第21話 番犬と漁夫と出し抜かれた男
目覚める前に手を伸ばすと、今日も隣は冷たかった。
広すぎるベッドで目覚め、ひとり朝食を済ませる。
夕食と朝食をそれぞれトレーに乗せてテーブルに並べて置くと、翌朝食べたお皿がシンクに置いてある。
ただでさえお腹が弱いのに、温かい物を出す事すら出来ていない。
洗濯物もカゴにあるし間違いなく帰って来ている。
なのにヴィル様に会えていない。
忙しいのだろうと思っていたけど、予定を伝えられる事もなく三日連続となると
少し不自然だ。
図書室で借りてきた本で調べ物をしながら待ってみたけど、いつもベッドで目が
覚めた。
もともとヴィル様は私がアカデミーに通う事にいい顔をしていなかった。
だから嫌われてしまったのだろうか?
そしていつか帰ってこなくなるのだろうか…
エミリア様に聞いたらお屋敷にも戻っていないようだから、もし私と会いたくないのなら私が出て行こうと思っている。
それでその時は生産学科の食堂に住み込みで働かせてもらおう。
借金返済は遠のくけど、公爵家に必要なのはヴィル様なのだから。
ギュンター教官が檄を飛ばす中、騎士科の受講生達は肩にバーベルを担ぎ、
しゃがみ込みながら跳躍を繰り返していた。
教官は若い頃、クマを背負ってコレをやっていたらしく、苦悶する生徒に聞こえるはずもない武勇伝が今日も語られている。
試しに棒だけ持たせてもらったけど、ひっくり返りそうになり、すぐにレオに取り上げられた。
魔力は攻撃力に直結するので、魔力量の多い人ほど遠距離型の魔術師に向いていて、騎士は自分に魔力を纏わせた近距離攻撃を得意とする。
騎士科の人はほとんどが身体強化魔法を使えるので、自分に合った負荷をかけて
トレーニングをしているらしい。
そう、自分に合ったトレーニング。
だからバーベルの棒すら上がらない私は端っこで自主トレをさせてもらっているのだけど…
「……これだけで汗をかくとか、運動しなさすぎじゃないか?」
休憩中のレオは呆れた顔をしている。
「自分では今までも結構動いてるつもりだったんだけどね…」
「で…それは何だっけ?」
「ヨーガだよ!
図書室で本を見つけたんだけど、コレなら出来そうだと思って。
ちなみにコレは戦士のポーズ!」
するとレオは口元を覆って視線を逸らすと、
「…おいしそうなウサギちゃんのポーズにしか見えない」と呟いた。
「じゃあコレは?木のポーズ」
「毛皮を剥かれたウサギちゃんに見える…」
そして困ったように
「体が柔らかいのは解ったよ。ここは広背筋を育て過ぎて下から手を回せないヤツばっかりだから。だからこそ、これを着とけ」
そう言って着ていたジャージを脱ぐといきなり被せた。
「モタモタ動いてると気になるんだよ!」
「こんなダボダボじゃ動けないよ!」
文句を言ったら突然レオは顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
「……………手が出ないって小さすぎだろぉ…」
そんな事を言われても、大きくて厚みのあるレオの服を着たら当然こうなるでしょう。
「とにかく運動する時はソレ着てろ!いいな!」
ハワード教官に号令をかけられてレオは走って行ってしまった。
これから戦闘訓練だというのに、ジャージを預けて良いのだろうか…?
軍服と同じ繊維で作られたジャージは、何気にアカデミー最強装備だ。
だから実技の際は着用するようにと言われているのだけど、
万人をヤボったく見せてしまう点でも最強なので、授業の時はともかく好んで着ているのはレオくらいだ。
なんでも、すぐに体が大きくなって服が着られなくなるのでジャージに行きついてしまったらしく、家でも基本ジャージらしい。
おそらく実用性重視なタイプなのだろうけど、鉄板のように穿いているクロップドパンツが丈が縮んだものでない事を祈るばかりだ。
身体強化とかいうトリックがあるにせよ、ヒスイは問題なく騎士科のトレーニングについていけている。だから私も逃げ足くらいは強化しなくては。
先程トラックを踏み固める勢いの集団が走っていた外周を、私もポテポテ走りだした。
朝のトレーニングが済んだら生産学科で栄養学と調理実習。
そして実習終了間近になると、毎回騎士科が雪崩れ込んでくる。
学部が近いというのはあるけど、腹ペコさん達が料理上手のパートナーを探しに
来る意味合いが強く、しかも軍属は高給取りが多い為、生産学科の学生も胃袋を
掴みに行こうと考える者が少なくない。
最初に貸し切りの調理室で好き勝手に料理が作れてしまったために、何も知らない私とヒスイは、なす術もなく取り囲まれたのだけど、あっという間にレオが蹴散らしてくれた。
そして何を作ろうと「俺のだ」と言い張り全部食べてしまうので、レオの胃袋に
合わせて作るようになった。
そんな中、同じ物を作っても盛り付けの斬新さでいつも注目をさらうのがヘンケルさん。
騎士のような大柄な体で素晴らしく繊細な料理を作り、恋人のバッセヴィッツさんに愛の言葉と共に捧げるのだが、クールビューティーなバッセヴィッツさんは
テーブルに目一杯並べられた料理を二分で平らげ、ヘンケルさんの頭に軽く手を
置き帰るのだ。
その瞬間、漏れる感嘆の声。
カッコイイ彼女は男女ともに人気があり、学年に関係なくルアナ先輩と呼ばれている。
そしてその素っ気なさがヴィル様にちょっと似ていて、いたく感動していたら
ヘンケルさんとはその日のうちにお友達になれてしまった。
そして午後は必修科目の受講。
当たり前のようにご飯を食べに来るレオは、三人がけの机にも当たり前のように
隣に座る。しかも一番前の予約席なのに、ぐっすり眠ってしまうので、端の席を
譲ってもらった。
体は大きいけど窓辺の陽だまりで無防備に寝ている顔は幼くて、酒場のテオを思い出してしまう。
そういえば水を届けに行かなくちゃいけないのにヴィル様に会えてない。
今夜は会えると良いんだけど…
放課後はみんなで研究室へ。
併設の薬学研究所に調べてもらったところ、魔法の水は帝国で飲まれているどこの水よりも骨を強くする成分が入っていない事が分かった。
つまり、飲めば骨や体が強くなる帝国水に対し
わざわざ魔法で出しておきながら最弱の水だったのだ。
「すみません…せっかく調べていただいたのに…」
「だが不純物が少ないため腐りづらく、赤子や病人には向いているという点では
考察は間違っていなかった訳だ。問題はどう使うかだな」
ビルング准教授はすっかり研究者の顔だ。
「飲み水と料理以外では、石鹸と化粧水を作っています。あとは水は使いませんが塗り薬も…」
「君も使っているのかい?」
そう言って手を取ろうとしたが、静電気に弾かれた。
「これはそのアミュレットの効果なのか?」
「すみません、外します」とネックレスに手をかけると
「いや、外した方が厄介な事になりそうだ」と言って指を鳴らした。
すると急に空気が変わった気がした。
「結界?」警戒するレオに
「簡易的なものだ。これで君に触れても弾かれない。触れてもいいかい?」と
言ってお医者様のように手を取った。
「水仕事などした事がなさそうな手だな」
「いえ。毎日、炊事・洗濯・畑仕事、もちろん掃除もしています」
するとビルング准教授は眉をひそめた。
「噂では君はダールベルク公爵子息の…」
「お嬢様は非常に働き者で、ワタクシ共の仕事をいつも見守ってくれるです!」
突然、ヒスイが叫んだ。
なんだか最近、私にヴィル様やダールベルク公爵家の話をしようとした人は、
もれなくヒスイに邪魔されている。
さっきも入学式で会ったドリル令嬢と揉めていた。
「ヒスイ…この間も聞いたけど、私に隠してる事はない?」
「なんにもねーです!」
「…………そう。」
「そうなると次に調べるのは何だ?」
ビルング准教授はもう頭を切り替えてしまったようだ。
「何が出来るか、また検討だな。
この部屋は研究目的として貸し出すから好きに使うといい」そう言って准教授は
部屋を出て行った。
「すぐに帰るのか?」
「芸術学科に寄ってから帰ろうと思っているんだけど…」
「そうか、じゃぁまた明日な」
そう言って手を振るレオと別れて、私達も研究室を後にした。
しばらくして研究室に戻って来たビルング准教授は、ドアを開けかけ手を止めた。
「君か…まだ帰っていなかったのか?」
「えぇ、准教授がまた戻ってくるんじゃないかと思ったんで…」
レオンは机に寄りかかるように座っていた。
「まだ何か…」
「この部屋に初めから、結界を張る準備がしてあったのは何故ですか?」
こちらの表情を伺うようにピタリと視線を当ててくる。
「さすがヴェッティンは鼻が効く。君は彼女の番犬のつもりかい?」
冗談のように言ってみたが、早速牙を剥いてきた。
「返答によっては喉笛に喰らいつきますよ」
「喰らいつきたいのは私ではないだろう?」
ドングリ眼がたちまち険しい表情に変わる。
「単純にソフィア嬢が気の毒になっただけさ。あの首輪が何だか解るかい?」
「虫除けでは?」
「位置情報と近くにいる人間をサーチしている可能性がある。要は監視されているんだ」
その途端にレオンの瞳孔が開き切った。
「怖い顔を向けてくれるな。これで噛み付く相手が分かっただろ?」
「アンタになんの得があるんだ?」
「言っただろ?気の毒に思ったと。
彼女が無慈悲な英雄の婚約者だという噂は君も聞いているだろう?」
レオンの唇が悔しげに歪み、拳が握られる。
「…………直接、俺に、言いやがった!」
「よくその場で噛みつかなかったな。偉いぞ」
睨みつけられたビルングは寂しげに続ける。
「知り合いの官僚に聞いた話だが、魔術師殿はこのところ魔力暴走を繰り返して
魔法障壁の檻に閉じ込められているそうだ。だからソフィア嬢は鎮める為の贄ではないかという話が出ているらしい」レオンが机を蹴って立ち上がった。
「彼女はとても素直だ。
使用人の扱いを受けているというのに、騙されている事に気づいてもいない。
そんな彼女が無慈悲なご主人様に逆らえると思うか?」
息の荒いレオンに、ビルングはそっと囁いた。
「助けるなら、今しかないよ…」
遅い時間に帰宅したヴィルヘルムは、広げた本を胸に置きソファで眠るソフィアを見つけて申し訳なく思いつつ、ホッとした。
言わなければいけないのに、まだ逃げ道を探している。
だがもう三日だ。避けられていると誤解されてもおかしくない。
国境でトラブルが起きたせいで忙しかったのも事実だが、それはまた別の話だ。
明日の朝、彼女を腕に抱いて伝えよう。
今度こそ、はっきりと…
しかしベッドに向かおうとソフィアを抱き上げて、すぐに違和感を感じた。
ソファの背もたれに畳んで置かれたジャージは、明らかに男物だった。




