第3話 失踪
秋の風が吹き始めたある日のことだった。私は、いつものように斎藤誠さんの家を訪れ、彼と一緒に夕方の涼しさを感じながら話していた。斉藤さんはその日、どこか落ち着かない様子で、庭を何度も行き来しながら、ふと私にぽつりと言った。
「もうすぐ、わしにはやらなければならない大事なことがあるんだよ」
「大事なこと、ですか?」
斉藤さんは曖昧に頷くだけで具体的なことは言わない。
その姿に、私は一瞬引っかかりを覚えた。
斉藤さんが認知症を患っている。
私は、それが妄想的なものだと考えてしまった。過去にも斉藤さんは、突拍子もない話をしてはすぐに忘れてしまうことがあったからだ。
それでも、その日の斉藤さんの表情には、何か決意のようなものが込められているようにもみえた。
「久保田さん、また来てくれよな。次には、もっと昔話をしてやるから」
そう言って微笑む斉藤さんの顔を見て、少し安心した。
数日後、携帯に斉藤誠さんのご家族から電話がかかってきた。
「父がいなくなったんです。何かご存知ではないでしょうか?」
早口で焦った声で伝えられると、一瞬言葉を失った。急いで斉藤さんの家へと向かった私は、家族に迎えられて家の中に入る。
家の中は斉藤さんが普段過ごしていたままの状態で、食事の食器や新聞がいつも通りに置かれていた。特に争った形跡や、急いで出ていったような痕跡は見当たらない。
「何も言わずに出て行くなんて今までなかったんです」
家族も心配している様子で途方に暮れていた。
私は家の中を丁寧に見渡し、何か手がかりになるものを探した。斉藤さんが大切にしていた古い写真や、彼が集めた書籍もそのままだ。しかし、私は棚の隅に置かれていた一冊の古い手帳を見つける。その手帳は表紙がすり減り、何度も使われてきたことが一目で分かるものだった。
「拝見してもいいですか?」
家族に確認をしてから私は手帳を開き、中身を確認し始めた。最初のページには、斉藤さんの生真面目な字でふるさと農園の立ち上げ時期や、美柵町の風景が細かく記されていた。「今日も天気が良く、農園での作業が捗った」や「地域の人たちと話し合いをした」といった、日常の記録が並んでいる。
さらに読み進めると、ふるさと農園に関する話や、斉藤さんの思い出が断片的に記されていた。手帳の前半部分は、斉藤さんがふるさと農園に関わっていた時代の記憶が細かく綴られているが、後半に進むにつれて、まるで別人が書いたかのように文字が乱れて、文字が文字でなくなっているように読み取れない部分が多くなっていた。
認知症の症状が進んでいるのが日記からわかる。
その中でも、特に目を引いたのは最後のページだった。
「みち…」
「…かくすナ…」
「…見つけネば…」
斉藤さんが話していた「埋もれた道」や農園ができる以前から土地に伝わる古い噂や、戦時中に何かを隠したという話も断片的に書かれていた。
本当のことなのか、何かの話が記憶の中でくっついてしまったものなのか、正直区別がつかない。
ただ、その言葉を見て、斉藤さんの失踪とこの「道」が何か関係しているのではないかと直感した。斉藤さんがいなくなる直前に言っていた「大事なこと」が、この手帳に記された「埋もれた道」を探すことに関係していたのだろうか。「埋もれた道」——それが一体何を意味するのか。