祭のあと
祖父母の家の裏山に神社がある。その神社では、毎年8月に盆踊りが開催されていた。小さな神社だから、参加者は近隣住民しかいない。僕は毎年その盆踊りに参加していた。
盆踊りは日が暮れる前から開始する。空は次第に赤くなり、そして群青に変わる。
どこかで聞いたことがある音頭が聞こえてくる。聞き覚えのあるような、ないような。盆踊りの音頭はどこも似ている。
浴衣を着た成人の男女、子供たちが櫓の周りに輪を作って踊る。
この日、僕は中学の先輩と盆踊りに来ていた。きょろきょろと盆踊り会場を見渡す先輩は浴衣姿の女性ばかり見ている。
「なあ、あの子かわいくない? ジャンケンに負けた方が声を掛ける、っていうのせん?」
先輩には少しもマイナス要素のない取引だ。
小さい頃からよく祖父母の家に来ていたから、近所の人は顔見知り。この会場にも知っている人はいるはずだ。そう思って周りを見渡したけれど、知っている顔はなかった。近所に住んでいる叔父や従兄弟も来ていないようだし、新宅(分家)の面々もいない。
顔見知りがいないことにホッとしたものの、さすがに祖父母の家の真裏でナンパしようとは思わない。それに、僕は付き合っている彼女がいる。
「それよりも、お腹すきません?」
僕は話を逸らすために先輩を屋台へ連れていった。
たこ焼き、金魚すくい、綿菓子などの屋台が所狭しと並んでいる。僕は腹持ちが良さそうな唐揚げを買った。揚げてからしばらく放置されていたのだろう、唐揚げは冷めていた。味付けもいつも屋台で食べる唐揚げとは違う。
思春期で味覚が変わったのか? それとも調味料が他とは違うのか?
先輩は気にした様子がなく「うまい、うまい!」と唐揚げを頬張る。
唐揚げを平らげた先輩は、学区外だから堂々とタバコを吸っていた。僕は顔見知りに見られることを恐れて我慢した。
「なあ、せっかくやし、踊らん?」
ナンパするよりはマシだ。僕は「いいっすよ。いきましょう!」と先輩と輪へ歩き出す。輪で踊っている人を見るが、顔見知りは見当たらない。毎年盆踊りに参加しているはずの祖父母もいない。
振付をすっかり忘れた僕は周りの人を真似て踊り始めた。
右手を上げ、左手を上げ、右手を前に出し、左手を前に出す。二歩進んで手を二回鳴らす。
要領をつかむと難しくはない。たまに間違えるけれど、しばらく踊っているとぎこちなさがとれた。慣れると周りを見る余裕が生まれる。
櫓の上で歌うおばちゃん、うちわを浴衣の帯に結んで踊る女の子、たこ焼きを高速でひっくり返す的屋のおっちゃん。みんなキラキラして見えた。
焼きとうもろこしの醤油の匂いが漂う。唐揚げじゃなくて、こっちにすれば良かったな。そんなことを考えながら、すれ違う人を観察する。
僕の前を「ちょっとごめんよ」と男性が横切った。あれは、僕の叔父だ。やっと顔見知りに会ったと思って手を上げた。けど、叔父は僕に気付かないのか、そのまま焼きとうもろこしの屋台へ歩いていった。
叔父に会うのは久しぶりだ。最後に会ったのはいつだっただろう?
頭に霧がかかったように記憶が曖昧だ。前後で踊る人に迷惑が掛からないように気を付けながら、頭の中を整理する。
叔父は冠婚葬祭関連の商品を販売する店舗を経営していた。新聞広告を出していたから、それなりに儲かっていたはずだ。でも、癌と診断されてからは、何年も治療をしていた。そして、叔父は去年亡くなった。
死んだ人がいるわけがないから、さっきの人は叔父に似た別人だ。他人だったら僕に気付かない。
頭の霧が溶けてくると気分が悪くなった。僕は盆踊りの輪から出た。
輪には踊り続ける先輩がいる。先輩は前にも踊ったことがあるのか、動きにキレがある。こんなに力強い盆踊りは初めて見た。
そういえば、僕はなぜ先輩と一緒に盆踊りにきたのだろう?
先輩の家はここから離れている。こんなところまで先輩を呼び出すのは不自然だ。それに、今まで先輩とどこかに遊びに行ったことはない。僕が盆踊りに誘ったのか?
先輩とは同じ部活だけど、会うのは久しぶりのような気がする。最後に会ったのはいつだったか?
記憶を辿ると頭が痛くなった。
自転車で祖父母の家に向かっていたら、前方から来た先輩とすれ違った。ちょうど、踏切の辺りだ。たわいない話をして「また、明日!」と別れた。
次の日教室にいたら、職員室に呼び出された。あまり気乗りしなかったが、職員室に着くと同じ部活の同級生が数名いた。
先輩が電車に轢かれて死んだ、と部活の顧問は言った。僕が先輩と言葉を交わしてから数時間後のことだ。
先輩は近くに隠れていて、電車がきたタイミングで線路に飛び込んだ。運転手は慌ててブレーキを掛けたが、電車は先輩を巻き込んだまま約100メートル先で止まった。遺体はぐちゃぐちゃ、性別・年齢が全く判別できなかったそうだ。近くに落ちていた遺書から、警察は身元を特定した。
輪で踊る先輩を見た。
あの時、僕は先輩を止められたのだろうか?
用があるから先輩は僕をここに呼び出したのか?
そもそも、ここはどこだ? 裏山の神社と少し違う。
先輩は踊り続ける。
頭の前にかざした右手が赤く染まっている、左手も赤い。よく見ると全身が赤かった。
先輩の動きがぎこちなくなった。
先輩が歩くと何かが地面に落ちた。遠くて見難いけれど、あれは指だ。
紐のような何かが出ている。先輩が引きずっているのは……大腸、小腸か。
踊るたびに身体が崩壊していく先輩、こちらを振り返った。
何かを言ったが、音頭が邪魔をして聞き取れない。でも、先輩が『逃げろ』と言っている気がした。
怖くなった僕はそこから逃げ出した。
何度も人にぶつかりながら、山を下る階段を目指した。危険を顧みず、急階段を駆け下りる。奇跡的に転ばずに階段を下りきった僕は、とりあえず神社から離れるために走った。少しでも前へ、遠くへ。
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「聞こえますか?」
声のする方を見ると白衣を着たおばちゃんがいた。お世辞にも白衣の天使とはいえない。
僕はベッドの上にいた。白衣のおばちゃんが言うには、僕の運転するバイクと車が接触して転倒したらしい。打ちどころが悪かったら死んでいたそうだ。
あの時、先輩は何と言おうとしたのだろうか? 今となっては分からない。
ただ、あっちにいる先輩が苦しまずに過ごしていることを、僕は祈っている。
<了>