第66話 覆水盆ごとちゃぶ台返し
ニコラス神父は教会の窓から村を眺めていた。
悠久より引き継いだ景色は、人の一生程度では然したる変化は見られない。
そうして自分もこの景色の一部になるのだ…そう思っていた。
小さな石造りの教会だが歴史は古く、教会を中心に人が集まり村が出来たそうだ。
高いアーチ天井の奥には木製の祭壇がたたずみ、背後の窓から優しい光が注ぐ。
「この景色も見納めなのですね…」
「馴染めないようなら戻ってくることも可能ですから」
それに神父は静かに頭を振る。
「この集落が立ち行かなくなっているのも事実なのです。引っ越しは村人の総意ですから…」
神父がそう言うと、すすり泣く声が聞こえてきた。
住人たちは、村を出たことがない人の方が多いらしい。
岩だらけのやせた土地。そんな場所だからこそ修行の場として選ばれたのだが、
生活は過酷なうえに、かつて交流のあった近隣の村も戦火に見舞われ散り散りに
なってしまった。
「準備はいいか?」
ヴィルヘルムがそう言うと神父は手を組み、村人たちも習うように祈り始めた。
「もういいぞ」
そう言われて目の開いたが、食事の前の祈りの時間ほどしか経っていない。
だが窓の外を見た村人たちは騒然とし、次々と教会から出て行った。
そして後を追って外に出た神父も、村人と共に立ち尽くした。
教会も住み慣れた家も家畜さえもそのままに、違う場所に転移していた。
ただし岩だらけの土地は豊かな草地になり、戸惑う村人を他所に
目の前にご馳走を見つけた羊たちは、嬉しそうに鳴いていた。
「低予算でゴージャスな街を半年で作れ」
これがダールベルク公爵が提示してきた条件だった。
元々は国境沿いの荒れ地を開発して、街道沿いの宿場町を目指す予定だったのに
辺鄙な田舎では採算が取れないと公爵が欲を出したのである。
そして上位貴族向けの保養地にして利用料を巻き上げようと言い出したのだが
その通りの町になったら地元住人が退かされかねないという、何とも身勝手な計画だった。
国から費用も出ているのだけど「借金返済が先だ」と言われてしまい
資金は右から左に流れる状態。
ただ帝都の周りに庶民の集落があるように、町全体をゴージャスにするのは予算的にも現実的ではない事には納得していただけた。
それで領地の一番景色が良い場所を『貸し出す』事にした。
そしてその代償が『ゴージャスな街を半年で作れ』である。
当然間に合うはずもないのだが、出来なかったら『大公の血筋』って札下げて外国に売り飛ばすと言い出した。
この国は平民が貴族の機嫌を損ねたら、死んで詫びろが普通な世界。
それを親代わりの未成年後見人が言い出したことでヴィル様がキレた。
いまは後見人をダールベルク公爵からヴィル様に移行すべく、フリードリヒ殿下に働きかけているのだけど、これにより公爵夫妻とヴィル様が完全に断絶。
それに伴い、更なる反旗を翻す者が現れた。
「では私はこれにて、お暇させていただきます」
そう言ったトーマスさんにダールベルク公爵は愕然とした。
「グラシ領の管理は任せていたが、お前は戻って来るんだぞ」
「以前より引退を打診していたではないですか。引継ぎは済んでおりますので、
業務に支障はございません」
「ねぇ、まさか貴女達もなの⁈」
エミリアは慌てた様子でベリルに聞いた。
ベリルの後ろにはふたりのベテランメイドが立っている。
「三人も抜けられたら仕事が回らないわ」
「最近は体力も落ちまして、若手に手伝ってもらうことが増えております。
公爵家の使用人は皆優秀ですので、なにも心配は御座いませんよ」
「人材を引き抜くなんて…!」
エミリアがヴィルヘルムを睨みつけたのを見てベリルは
「奥様にその目を向けられた坊ちゃまが、私のスカートに隠れていた頃から
いつかこんな日が来るのではと思っておりました。
それにグラシ領では、みんな私の事をおばあちゃんと呼んでくれるのですよ」
「……そんな事で?」
「人材育成に関わりながら保養地で余暇を過ごしてほしいなんて…
ヴィルヘルム様は本当にお優しい方にお育ちになりました」
そう笑顔で語るトーマスだったが、ダールベルク公爵は声を荒げた。
「未開発の男爵領だぞ!タダ働き同然ではないか!」
「その人件費捻出のために宮廷魔術師をされているようなものですからね。
今のヴェルヘルム様は…」
「俺ばかりではない。移住を考えている教授たちは、趣味のために二重生活をしている者が少なくないからな」
「お給金なら公爵家で使い切れないほどいただきましたので、気になさらなくてもよろしいのに…」
ここまで言われてはダールベルク夫妻に止める手立てはなかった。
そして資金繰りの攻防は激化していったのである。
「土地と建物の賃料と港の使用料、船舶の係留料と積み下ろしに運搬手数料。
そして倉庫代…と、ここまで説明したところで先方の担当者が泣き出しやがったぞ。泣いて許される筈もねーのにな」そういってヨハンは不遜に笑った。
外面は恐ろしく愛想のいい利発な少年なのだが、実際は身体と心に回す栄養を、
すべて脳みそに極振りしたドS。それがヨハンの本性である。
「優秀な方だったら貴方の部下に引き抜いちゃえば?補佐が欲しいって言ってたでしょ」
「オレの顔を見ただけで泣きべそかくようなヤツをか?」
「気に入ったから泣かせたんでしょ?敵に回したくない人が味方になったら最強
じゃない。ねっ、ゲオルグ」
「コメントは控えさせていただきます」
同情するように足元でチェルが鳴き声をあげた。
「あとは期日までに間に合うかだなぁ、建築屋」
「だったらアカデミーの教授陣をどうにかしてくれよぉ…」
ダニエルの視線の先ではレヴェンテ殿下が建築家に囲まれ、困った顔のマルセルが対応に追われている。
予算も時間もない。そんな状態で我々が選んだ建築方式は『移築』だった。
長らく続く戦争で、廃村になった村や半壊状態の町は国中にあるが、それはシュテルツェも同じだった。
そのなかには歴史的建造物も含まれており、修繕が間に合わないまま朽ちてしまう場所もあると聞いたので、レヴェンテ殿下に譲ってもらえないかと交渉してみたのだ。
そしてシュテルツェから許可をもらった廃村の領館や教会、歴史地区の無事だった建物を選んで転移魔法でまるごと移築したら、あっという間にシュテルツェ歴史地区風の町ができ、「歴史的価値が!」って研究者たちが集まってきてしまったのである。
最初こそ「当時の建築方法で!」と言っていた建築家たちだったけど
「納期に間に合わせないと、ドケチ公爵と成金商人が全部金色に塗りかねない」と言ったら修繕の監修を申し出てくれた。
でもダニエルさん的には、いない方が速く施工が済むらしい。
それというのも、同世代の教会とお屋敷を並べてつなげて宮殿風にしたり、
ヴィル様がレオをしばき倒した際に開けた大穴に、教会の壊れてない場所を
はめ込んで岩窟教会にしてみたりと
建築のプロに見せたら間違いなくブーイングものの突貫工事をしているからだ。
でもこれは石造りの建物と、巨大建造物をそのまま転移させられるヴィル様。
そして立体パズルのように組み立てられるダニエルさんと重機レベルの魔力が使える魔術師たちが居てこその方法だった。
あちこちから集められた廃屋も、湖畔に並べて屋根の色を揃えたら、たちまち素敵なカフェや雑貨屋さんになり、湖の周りに作った小道には、廃村で引っこ抜いてきた花木をバランスよく植え、ベンチを置いて散策コースに。
あとはボート乗り場と釣り船も用意。
釣り好きのフィッシャー教授が仲間を連れて来たいと、お古の釣り道具を大量に
譲ってくれた。
そして町のコンセプトは温泉リゾートなので、いろいろな入浴施設も作ってみた。
壊れた縞模様の石柱を並べただけの『神殿風呂』や
廃教会の穴の開いた屋根にステンドグラスの窓を打ち付けた『光の湯』に
卒業制作の美の女神が抱え上げる壺からお湯をかけ流す『美人の湯』。
不思議な雰囲気の『洞窟風呂』はマルティナ博士がトンネルを掘ろうとしてお湯が出てしまった副産物。源泉は蒸気を利用したサウナにした。
さらにエドゥアルト殿下が喜びそうなジャブジャブ温泉は石灰岩を階段状に掘り上げた。
施設内にはエステルームや床屋、診療所もあり
移り住んでくる気マンマンのドクターフィッシャーの我儘は結果として、領内の
サービス向上につながっている。
こうなると、このエリアで働く人も必要になるワケで、募集をかけたら貴族子女から手が上がり、ベリルと仲間たちに人材育成をお願いした。
そして領主館のつもりで建てた建物は、すっかり職業訓練所の様相になっていった。
ここには侍女および接客担当と、建築・市街地開発関係者、そしてアカデミーの
教授陣がいつの間にか研究室を作っていて、気づいた時にはアカデミー化していた。
寄贈の本が増えたので、玄関わきに誰でも利用できる図書室を作ったら、趣味人のたまり場になり、満を持して釣りサークルもできた。
仲間を増やそうとしたフィッシャー教授が図書室に自分の釣り本を並べて、地元漁師とタッグを組んじゃったんだもの。もう止まらない。
これを見て自分たちも趣味仲間を作るべく、チェスやカードを置く人が現れて、
さらにピアノを置いても良いかと言われたので、拾ってきた温室をコンサバトリー風にジョイントしたサロンを作ったら、今度は植物サークルまで派生して、瞬く間に温室は小さな社交界となり、トーマスとベリルはここの主になった。
多くの人が納得するには意見を出してもらった方が助かるのだけど、いい感じに
住人主導で迷走している。
要望が出たダンスホールは予算の関係で随分先になっちゃうけどね…
「町の費用が抑えられた分、予算を港にあてていいからね」とダニエルに言うと
「嬢ちゃんのケチが感染ったみたいだぜ」とニヤリとされた。
そうアレ以来、ヴィル様はセノーテづくりにハマってしまったのだ。




