第5話 重すぎ男と感情のジェットコースター
夕暮れ時、煙突からはシチューの香りが立ちのぼる。
食品で痒みが出ている訳ではなさそうなので、奮発してシチューを作ってしまったけど、今日も来るとは限らないのよね…
ピンでまとめた前髪に触れながら、浮かれていることを反省する。
この家で誰かと食事をするなんて、母が亡くなって以来だ。
でも貴族様をお引止めするワケにはいかないし、今日は薬を渡してお帰りいただこう。
こんな家じゃ風邪をひかせてしまうかもしれないし、それにもう来ないかもだし…
そもそも貴族と…ましてや軍人と知り合っても碌な事にならない。
戦争で人生が変わった人を何人も見たではないか。
そう思うのに妙にソワソワしてしまう。
だってこの家を訪ねてくるのは、憎みきれない野菜泥棒の太ったアナグマくらいなのだ。
雑念を追い払うべく、八つ当たりのようにシチューをかき混ぜていると、背後で聞き覚えのない音がした。
振り返ると甲高い音に合わせて光る魔法陣が現れ、中央に現れた人影はやがてヴィル様になった。
「こ、こんばんは」
「いい香りだな」
「召し上がりますか?」
「実は仕事を抜けてきた。この中から好きな家を選んでくれ。
気に入るものがないなら、要望を出してくれれば、その通りの屋敷を用意しよう」
そう言って紙束を渡された。
「…屋敷?」
「この家では不埒者どころか隙間風からも君を守れない。
もちろん思い入れもあるだろうから、大切に隅に寄せておこう。
選んだらこの便箋に入れて封をすると俺の元に届く。食事は帰ってからの楽しみにしておくよ」そう一方的に言ってヴィル様は消えてしまった。
部屋にはコトコトとシチューの煮える音だけが響く。
「はぁっ⁇」
受け取った紙束を見ると立派なお屋敷と間取り図が書いてあった。
ちょっと待ってこの家は、
いや本来、家とは呼んではいけないこの場所は
森を勝手に開拓して不法占拠しているだけなのですが⁉
考えてもみたら騎士様にバレた時点でアウトだった。
なに浮かれてシチュー煮てんだ、私!
どうしよう…ここの野菜にも効能があると思われたのだろうか?
今からでも逃げるべき?そもそも隠れて住んでるのに?
「…………気に入らなかったら要望を出せって言ってたよね」
それ自体が不敬に当たりそうだけど…
添えられてい封筒に
「分不相応なので、いただけません」と書いて封をするとすぐに手元から消え、
また現れた。
封筒には
『要、隙間風の吹き込まない家。治療の為、風呂場と寝室必須。間取りを検討し
返信』と走り書きのように書かれていた。
要するに治療院だろうか?
風呂場と言われても私はタライで済ませているし、他は…娼館でしか見た事ないのですが…
娼館の部屋を見せてもらいに行こうかな。
営業時間内は行きたくないんだけど…
フード付きのコートを羽織って橋のたもとに向かうと、川の手前の植込みのあたりで見えない壁にぶつかった。
「‼︎」
見えないが壁がある。ずーっと、家と畑を取り囲むように…
私は何を勘違いしていたのだろう。
役立たずとはいえ、私は魔法が使える事を隠して不法占拠をしていた罪人で
治療目的で生かされているだけ…
遠くで教会の鐘の音が聞こえる。まるで贖罪せよと言わんばかりに。
………逃げられないならば、せめて治して差し上げよう。
貴族のヴィル様は私と違って必要とされる人なのだから。




