第48話 フロンティアスピリット
「んー…朝霧が本当に美しいねー。ここは」
そう言ってバウアー教諭は大きく伸びをした。
丘の上の小屋から朝日に照らされた湖を眺めるのは、すっかり日課になっている。
「今日もいいお天気になりそうですね」
「ここが晴れていても帝都の天気が良いとは限らないのだが……」
「美しいものを美しいと受け止める心がないとは…哀れだな」
ビルング准教授とヴィル様も安定の仲の悪さだ。
「お待たせしましたです」
小さなヒスイが大きなレオンを担いで運んでくるのも恒例。
「レオー、起きてー」
「ソイツに近づくな!」
ヴィル様が叫ぶのと同時に、レオンはソフィアに飛びついた。
「おはよぉ…」
寝起きのレオは大きな犬みたいだ。
ヴィル様が必死にレオを引きはがそうとしているけど、ヴィル様だって寝起きの
悪さは大差ない。
もはやルーティンになってしまい、気にもならなくなってしまった。
そして程なく
「揃ったのだから出立するぞ」とビルング准教授が急かし
「お前だって転移くらい出来るだろう」とヴィル様が怒る。
でも優しいヴィル様は毎朝アカデミーまで私たちを送ってくれるのだ。
いつものやり取りを笑顔のトーマスさんとベリルさんに見送られ、我々は出発した。
グラシ領は葡萄畑が赤や黄色に色づく季節になっていた。
なだらかな丘陵と平地が続くグラシ領は、ソフィアの母方の男爵家が
かつて収めていた土地で、シュテルツェ王国と川を挟んで向かい合う国境沿いにある。
川の蛇行の影響を受けた土地は半島のようにシュテルツェに食い込んでおり
お互いが権利を主張したため、たびたび取ったり取られたりを繰り返したが、
ここ三十年ほどはシュバイネハクセ領になっている。
おかげで平地は平地と言い難いほど波打ち、瓦礫と駐留施設以外は何もない更地なのだが、川幅が狭くなるこの場所は交通の要であり、
本音を言えば両国とも荒れ地のままにはしておきたくなかった。
領主も十五年以上前に亡くなり一族も離散、帝国も人を送ったが、あまりに揉め事が絶えないため手をこまねいていたまま放置されていた。
現在停戦をしている両国だが終戦までの道は長く、
歩み寄りの一環としてグラシ領を永世中立都市とし、戦場ではなく交易の場にする計画が、シュテルツェ王太子レヴェンテ殿下によって提案された。
そしてシュバイネハクセに対し、中立地帯を設けないのであれば、停戦記念の
トロフィーとして大公令嬢のソフィアを貰うと再び要求してきた。
ソフィアはかつて争いのない時代にシュバイネハクセからシュテルツェに嫁いだ、未だに国民人気の高い姫君と(中身はともかく)見た目がそっくりなため、戦利品として丁度良く、おまけに帝国最強の魔術師までついてくる。
帝国としては人質案の方が容易いのだが、最大火力を敵にまわすワケにもいかず
さらに先日の暴走を目の当たりにした大臣達からは
何をするか解らないヴィルヘルムを国内の遠方に飛ばすべきだという声が多く上がった。
フリードリヒ殿下は未成年のグラシ男爵の後見人として、嫡男が実質婚約関係にあるダールベルク公爵家を指名し領地運営を支えるように指示した。
そして、さっそくアカデミーでアイデアを募るとすっ飛んでいったソフィアと相対するように、腰の重い男はフリードリヒの呼び出しをくらっていた。
「おめでとう、ヴィル。ついにソフィア嬢からプロポーズされたんだって?
意外と男前なんだね、彼女」
「ヴィルヘルムが袖にされたとしても、ソフィアは養子にしますので心配ありませんよ。殿下」
「それも踏まえて公爵を後見人にしたんだよぉ。
ただ新規事業だから予算の許可がすぐには下りないと思うんだ。
だから最初はまとまった出資が必要だけど、交通の要所になれば旨味はある筈だからね」
「しかし必然とはいえ爵位を賜るとは…
このままだと本当に息子を婿に取られかねませんな」
フリードリヒと父親に笑われ、ヴェルヘルムは非常に居心地の悪い思いをしていた。
公爵令息が女男爵に婿入りするなど前代未聞だ。
貴族にとって爵位はステータスであり、本来降格など受け入れがたい屈辱である。
そして当のソフィアも子爵令嬢から降格したのだが、どうやら管理職になって仕事が増えた程度の感覚でしかなく、なまじダールベルク公爵夫人の仕事量を見ていたため、仕事量が少なければ減収(降格)は当たり前だとしか思っていなかった。
そして荒れ果てたグラシ領は貧民街を思い起こさせ、貴族然とした華やかな世界より、よほど心の距離が近かったのである。
「それにしても、ソフィア・グラシ女男爵で行こうとは思っていたけど、君まで
ヴィルヘルム・グラシって呼ばれてるとは思わなかったよ」
「まだ何もありませんが、誰も高位貴族の顔を知らない田舎ですので、お忍びには良さそうなのですよ。治安が安定したらぜひ行かれてみてください」
「では国境警備を頼んだよ、グラシ君。
良いところを見せないと、ソフィア嬢はワーカーホリック一直線だよ」
それは今やヴィルヘルムの最大の懸念となっていた。
開拓案が出てすぐ住民の意見が聞きたいと訴えたソフィアに、レヴェンテが賛同した。
いつの間にそんなに仲良くなったのだと疑いたくなるが、ヤツは俺が…
いや俺とレオンがソフィアに逆らえないことを熟知したうえで、懐柔しにかかっている。
そして策略通りにケンカを売ったレオンは、ソフィアに叱られて秒で腹を見せた。
俺は意地でもへそ天なんかしない。そんな事をしなくてもソフィアは撫でてくれる。お前が撫でられるのは犬と同じ扱いなんだからな!
そもそもシュテルツェ王国の王位継承に合わせ、停戦協議を推し進めたのは
レヴェンテ自身なので何らかの成果が欲しかったのだろう。
交通の要所になればいいとしか思っていない帝国より、ずっと積極的に関わってくれている。
革新的な彼は長らく要注意人物に指定されていたが、どうやら本気で戦争回避を
目指しているようなので排除対象から監視対象に変更された。
グラシ領に残っていた民たちは丘陵に隠れ住み、酪農やワイン作りを細々と営んでいたが、国境警備の兵士にたびたび襲われて困窮していた。
貴族より平民の方が小柄な傾向にあるが、グラシ領民はシュテルツェ人に近く、
シュバイネハクセ人よりさらに小柄な者が多い。
そうなると、シュバイネハクセ兵とは大人と子供ほどの体格差になってしまい、
それだけで怯えて暮らす状態だった。
シュバイネハクセ人にそんな印象しかない住民たちは、最初こそ開拓案に否定的だったが、ソフィアが母のネックレスを見せた途端に反応が変わった。
ネックレスは以前男爵夫人が身に着けていた物で、奉公という名目で逃がした娘に渡したという裏付けが取れたのだ。
残念ながら見た目はグラシ男爵夫人に似ていないものの、お節介な所はそっくりだと徐々に住人とも打ち解けていった。
炊き出しと情報集めをダールベルク家とシュテルツェがしている間に
国境の駐屯地に向かったヴィルヘルムはグラシ領主代理を名乗り、方針が変わったと書面を提示したが、国境地帯で比較的自由に過ごしていた兵たちは退去に応じようとはしなかった。
なので駐留施設を雷撃で粉砕し駆除。クソ虫どもは即日撤収した。
そして警備強化のために立体マップの製作に着手すると、その過程で隠れていた
住人が多数見つかり、拷問の結果兵士崩れの山賊だったので、帝都に帰るクソ虫
どもに手土産だと押し付けると、泣いて喜んだ。
結果として働き口を奪ったのだ、アレを突き出せば褒賞くらいは出るだろう。
山賊と共に居た行方不明者を住人に引き渡すと感謝されたが、ソフィアに褒められたのが一番嬉しかった。
俺に張り付いていた間者の報告を受けたレヴェンテたちが「猛獣使い」と声をひそめているのが聞こえたが、それでいい…
ソフィアの憂いはすべて払おう。
そうして俺だけが視界に留まればいい。二度と誰の目にも止まらないように…
なのに気づけば、着々と住人は増えていったのである。




