わたしの親友は、元悪役令嬢らしいです
わたしには、とっても可愛くてかっこいい幼馴染がいる。わたしや他の子が困っていたら必ず手を差し伸べ、男の子や大人が相手でも守ってくれるような強い女の子だ。
彼女の名前はローズ・シェントベルク。公爵家のお嬢様である。しがない辺境伯家の三女であるわたしが、ローズと出会うことができたのは、きっと人生における最大の幸運だと思う。
そんなわたしとローズの出会いは、とあるパーティーでの出来事だった。
◆
わたしは王太子も参加するというガーデンパーティーに行くことになった。子どもだけのパーティーとは言え、とても緊張していた。
心を落ち着かせるためにオレンジジュースをちびちびと飲んでいると、黒い髪をした綺麗な女の子がわたしに話しかけてきた。
「こんにちは。綺麗なドレスね」
「え? あ、ありがとう……ございます?」
わたしはパーティーへの緊張と話しかけられた動揺で、うまい言葉が見つからず、自信なさげに返してしまった。しかし、その女の子は変な顔をするでもなく、クスッとちょっと笑って、すぐにわたしに右手を差し出してきた。
「私、ローズっていうの。あなたは?」
「あ、わ、わたし、ティーネっていいます」
「ティーネ! かわいい名前だわ」
「そんな! わたしなんかより、ローズちゃんの方がかわいいです!」
わたしは差し出された右手を受け取りながら、思わずそう言ってしまった。しまった! と思っても、口から出た言葉は戻ってこない。
ちゃん付けなんて、不敬じゃないかとか、興奮で顔が真っ赤になってないかとか、後から頭をグルグルと駆け巡るのは後悔ばかりだ。
だけど、そんなわたしにローズはちょっぴり驚いた顔をしたあと、優しく微笑んだ。
「ありがとう。そんなふうに言われたことって、あまりないから……嬉しいわ」
大人っぽい仕草で髪を耳にかけながら、少しだけ照れたようにそう言った姿は、とても美しかった。
だけどわたしは、それよりも気になることがあった。
「あの、ローズちゃ……様くらい綺麗だったら、よく言われるんじゃ?」
「……いいえ。そんなことないわよ」
ローズは俯きがちにそう言って、少しだけ寂しそうな顔をした。わたしは悪いことを聞いてしまったと思って、慌てて謝る。
「ごめんなさい。傷つけるつもりじゃなくて……」
「そんな、謝らないで。ただちょっと……いえ、何でもないわ」
頭を下げるわたしに、優しく声をかけてくれたローズは、続けるように何か言い淀んで、諦めたようにやめてしまった。その顔はすごく寂しそうで、今にも泣き出しそうだった。
わたしは、その様子を見て、なぜだかこのまま放っておいてはいけないと思ってしまった。わたしは何も考えずに、ローズの腕を掴むといつの間にか庭園の奥の方に駆け出していた。
「あ、ちょ、ちょっと!」
ローズが止める声も聞かずに、わたしは周りの目も気にせずに駆け抜ける。庭園の奥の東屋についた時には、二人とも息を切らしていた。
「はぁ、はぁ、いきなりどうしたの?」
ローズはそれでもすぐにお嬢様らしく身なりを整えると、優雅にベンチに座った。
わたしは口をキュッと引き結ぶと、情けなく眉毛を下げながらローズの隣に座る。勢いで連れてきてしまったけれど、何をしていいのか全く分からない。
「あの、えっと、その……」
励ます、も違うだろうし、同情なんてもっと嫌だろうし……
どもりながら呟く言葉は、一向に意味を持たずに消えていく。ローズはそんなわたしの言葉を辛抱強く待ってくれた。わたしは意を決して口を開く。
「あのね、わたしはローズちゃんのことが好きだよ。だから、だから、寂しそうに、誰にも愛されてないみたいな顔をしないでほしいな」
わたしはあえてちゃん付けでローズを呼んだ。領地で遊ぶ子たちと同じ呼び方で、ただの友達みたいに。
初対面でこんなことを言うなんて、おせっかいにもほどがあるかもしれないけれど、それでもこれは正直なわたしの言葉だった。
「……あ」
ローズは静かに涙を零していた。小さく震えた口からは、堪えきれなかったように嗚咽が漏れる。わたしはそれに慌てたけれど、ローズは涙を溢れさせながらわたしに「ありがとう」と声を絞り出しながら言ってくれた。
わたしたちは、しばらく東屋でローズが泣き止むのを待った。そして、その合間にポツリポツリとローズの話を聞いた。
ローズの父親が最近再婚し、新しい継母がローズに冷たく当たること。そして連れ子の妹が、自分よりも先に婚約したローズに嫉妬して、悪い噂を流すこと。ローズにはこの生を生きる前の記憶があって、そこでは悪役令嬢として断罪されて死んだこと。それがトラウマになって、この人生に、生きる意味を見つけられなくなってしまったこと。
聞いているうちに、わたしの中ではふつふつと怒りが湧いてきた。こんなにも頑張っているローズに、この世界はあまりにもひどすぎる。
「そんなのってないよ……」
「……あのね、私、前世では婚約者の周りにいた子に嫉妬して、その子にひどいことをしたのよ。だから、断罪も、これだって当然の報いなの」
ローズは目を腫らして、ポツリとそうこぼした。わたしは、そんな事を言うローズにも怒れてきてしまう。
「でも、それは愛されようとした結果でしょ? 確かにやり方は悪かったかもしれないよ。けど、それを悔いるのと、ローズちゃんが自分を大切にしないのとはちがうでしょ!」
「……怒ってるの?」
「そうだよ! 怒るに決まってるよ……!」
わたしは思わず立ち上がって、身分差とか、無礼とか、そんな事も考えずにパチンとローズの頬を叩いた。ローズはとても驚いた顔をしていたが、すぐに顔をクシャリと潰すような笑顔になって、大声で笑った。
「あはははは! ティーネは凄いね!」
「ふ、ふふ、あはは!」
わたしもローズの笑顔に釣られるように笑って、二人で貴族令嬢らしくない声を上げながらしばらくの間笑い続けた。
ローズの顔を冷やして、わたしたちがパーティー会場に戻ったのは、パーティーも終わるころだった。ローズは王太子に呼ばれて行ってしまい、そこで初めてローズの婚約者が王太子で、彼女が公爵令嬢なのだと知った。
わたしは公爵令嬢相手に、なんて無礼を働いてしまったんだろうと肝が冷える心地がした。まさかそれほど高い身分の人だとは思わなかった。慌ててローズに謝ろうとしたが、ローズはそれを止めて、軽く笑うと「またね、ティーネ」と言った。
「……うん、またね。ローズちゃん」
わたしも笑ってそれに返す。王太子やその周りの子たちはわたしたちのやり取りに驚いていたようだったけど、ローズは含みを持った、ちょっと意地悪な笑顔で彼らに返していた。
わたしはふわふわと夢見心地で、パーティーの残りの時間を過ごした。
◆
それからは、ローズとパーティーで会うたびに話したり、手紙のやり取りをしたり、互いの家に遊びに行ったりして、わたしたちは親友と呼べる間柄になっていった。
そして十六歳の秋、わたしは魔法学園エレンダに入学することになった。エレンダには、ローズや王太子、他にもローズを通して仲良くなった人たちが一緒に入学する。
「おはよう、ローズ」
「おはよう、ティーネ。今日もかわいいわ」
「えへへ、ありがとう。ローズは綺麗だしかわいいしかっこいい!」
今日は朝からローズと一緒に登校する約束をしていたので、ローズがうちまで馬車を回してくれた。それに乗り込んで、わたしはローズの隣に座る。
エレンダまでの道のりは、最近の王太子との話だとか、他の王太子側近たちの面白い話だとか、他愛もない話をした。
エレンダは全寮制の学園だ。わたしは家を離れたことがあまりないので心配だけど、ローズがいてくれるから少しだけ安心できる。
到着すると、御者さんに荷物を頼んで、わたしたちは入学式の会場となる講堂に向かった。その道中で王太子やその側近たちを見つけ、わたしとローズは駆け寄った。
「おはようございます、殿下」
「おはようございます」
「ああ、ローズにティーネ嬢もおはよう」
王太子は柔らかな金色の髪をなびかせて、笑顔で挨拶してくれた。その横には、眠そうに欠伸をこらえているアルトと、彼の頭を本で叩いて起こしているルーカス、そしてその隣で彼らをからかっているエヴァンスがいる。
実は、わたしはエヴァンスに密かに好意を寄せている。深い青緑色の髪も、青みがかった目も素敵だが、何よりもその少し意地悪で、優しい性格が好きだった。
今日もちらりと彼のことをみてしまうわたしを、ローズは微笑ましいものを見るような目でみてくる。わたしは恥ずかしくなって思わず顔を俯けてしまった。
「どうした? ティーネ嬢、体調でも悪いのか?」
「いっ、いえ!」
勢いよく俯いたわたしを、具合が悪いのかと心配してくれたエヴァンスが、わたしの顔を覗き込むように見てくる。
ちっ、近い!
わたしは顔から火が出そうになるのをこらえ、ぎゅっと目を瞑って顔を上げた。今目を合わせたら、確実に変な声が出てしまう。
「本当に大丈夫か? 顔が赤いけど」
「大丈夫です、大丈夫ですから、お気になさらず!」
わたしは顔を両手で覆いたいのを堪えながら目線をそらして目を開ける。そこにあったのは、ニヤニヤとした笑顔でこちらを見る四人の視線。わたしはプルプルと震えながら、ローズにだけぽかぽかと弱く拳を当てた。
「ごめん、ごめんなさいって。ティーネ」
「もう!」
わたしはスネたように頬を膨らませてローズとは反対方向に顔を向けるけれど、そこには当然だがエヴァンスの顔があった。わたしの見開いた目と、エヴァンスの柔らかな瞳が交わる。
「はは、ティーネ嬢は拗ねた顔も可愛らしいんだな」
「ピャッ……」
わたしは自分の心臓が止まりそうになる感覚を覚えながら、プシューッと頭から煙を出して赤面した。
「エヴァンスも罪な男ね」
「全くだ」
ローズと王太子の言葉に、他の二人も同意するように頷く。
「え、俺、何かした?」
「……そういうところだと思うよ」
一人だけ分かっていないような顔をするエヴァンスに、アルトが呆れたように返した。
◆
エレンダでの一年目は順風満帆な生活だった。各々好きな授業を取れるシステムに、教科は充実しており、どの授業もおもしろくて迷ってしまうくらいだ。
魔法学での授業では、流石だろうか。王太子やローズたちはとても優秀な成績を収めていた。わたしはたまに勉強会を開いてもらって、何とか及第点を取るのに必死だったが、代わりに体を動かす騎乗学などでは高成績を修めることができた。
クラブ活動では、わたしはローズと一緒に料理クラブに入った。そこで作ったクッキーをエヴァンスに食べてもらって、おいしいと褒められたときは天にものぼる思いだった。
ローズも寮生活で家族と離れることができて、自然な笑顔で笑えることが増えていた。
しかし、二年目にはローズの異母妹であるミーシャが入学してきた。
ある日わたしたちが廊下ですれ違うと、ローズとわざとぶつかってコケたふりをした。
「キャッ! おねえさま、やっぱりあたしをお嫌いなのね」
「はい?」
「家でもあたしをこき使うじゃない。おねえさまのお母様が死んだのはあたしのせいだって!」
その声に、周りからは動揺の声が上がる。 もちろん、何いってんだこいつ? という方で。
ローズは一年生の最初の頃から優秀で性格も良く、周りの人を常に助けるように過ごしていた。そのおかげもあって、この学園の人たちはほとんどがローズの事を本当の意味で知っている。
一向に泣き真似をやめないミーシャに、軽く息を吐いてローズは手を差し伸べた。
「淑女がいつまでも床に座り込んでいるものではありませんよ」
「……おねえさまはあたしなんかじゃ淑女になれないって思ってるんでしょう?」
「そんな訳ないじゃない。あなたも立派な淑女よ」
「嘘よ! 本当は、なんにもできないあたしを馬鹿にしてるくせに!」
ミーシャはローズの手を叩き落とすと、キッとこちらを睨んで去っていってしまった。
周りの人たちも唖然とした様子でその一部始終をみていたが、しばらくするとまたいつも通りに動き出した。
「このままあと二年も続けられると困るわね……」
「ミーシャちゃん、相変わらずだね」
わたしとローズは、このときは苦笑していつも通りだと流していた。いつかは飽きて諦めるだろう、と。
しかし、ミーシャの勢いは止まらなかった。ローズとあまり面識のない一年生を中心に、自慢の口で味方をつけていき、ローズの根も葉もない悪い噂を流していった。
三年生になるとミーシャの勢力が拡大するとともに、だんだんとローズの立場は弱くなっていった。王太子たちも尽力したが、なかなか状況は良くならない。
「今回も、駄目なのかしら……」
ある日の昼休み、中庭のベンチでみんなで集まっていた時にローズがポツリと零した。本当に小さな声で、気付いていないのかみんなは普通に談笑を続けている。
だけど、わたしにははっきりときこえた。今回も、というのは前世での断罪の話だろう。
ローズは楽しげに話しているわたしたちから一歩引いたように、寂しげな顔で王太子を見つめていた。それはあのパーティーの時と同じ顔だった。
わたしは嫌な予感がして、次の瞬間にはローズの腕を掴んで駆け出していた。
「え?」
「ティーネ嬢?」
「ちょ、ちょっと?!」
「ローズを借りていきます!」
わたしの淑女らしくない行動にみんな驚いているが、そんなことには構っていられない。ひたすらにわたしが目指すのは、中庭を抜けた先にある温室だった。あそこにはほとんど人が近寄らないから、話すならちょうどいい。
「はぁ、はぁ、ティーネ?」
息を切らしているローズとは対照的に、わたしは少し呼吸は乱れているが落ち着いていた。あの頃と比べれば、わたしたちも少しだけれど変わっている。
「ねぇ、ローズ」
「……ティーネ、どうして怒ってるの?」
だけど、変わらないものもある。
わたしは勢いよくローズに抱きついた。ローズは驚いたように体を強張らせて、だけれどぎこちなくわたしの背中に腕をまわした。
「怒るよ。怒るに決まってる。今回も、なんて言わないでよ」
わたしは目に涙をいっぱい浮かべながらそういった。思い出すのは、小さかったころのローズの姿だ。辛そうに涙を零していたローズは、あの時もう二度と見たくないと思ったのだ。
「ティーネ?」
「ローズ、わたしたち親友だよ。幼馴染だよ。だから辛いなら頼ってよ。吐き出したいならいくらでも聞くよ。精いっぱい力になるよ。だから、あんな諦めたような、羨望するような目で見ないで……」
最後の方は、声が震えるのを感じながら、押し出すようにして言葉にする。どうにかこの思いがローズに伝わるように、何度も何度も言葉を重ねる。
「悪役令嬢が何? そうなることを望んでるわけじゃないんでしょ? だったらローズになれるわけないじゃん。こんな優しいのに」
「……ティーネ」
「わたしはここにいるよ。王太子も、アルト様も、ルーカス様も、エヴァンス様だっている。みんなローズにたくさん助けられてきたんだよ」
「……うん」
背中に回る腕に、力が加えられる。少しだけ震えた腕から伝わってくるのは、ローズの心に秘められた思いなのだろう。
「ありがとうっ……」
押し出された感謝の言葉は、涙交じりで不格好だった。だけどそれだけじゃない、ローズの芯の強さを取り戻した声だった。
今回は二人とも泣き腫らして目を真っ赤にさせた。心配した王太子たちが温室に来た時には、みんなにぎょっとした顔をされてしまった。だけどそれがなんだか面白くて、わたしとローズは久しぶりに腹を抱えて笑った。
◆
次の日から、作戦会議が始まった。場所は温室の一角にある、使われていないサロンである。議題はもちろん、ミーシャについてだ。
「とりあえず、今の段階での噂についてまとめて対策を練ろう」
「そうだね。まずはミーシャ嬢がローズ嬢にいじめられてるっていう話についてが、最近では一番多いみたいだけど」
「俺は王太子がローズ嬢と婚約破棄したがってるって噂も聞いたぞ」
エヴァンスのその言葉に、王太子はピクリと眉を上げる。その目は静かに怒りを含んでいた。
ローズだけでなく王太子まで巻き込んだ噂とは、ミーシャがそれほど馬鹿だとは思わなかった。
「ほう? 後で詳しく聞かせてもらおう」
「言っておくけど、俺はちゃんと否定したからな」
いじめがいのある獲物を見つけた肉食獣のような表情で王太子はエヴァンスを見た。エヴァンスはそれに半目で文句を返す。
「それよりも、今は噂を消す方法を考えたほうがいいんじゃないのか?」
ルーカスが呆れたようにため息を吐いてそう言う。
それについては、わたしに一つ考えがあった。わたしは軽く手を挙げて提案する。
「噂については、王太子とローズに協力していただければ何とかできると思います」
「どういうことだ?」
「噂に関わっているのはほとんどが令嬢たちで、令息方はあまり興味がない様子ですよね。だから、それをうまく使うんです。令嬢が好きなのは恋の話、特に障害があると更に盛り上がるんですよ」
社交界でも、ご婦人たちの話の中心はいつも恋愛の話だ。特に最近は悲劇的な恋の話が人気らしい。
「ローズを悲劇のヒロイン、王太子をヒロインを救う騎士に見立てて一芝居打つんです」
「なるほどな。だが、上手くいくのか? そもそも私は騎士が似合う性格ではないぞ?」
王太子はわたしの顔をみて、ローズの髪に触れながらそういった。確かに、王太子は顔は甘いくせにちょっと腹黒いというか、どちらかというと魔王っぽい。ローズへの執着を見ていると、なおさらそう見える。
「まぁ、黒騎士ってことにしましょう。あらすじは例えば、他の令嬢から王太子にふさわしくないと言われたローズは傷つき、王太子から身を引こうと考える。けれど王太子はそれを許さずローズを繋ぎ止めようとする。しかしローズはそれを拒み、別れることが王太子にとって一番いいことだと信じてしまう。ついには自分の妹に噂を流させ、強制的に世間的な決別を選んだ……みたいな感じでどうでしょうか?」
「……確かに、令嬢たちが好みそうな内容ではあるけれど……」
「ちょっと無理がない? 特にローズ嬢が王太子にふさわしくないなんて、誰も思ってないでしょ」
ローズとアルトはあまり乗り気ではないようだった。それとは反対に、エヴァンスやルーカス、王太子からは賛同の声が上がる。
「いいんじゃないか? 特に、ミーシャ嬢の噂を逆手に取って利用するのは、信憑性にも繋がるだろう」
「俺はティーネ嬢に賛成。うまくいけば、それ以上ミーシャ嬢が新しい噂を流しても、話の終着点はローズ嬢と王太子の悲劇的な恋愛の話になるしね」
「もう少し詰めたほうがいいところはあるが、噂話の方はおおむねはそれでいいだろう。何よりも、ミーシャ嬢にとっては一番いやな結果となるだろうしな」
三人の話を聞いて、二人とも渋々わたしの策に同意してくれた。
そうと決まれば善は急げ、だ。わたしたちは細かな設定や、流す噂について話し合って次々と決めていった。結果的に大筋はそのままに、ローズと王太子の大々的なすれ違い恋愛譚が出来上がった。
自ら悪役になることを選んだ令嬢と、令嬢のためなら悪に染まることも厭わない黒騎士の話だ。
◆
その次の日から、早速わたしたちは動き始めた。
ローズは王太子とわざと距離を置き、儚げな令嬢を演じ、王太子はそんな状況を憂いて涙を見せる姿を演じた。
「ローズ様? どうなさったのですか?」
「いえ、何でもないのです。これは王太子のためなのですから」
「王太子、どうしたんだ? 元気がないようだけど」
「最近、ローズが私と距離を置くんだ。私にふさわしくないと言われた事を気に病み、私と別れようと考えているらしい。ついには妹に噂まで流させて……」
「ローズ! どうして最近は会ってくれないんだ?」
「私は王太子にふさわしい人間なんかじゃありません。私の噂を聞いたでしょう? お願いですから、もう関わってはいけません」
「待ってくれ、ローズ! 私の話を聞いてくれ!」
たまには二人が対面するシチュエーションも作り、すれ違いのもどかしさやら、悲劇っぽさやらを演出したりもした。
二人だけではなく、わたしたちもいろいろと働きかけた。周りの人たちから少しずつ、噂の出どころがバレないように慎重に話を広げていく。
その甲斐あってか、一カ月とたたないうちに、ローズが自らを犠牲に悪役令嬢となろうとした話と、王太子がローズを貶めた誰かを探し出そうとしているという話が学園中に知れ渡っていた。
わたしたちの思惑通り、ミーシャが新しく作り出す噂話も全て姉想いの美談へと昇華し、すぐにローズと王太子の話へと移っていった。
◆
そして、三年生最後の卒業パーティーの日。わたしたちの計画は最大の山場を迎える。
その日は一番広い講堂を使って、在校生も卒業生も生徒全てが集まってパーティーを楽しんでいた。
わたしとローズはその中にやたらと着飾って男を侍らせているミーシャを見つけ、自然とその近くに寄った。少し離れたところに王太子たちがいるのも確認済みだ。
パーティーも盛り上がりが落ち着いてきた頃、ちょうど音楽が一区切りついたその時に、王太子の声が講堂中に響き渡った。
「ローズ・シェントベルク公爵令嬢! 私は君との婚約を今日をもって解消する!」
音声拡大魔法をさりげなく使っているので、その声はよく響く。周りの人たちはざわざわと騒ぎ出し、自然と王太子とローズを取り囲むように輪ができた。
「どういうことだ?」
「王太子はローズ様のことを、好きではなかったの?」
動揺は伝染するように人の間を波のように縫って伝わる。しかし、大きくなったざわめきは次の王太子の言葉ですぐに静まった。
「ローズ、君は大変な罪を犯した。今日はこの場を借りて、君を断罪する」
そう言いながら、コツコツと王太子は金髪をなびかせながらこちらに向かってくる。パーティー用の装いで身につけている黒いマントがふわりと舞い、不穏な空気を演出する。
「君はここ最近、ずっと私を避けていたよね。それは何故?」
「何度も言っているでしょう? 私は王太子殿下にふさわしい人間ではないのです。だから」
「それは理由にならないよ。……君は私の心を酷く傷つけた。それなのに、まだそんな言い訳で私から逃げようとするのかい?」
王太子は、スゥッと目から光を消してそう言い放つ。演技だと分かっていても、一瞬飲み込まれてしまうほどには迫力があった。
だが、ローズはそれに怯むことなく口を開き反論する。
「そもそも、王太子はなぜそこまで私に執着するのですか? 断罪するほどにお嫌いなら、とっとと捨て置けばよいでしょう」
「だから、そうやって私から逃げようとする君が許せないのだよ」
彼は目を細めて、グイッとローズの腕を引っ張る。
「えっ?」
次の瞬間、ローズと王太子の唇が重なった。これは台本にない出来事だ。
ローズが目を見張って動揺しているのが伝わってくる。もちろん、わたしも驚きで思わずエヴァンスたちの方をみてしまう。しかし彼らはニヤリと笑ってこちらを見ていた。
……さてはグルだな。
その一連の出来事に周りのざわめきは一層強くなる。ミーシャは唖然とした顔でローズを見ている。
「……ローズ、婚約者ではなく私の生涯で一人だけの伴侶になってほしい。結婚しよう」
唇を離した王太子は、その視界にローズだけを収めて、先程の不穏さとは打って変わって、頬を優しく包むようにそう言った。ローズは動揺で真っ赤になった顔で、けれど幸せそうな顔でそれに頷いた。
「はい。喜んで」
うわああぁぁぁ! と歓声が上がる。わたしも、分かっていたけれど思わず声を上げて喜んでしまった。
一方で、ミーシャは抜け殻のように口をあんぐりと開けており、ローズと王太子がもう一度唇を交えたところで、ふらりと気を失っていた。
放っておいていいよね。今日はローズの晴れ舞台なんだから。
ミーシャのことは周りの男の人達が何とかしてくれるだろうと考えて、わたしは思いっきりローズを祝福した。
歓声が一段落したところで、静かにバイオリンの音が響き、ダンスが始まった。中央にはもちろんローズと王太子、そしてその周りに次々と相手のいる子たちがダンスに参加していった。
わたしは、それを少し離れたところで見ようと思い、移動しようとした。すると、前方からエヴァンスがやってくるのが見える。なんの用だろうと思っていると、目の前まで来た彼はわたしの前で跪いた。
「ティーネ嬢、俺と踊っていただけませんか?」
「え?」
エヴァンスは優しい笑みを浮かべながら、畏まった口調でそう言った。わたしは目の前の光景に硬直してしまう。
踊って、いただけませんかって……エヴァンス様が、わたしと?!
頭が言葉の意味を理解した途端、全身が燃え上がるんじゃないかと言う程に熱くなる。きっと、今のわたしの顔は赤く染め上がってしまっているだろう。
「わたしで、いいんですか?」
興奮と緊張の中で、何とか絞り出した声はわずかに震えていた。
そんなわたしに、エヴァンスはもう一度微笑んで手を差し伸べてくる。
「君がいいんだ」
その言葉は、わたしの心臓をキュウッと鳴かせた。彼は知っているんだろうか、彼の言葉一つで、わたしの心がどうしようもなく揺さぶられてしまうことを。
「……はい、喜んで」
これ以上ないほどにドクンドクンと脈打つ心臓を抑えながら、わたしはその手を取った。
音楽に合わせて、ゆらり、ゆらりと舞うようにステップを踏む。正直エヴァンスの顔が近くてダンスどころではないが、体は案外覚えているようだった。
緊張でガチガチになっているわたしに、エヴァンスは小さく笑って話しかけてくる。
「よかったな」
「え?」
「ローズ嬢のことだよ。ずっと心配してただろ?」
彼はそう言って、ローズと王太子が踊っている方を見る。わたしも釣られてそちらを見ると、ローズの幸せそうな顔が目に入った。
……良かったね、ローズ。
思わず、わたしも嬉しくなって笑顔になる。
「ローズ嬢が、あんな風に心からの笑顔を見せるなんて、昔は考えられなかった」
「そうなんですか?」
わたしは驚いて聞く。確かに、ローズは人と一線引いた態度を取ることが多かったけど、それでも笑うときは笑う子だった。
「彼女があんな顔をするようになったのは、ティーネ嬢と出会ってからだ」
「そんなこと……」
「本当だよ。物心ついた頃から一緒にいる俺たちにも、王太子にでさえ、彼女は本音で話そうとしなかった。いつだって張り付けたような笑顔で、誰にも心を開かなかった」
ローズの昔の話に、わたしは少し悲しくなった。きっと、その頃から前世のことや家のことで思い悩んで生きていたんだろう。
「だけど、あのパーティーの日、ティーネ嬢に楽しそうに笑いかけて「またね」とローズ嬢は言ったんだ。あんな事初めてだったよ。実は、少しだけ嫉妬した」
「嫉妬、ですか?」
「あぁ、あのときはちょうど、ローズ嬢をどうにか笑わせようとみんなで画策してた頃だったんだ。もちろん結果は全敗。それなのに、ポッと出の伯爵令嬢がたった数時間にして彼女の顔に笑顔を咲かせたんだ。それは悔しかったし、面白くなかった。だけど同時に嬉しかった」
そう言って過去に思いを馳せるエヴァンスは、優しい顔で笑っている。わたしはそんなふうに思われていたのかという驚きと、ローズがちゃんと愛されていたんだという喜びで胸が湧き立った。
「よく笑うようになったローズ嬢の隣にはいつも君がいて、いつの間にかローズ嬢だけでなく俺たちの心の内にも入り込んできていた。君はいつだって笑顔で、仲間思いで、ちょっと抜けているけれど、それ以上に真剣で……俺は、そんなティーネ嬢にだんだんと惹かれていったんだ」
「え?」
いつの間にか、エヴァンスの視線はローズからわたしに移っていた。まるで愛の告白かのようなエヴァンスの言葉に、わたしは動揺する。
「えっと、あの?」
「昨日、ティーネ嬢の両親に婚約を申し込んできた」
「え?!」
驚きのあまり、大きな声を出してしまった。そんな話は、両親からも誰からもまだ言われていない。わたしは目を見開いてエヴァンスを見る。
そんなわたしの腕をエヴァンスは大きく引き、ダンスの振り付けの通りに円を描いて回る。わたしは驚きが大きすぎて足が動かず、そのまま倒れるようにエヴァンスの胸にポスンと収まってしまった。
「好きだ。ティーネ嬢、俺と結婚を前提に婚約してほしい」
「ひゃ、ひゃい……」
至近距離にはエヴァンスの顔。そして囁くようにそう言われれば、わたしには拒否権なんてないも同然だった。
多分、今日ほど幸せな日はないだろう。ローズを前世のしがらみから解放できて、好きな人から好きだと言ってもらえて、こうして胸に抱かれている。
周りに沢山の人が沢山いる状況だというのに、私はこの時間がずっと続けばいいと思ってしまった。
きっと、これからの人生はどんな波乱が待ち受けていたって、幸せなものになるだろう。そんな確信が胸の中に芽生えた瞬間だった。