ep 50
獣たちの怒号、そして忍び寄る第三勢力
獣王国ベスティアの将軍たちが、王であるレオの意向を(部分的に)無視し、人間たちの卑劣な「チマチマした報復」に対して振り下ろした、怒りの鉄槌。それは、マルバスタ王国、サンガルス自由都市連合、そしてバッツセリア帝国という三国に、想像を絶する恐怖と混乱をもたらした。
夜陰に紛れた獅子耳族の強襲、港を炎上させた海獣たちの猛威、情報網をズタズタにした空獣たちの奇襲…。人間たちが「獣の蛮行」と蔑んでいたその力は、一度解き放たれれば、既存の国家の軍事バランスすら揺るがしかねない、圧倒的な破壊力を持っていたのだ。
三国は、なすすべもなく蹂躙され、その首都では連日、王や大臣、ギルド長たちが、今後の対策(という名の、責任のなすりつけ合いと、絶望的な嘆き)に頭を悩ませていた。
しかし、その人間と獣人との間で急速に燃え広がる憎悪の炎を、遥か彼方の魔族領から、嗤いながら見つめている者たちがいた。
<魔族国デァズ・魔神の玉座>
ここは、女王ラスティアが治めるゼルディ国とはまた異なる、より古く、より根源的な「悪」が支配する魔族の国、デァズ。その玉座には、巨大な角と蝙蝠のような翼を持ち、その身からは常に禍々しいオーラを放つ、伝説の魔神ワイズが、気だるげに足を組んで座っていた。
「カッカッカッ…! 見ろ、デサイスよ。人間と獣…あの矮小なる者どもが、互いに牙を剥き、憎しみ合い、血を流し合っておるわ。実に滑稽な光景ではないか」
ワイズは、玉座の前に置かれた、世界の出来事を映し出すという「深淵の鏡」を眺めながら、楽しそうに喉を鳴らす。
その傍らに控えるのは、ワイズに絶対の忠誠を誓う、魔将軍デサイス。彼は、主の言葉に、卑屈な笑みを浮かべて応えた。
「はっ! さすがはワイズ様、全てお見通しで。あの愚かな者どもが争ってくれればくれるほど、我らの糧となる『魂』が、それこそ山のように手に入りますなぁ。フヒヒ…」
「うむ」ワイズは満足げに頷く。「だが、まだ足りぬ。もっとだ。もっと、あの者たちの憎悪を煽り、戦乱を拡大させ、この大陸全てを、絶望と悲鳴で満たすのだ。そうすれば、我が力の源たる『負の感情』も、より一層、満ち満ちてくるであろうからな」
「ハッ! 御意にございます、ワイズ様!」デサイスは、深々と頭を下げた。「このデサイス、必ずやワイズ様のご期待に応え、人間と獣人の双方に、さらなる混沌と破滅をもたらしてみせましょうぞ!」
その日から、魔将軍デサイス率いる、デァズ国の暗部が、静かに、しかし確実に動き始めた。彼らの目的は、ただ一つ。人間と獣人の争いを、さらに激化させ、取り返しのつかない破滅的な戦争へと導くこと。
彼らは、まず、マルバスタ王国の国境に近い、小さな獣人の村を襲撃した。しかし、その襲撃は、獣人たちの手によるものではないと、巧妙に偽装されていた。現場には、人間の騎士が使うような精巧な剣や矢が残され、村の生き残りには「人間たちが、夜陰に紛れて襲ってきた」と、恐怖と共に信じ込ませたのだ。
次に、彼らは、サンガルス自由都市連合の、獣人族との交易で成り立っていた小さな港町を襲った。今度は逆に、獣人族の使うような粗暴な武器や、獣の毛皮などをわざとらしく残し、「獣人どもが、我々の平和を脅かしに来た!」と、人間たちの間に恐怖と怒りを植え付けた。
さらに、バッツセリア帝国とベスティアの国境付近では、双方の斥候部隊が、互いに相手からの奇襲を受けたと信じ込ませるような、巧妙な情報操作と、小規模な偽装戦闘を繰り返した。
これらの、デサイスが仕掛けた卑劣な「偽旗作戦」は、恐ろしいほどに効果的だった。
人間たちは、「やはり獣人どもは、野蛮で信用ならぬ!」と怒り、
獣人たちは、「人間どもは、我々を根絶やしにするつもりだ!」と憎しみを募らせる。
互いへの不信感は頂点に達し、もはや対話の余地など、どこにも残されていなかった。小さな衝突は、やがて大きな戦火へと変わり、ゼステリア大陸の各地で、人間と獣人の、血で血を洗う、泥沼の全面戦争が始まろうとしていた。
魔神ワイズは、その光景を「深淵の鏡」を通して眺め、満足げに、そして愉悦に満ちた笑い声を上げた。
「カッカッカッカッ! よいぞ、デサイス! その調子だ! もっとだ! もっと憎み合え! もっと殺し合え! そして、その全ての絶望を、この我に捧げるのだ!」
第四章、終わりの始まり。その歯車は、もはや誰にも止められないほど、急速に、そして破滅的な方向へと、回転を始めていた。英雄タロウも、獣王レオも、そして世界の調停者たちですら、この、水面下で巧妙に仕組まれた、悪意に満ちた第三勢力の暗躍には、まだ気づいてはいなかった――。