END
月は迷わず、王は進む
獣王国ベスティアとゼステリア三国との間で燃え上がった戦火。それは、魔族国デァズの魔将軍デサイスによる卑劣な偽旗作戦によって、さらに憎悪と不信を増幅させ、もはや誰にも止められない泥沼の様相を呈し始めていた。毎日のように太郎国の王宮にもたらされるのは、ゼステリア大陸からの悲惨な戦況報告と、双方からの「助け」を求める悲痛な声だった。マルバスタ、サンガルス、バッツセリアの三国は、もはや獣王国の報復と、その裏で暗躍する何者かの手によって、国家としての体裁を保つことすら困難なほどに疲弊しきっていた。彼らは、かつての敵対心も忘れ、ただただ英雄王タロウの「救済」に、最後の望みを託すように、泣き寝入りするしかなかったのだ。
その夜、アステリア城(王宮)の静かな月見台で、太郎は一人、杯を傾けていた。傍らには、同じく静かに月を眺める元竜王デュークの姿がある。
「……全く、騒がしくなったものだな、この世界も」
太郎が、ふっとため息混じりに呟いた。その声には、深い疲労と、目の前の困難に対する重圧が滲んでいた。
「フン、世話しないことよ」デュークは、月を見上げたまま、こともなげに答える。「それで、主よ。貴様は、この状況をどうする気だ? いつまでも、指を咥えて見ているわけにもいくまい」
「さてねぇ…」太郎は、杯の中の酒(サクヤが最近試作している、米を使った醸造酒だ。なかなかの出来栄えである)を揺らしながら、力なく首を振った。「これといった名案も、今のところは浮かばない。ただ、このままではいけない、ということだけは確かだが…」
デュークは、その金色の瞳で太郎を一瞥すると、静かに言った。
「…人間と獣の、矮小なる争いなどに、本来、我ら調停者が手を貸す義理はない。だが…主が、どうしてもと言うのであれば、我が、その獣王国とやらを、一夜にして更地に変えてやっても良いのだぞ? それで、全て解決するであろう?」
その言葉には、絶対的な力を持つ者ならではの、冷徹なまでの合理性が含まれていた。しかし、太郎は、静かに首を横に振った。
「いや、それは良いよ、デューク。…僕が行く」
「何?」デュークの眉が、わずかに動いた。
「僕が、直接、あの獣王レオに会いに行ってくるよ」太郎は、決意を込めた目で、デュークを見据えた。「こんな、人間同士が…いや、この世界に生きる者同士が起こした馬鹿げた争いに、君のような存在の力を借りるのは、間違っていると思うんだ。それに、力で全てをねじ伏せても、何も解決しないことは、僕たちが一番よく知っているはずだ」
「…………」デュークは、何も言わずに、ただ黙って太郎の言葉を聞いていた。
太郎は、夜空に輝く、一点の曇りもない美しい満月を見上げた。
「なあ、デューク。月は、迷わないんだぜ? どんなに深い暗闇の中でも、いつだって天に昇り、静かに、でも力強く輝いて、迷い、惑う者たちの道を、そっと照らし続けてくれる。…僕も、そうありたいんだ」
彼は、再びデュークに向き直り、その目に、王としての、いや、一人の人間としての、揺るぎない光を宿して言った。
「僕は、あの獣王レオを、そして、憎しみと恐怖に囚われている全ての人々を、照らしてくるさ。対話で、理解で、そして…もしかしたら、美味しい焼き芋でね」
その言葉に、デュークは、初めて、ふっ、と小さく、しかし確かな笑みを漏らした。
「…フン。どこまでも甘っちょろく、そして、どこまでも面白い人間よな、貴様は」
彼は、自分の杯を、そっと太郎の杯に合わせた。カチン、と心地よい音が、静かな夜に響く。
「…良かろう。貴様のその、途方もなく、そして…実に『人間らしい』野望、この我…竜王デュークが、しかと、聞き届けたぞ。せいぜい、無様な死に方をせんようにな」
「ハハハ…ありがとう、デューク。君の言葉、確かに受け取ったよ」
月明かりの下、人間の王と、元竜王。二人の間に交わされた、言葉にはできない、静かで、しかし確かな誓いの杯。
第四章、終わりの始まり。それは、憎しみの連鎖が世界を覆い尽くそうとする、絶望の時代の幕開けか。それとも、一人の異世界の王が灯す、ささやかな希望の光が、新たな未来を照らし出す、始まりの序章か。
その答えは、まだ誰も知らない。ただ、月だけが、いつものように、全てを見通すかのように、静かに輝き続けていた。
第四章 終わりの始まり (完)