書の類を用意していってくれたけど、知らなくちゃ
扱えないわ。それでなくても隙を突かれそうなのに…」
「物理はまかせるです」
「ありがとう。頼りにしてるわ」
ヒスイにはそう言ったけど、主要メンバーを戦地に取られて防衛力も知的戦闘力も大幅にダウンしている。そしてこういった時に領地を狙う傭兵崩れが出るらしい。
ノイトラール最大の特徴である結界も、本来は戦争ばかりのこの国の事情を考慮したもので、鉄壁の防御にでもしないと中立都市など名乗れないのだ。
だが困ったことに一番の敵は軍資金を提供できなければ、即国有地化しようとする王家だったりする。
「イノシシ要員はどう?集まりそう?」
「バイト希望者が殺到してるです。戦闘訓練にくわえて焼肉食べ放題が効いてるです」
レオンからイノシシの飼育を任されたヒスイは後輩たちの育成にもあたってくれている。
でもバイト募集に際してレオンたちが出した条件が、一撃でジャイアントファングを昏倒させられる事。
イノシシを猪肉と呼ぶ彼らだが、間違いなく愛情をもって接しているので、最後は極力苦しめないで欲しいそうだ。
そんなヒスイがバイト生を集めるパフォーマンスにしているのが騎士科の実技である。
「バイトに受かりたくば、かかってこい!」
グラウンドの中央で叫んだヒスイは、今日も生徒たちを木の葉のように吹き飛ばしている。
バイトの話は別にしても、騎士科の生徒はいずれ確実に最前線に送られる。
戦う技術はもちろんだが、生き残る術を早急に学んでほしい。
それはアカデミー講師陣の切実な願いであり、戦場を知るヒスイに鍛え上げられることは非常に理に適っていた。
開戦してしまった今、国にとって騎士科の生徒は、数としての補充要員。
だから戦闘職の騎士科と魔術科は『学科』とは呼ばれない。
即戦力として前線に送られる都合上、学生気分でいられては困るからだ。
とは言え、年齢・経歴・本名すらも詐称しているヒスイがシュテルツェ出身の
元傭兵である事を知るのはごく一部の人間のみ。
ベリルさんの孫設定すら、私と一緒にアカデミーに通わせるための方便だった。
戦場でダールベルク隊と衝突したヒスイは、圧倒的な火力差に散り散りになる自軍に見切りをつけ、その晩のうちに敵の野営地に単騎特攻した。
狙うのは大将の首ひとつ。だが大規模破壊がたった一人の魔術師によって引き起こされた事には気づいていなかったので、その本人に捕まるハメになる。
庶子として生まれた彼女は、傭兵になるべく育てられ、敵を多く殲滅すればその分食べ物がもらえると、それだけを徹底的に叩き込まれていたそうで、自分だけでも作戦を遂行しようと考えたらしい。
当時のダールベルク隊は元々の上官が亡くなり、爵位の高かったヴィル様が後任についたばかりで、部下も寄せ集めに近い状態だったらしく、どうやらその混沌に
まぎれて部下よりも余程使えるヒスイを餌付けしたらしい。
その話をヒスイから聞いた時、思わず「私も似たようなものだった」と経歴を喋ってしまったのだけど、恐ろしいことに捕獲体質は『貴族あるある』らしくて、
『No監禁!Yes自由』ってヘンな所で盛り上がってしまった。
でも過去がどうであろうとヒスイである事に変わりはないし、私にも認めていない過去がある。
だったら変えられない過去より、現在をしたたかに生きるヒスイを認めるべきだとべきだと思っている。
そして同じように、自分が出来ることを模索した私は、薬医学科で浄水器になっていた。
「また一樽分たまったな。追加だ」
そう言ってドクタービルングは、特大ジョッキを目の前に置いた。
「…せめてコップでチビチビ飲ませていただけませんか?」
「コップじゃ何リットル飲んだか分からなくなるだろう」
推奨単位がリットルなのがおかしい…
魔法の水は不純物が少ないうえに薬剤がよく溶ける。
だから薬の製造に向いているらしくて、ここで私がしている仕事は、
限界まで魔法で水を作り枯渇しては井戸水をがぶ飲みして、また水を生み出す、
まさに浄水器…。ついに人ですらなくなったみたいです。
「水分摂取ノルマ、1ガロンってなんですか…」
「水魔法は乱用すると脱水症状を起こす事がある。最低でもそれくらい飲まないと干からびてしまうぞ。それとバウワーから差し入れのレモンのハチミツ漬けだ。
塩分も取れよ」やり方がまさに体育会系のソレだ…
「あの水で作った薬は効果が早く出るから、鎮痛剤の材料に適しているんだ。早急に頼む」
「協力したいのは山々なのです……ぅっぷ」
「出すなら魔法の水にしろ」
あんまりしつこいから両手の中に水を集める。
空気中から湧き出したような水の粒は、渦を巻きながら綿菓子のように嵩を増す。
そして大きなシャボン玉のように揺らめく水球を放り投げると、放物線を描いて
飛んでいき樽に落ちた。
「…器用だな」
「水の飲み過ぎで樽まで動くのも億劫でして…」
「脈を取ってもかまわないか?」ビルングはそう言うと手を取った。
「………手が冷たいな…今までに魔力切れを起こしたことは?」
「水が出せなくなったら終わりだと思っていたのですが…」
「魔力切れは低血糖発作に近い症状がでて、最悪意識を消失する。魔力量が多ければ時間経過で回復もするが、君の魔力量では重篤化する恐れがある。
一年前と比べて確実に魔力量は増えてはいるのだが、それでも放出に耐えられる程ではないのだろうな」
「じゃぁ、身体強化が出来るようになるんですか⁈」
「アレは強靭な肉体に魔力を溜め込みながら循環させるのであって、君では二秒足らずで魔力切れを起こすだろう。それより具現化を試したことはあるか?」
「具現化というと?」
するとビルングの手元に水魔法で形成したナイフが現れた。
「放出せずに手元に出せば魔力消費が少なくて済む。試してごらん」
言われるままにやってみたけど、出来たのは溶けたアイスのような物体だった。
「そこから魔力の密度を増していくんだ、小さく…固く…鋭く……
………ずいぶん縮んだな…」確かに鋭くなったけど爪楊枝になってしまった。
「いつまでも守られてばかりとはいかないだろう。何ができるか工夫してみたらどうだ?」そう言われても爪楊枝で何ができるの…?
今のところコレで精一杯だけど、この能力のおかげで出兵しても後続部隊の医療班に入れてもらえそうなのだ。モチロン浄水器としてだけどね…
でも役割が見つかった私は、まだ良かったのかもしれない。
芸術学科と商業学科は、声をかけるのを憚るほどピリピリしている。
この二つの学科は戦闘特化ではないので前線に配置される事はないけど、魔力量の多い上位貴族が多い。だから自分の身は自分で守れと言わんばかりに、大多数が
丸腰で物資を運ぶ補給部隊の配属になるらしい。
シュテルツェと休戦して二年で、また別の国と本格的なケンカになるとは思っていなかっただろうし、上位貴族は上納金で済ませようとしていた者もいただろう。
だが今回の資金回収は今まで以上に厳しかったようだ。
なかでもフッガー公爵令嬢は気の毒な程だった。
家柄から当然兵役が免除されると思われていた彼女だが、自領の鉱山が差し押さえられたうえに多額の上納金を課せられ、さらに嫡男の兵役免除の費用がかかるため、兵役費用を賄える相手と結婚しろと実家から言われたらしい。
つまり、それで公爵家嫡男で本人も高給取りなヴィル様が狙われていたのだ。
でも同じ考えを持つ人は彼女ばかりではないようだった。
そして軍人の次に羽振りの良い医療エリアで私を見つけ、事あるごとに突っかかってきたのだが、先日バケツで水を強要されているのを見られて以来こなくなった。
でも陰で『フォアグラ』ってヘンなあだ名を広めたのは彼女らしい。
そして夏の初め。最初に帰って来たのはブルーノだった。
ブルーノは兵役の学生が基礎訓練期間を終えて間もなく、斥候として調査中に地雷型の魔道具を踏んでしまい傷病兵として帰還した。
左足の膝から下は無くなってしまったが義足が使えるらしく、ドクタービルングがお揃いだと励ましていた。
しかし、本人がどこまで理解できているかはわからない。
内臓には問題はないものの茫然自失状態で、実家も国境に近いからとノイトラールでの静養を希望するご両親からの手紙を持たされていた。
さらにヨハンが秋に帰ってきた。
声をかけると無言で抱きついてきたが、出兵前に抱きしめてくれた両腕は片方だけになっていた。
失ったのは手足だけではない。いつかと同じ、地獄の門が開く音がした。




