1話 目覚めたらパラダイス
「マチョ村~、次体育だから早く~!」
「待って待って、やばっ! やっぱりお弁当忘れてきてるじゃん。体育の後でもダッシュしたら購買のパンまだ買えるかな? 残ってなかったらどうしよう」
「あははっ、今日厄日なんじゃないの? マチョ、さっきの古文も当てられてたし」
「その前の数学もじゃなかった?」
三人の友人と笑いあいながら更衣室へと走る私は、松村香蓮十七歳。
花も恥じらう高校二年生だ。
「あっ! あれって櫻井先輩じゃない? 今日も最高にカッコイイ……」
「一緒にいる松本先輩だっていつ見ても爽やかでイケメン。マチョ村もそう思うでしょ?」
「うーん、私はあまり先輩たちには興味がないっていうか……」
「出たよ。どうせマッチョさが足りないとか言い出すんでしょ? マチョ好みの筋肉モリモリ高校生なんてその辺にホイホイいるかっつーの!」
「ほんとマチョ村って変わってるよねー」
「ねー」
ひどい言われようだが、あながち間違ってもいないので言い返せない。
確かに先輩たちはアイドルグループにいそうなほど顔が整っているのはわかるけれど、圧倒的に体の厚みが足りないと思ってしまうのだ。
細マッチョはいても、マッチョな高校男子にはあまりお目にかかれないというのが悲しい現実なのである。
あーあ、そもそもうちの高校ってスポーツ部が弱すぎなんだよね。
もう少し運動にも力を入れてたら、マッチョも多少はいたかもしれないのに。
まあ、細マッチョとマッチョの境界はあくまで私の勝手な判断なんだけどね。
でも筋肉にはちょっとうるさいんだな、私。
もうおわかりだとは思うが、私はマッチョな男性に心を惹かれてしまう。
やれ韓国アイドルだの、やれ人気の若手俳優だのと同級生はキャッキャとはしゃいでいるが、その手の男性には私は全く関心を持てなかった。
なぜなら、彼らはせいぜい細マッチョがいいところで、皆そろってすらっとした体躯をしているからだ。
まあ踊ることや、演じる役の幅を考えれば当然だとは思う。
だけど私はもっとドーンとした存在感を放つ、服を着ていても隠し切れない、ほとばしる筋肉を求めているのである。
『あら、あなた実は結構鍛えているのね?』レベルはお呼びじゃないのだ。
なーんてことを、高校入学直後の教室で熱く語ったせいで、私のあだ名は早々に『マチョ村』になってしまった。
言わずもがな、苗字の『松村』をもじったもので、今では『マチョ』と短縮形で呼ぶ子もいる。
それほどまでに私のマッチョ好きは学校中に認知されてしまっていた。
せっかく『香蓮』という可愛い名前を付けてくれた両親には申し訳がないとは思うが仕方がない。
――と、私の自己紹介はここまでにして。
結局体育のせいで小さいパンを一つしか買えなかったその日の私は、お腹を空かせていたからか、はたまた視界に入ったマッチョな大学生に見惚れていたからか……うっかり駅の階段を踏み外してしまった。
そして、それが松村香蓮としての最後の記憶になったのである。
◆◆◆
それは繰り返される日常の、ありふれた一日の朝だった。
カレンはいつものように洗い終わった洗濯物を物干し竿にかけていた。
「今日は暑くなるから、すぐに乾きそうね」
「そうだね。でもここしばらく天気が悪かったから凄い量だけどね。一度に干すのは無理かも」
洗濯物を広げていた母が、久しぶりの太陽に嬉しそうに空を見上げる。
カレンも日差しに目を細めつつも、洗い終わったばかりの山盛りの洗濯物を前にすでに心が折れそうだった。
洗っただけで、もうへとへとだったのである。
少し離れた場所ではいつものように非番の騎士が自主練として剣を振っているが、特に興味も湧かず、カレンの中では風景の一部になっていた。
カレン母子の二人は騎士団の寮で働いている為、騎士はもはや家族同然、見慣れた存在なのだ。
あっちもマッチョ、こっちもマッチョ、どこを見てもマッチョしかいないこの寮に、カレンは十歳の頃から住んでいる。
騎士だった父が任務で命を落とし、大黒柱を失ったカレンの母がこの寮で働きだしたからだ。
住み込みで働く母と一緒にここで暮らし始めたカレンも、十七歳となった今では立派に家政婦として男所帯の寮を家事面で支えていた。
まったく、どうして騎士ってこう馬鹿でかいのかしら。
洗い物も増えるし、食べる量も尋常じゃないし、ほんと不経済よね。
亡くなったカレンの父も騎士だった為、当然父も立派な体付きをしているマッチョ体型だった。
しかしいくら鍛えていても、父は命を落としてしまった。
筋肉は父を守ってはくれなかったのである。
そのことが子供心にショックだったのか、カレンは筋肉が好きではなかった。
マッチョだった父を失った悲しみが原因となり、筋肉への嫌悪感が芽生えたとしても誰にもそれを咎めることは出来ないだろう。
『あーもう、なんで騎士ってこんなにムキムキで暑苦しいのかしら』『また体が大きくなったんじゃないの? 邪魔だし空気が薄くなる気がするからやめて』
普段から騎士と筋肉に対して暴言を吐きまくっているカレンだったが、生い立ちと見た目の可愛らしさからすべてを許されていた。
元々男ばかりの騎士団寮ではカレンはお姫様のように大切にされていたのである。
キツイ言動にも彼らは面白そうに笑い、わざと揶揄うようにカレンに筋肉を見せつけていた。
カレンも寛大な騎士たちに甘えている自覚がありつつも、彼女の筋肉嫌いは寮の全員に浸透していたのだった。
「カレンちゃーん、こっちも追加ねー」
「え、まだあるの? いくら雨が続いていたからってみんな洗い物を溜めすぎじゃないの?」
今日は午後から仕事だと言っていた騎士のホセが、籠を持って立っていた。
洗濯物の多さに気が遠くなりそうだ。
「悪いと思ってるって。でも今日は団長がお土産買ってくるってよ? 『近々新人も入って来るし、カレンのご機嫌をとっておかないとなー』って朝言ってた」
「ホセさん、お土産は嬉しいけれど、そういうことは私には黙っておくべきなんじゃないかしら?」
「カレン、文句ばっかり言っていないで手を動かしなさい」
「はーーい」
母に怒られたカレンが濡れたタオルを手に取ろうとしゃがんだ時だった。
「カレン!!」
「危ない!!」
母とホセの叫ぶ声が聞こえた直後、カレンは頭に衝撃を感じた。
気を失う前に見えたものはシーツやシャツの白さで、どうやら竿が落ちてきたらしい。
そういえば物干し竿の根本のほうが腐食してきていたんだったわ。
きっと今日の重みに耐えきれずに折れちゃったのね。
私、また死んじゃうのかしら……ん? また?
カレンの意識はそこで途切れた。
◆◆◆
『マチョ! 起きなって! 先生に指されてるよ!』
『マチョ村、爆睡じゃん。ウケるんだけど』
『松村さーん。次読んでー。聞いてるー?』
懐かしい声がする。
確かこれは……って、え、今って授業中?
まずい、早く起きなきゃ!
「はいいっ、松村起きてます!」
覚醒した私はガバッと身を起こした。
一生懸命起きてますアピールをしようとして――ようやくおかしなことに気付いた。
なぜかベッドにいるし、ここはどう見ても教室ではないだろう。
「あれ? ここは?」
「カレン! 大丈夫? どこか痛くない?」
「良かった、気が付いたか。ごめんな、カレンちゃん。俺、竿の傷みに全然気が付かなくて」
母とホセが心配そうにベッドの左右から覗き込んでいる。
あれ? お母さんとホセさんだ。
……そうか、私、洗濯物を干している最中に竿が落ちてきたんだっけ。
あ、たんこぶが出来てる。
しかし、それより気になるのはさきほどの記憶だ。
松村香蓮だった頃の記憶がまざまざと蘇ってくる。
これって前世の記憶ってやつなのかしら?
異世界転生って前世では流行っていたけれど、まさか自分の身に起きるとはね。
私がぼんやりしていると、心配したホセが水を差し出してくれた。
「カレンちゃん、飲めるかい? 医者は心配ないって言っていたけど……」
我に返り、「ううん、大丈夫」と言おうとした私だったが、ふとホセの腕が気になった。
いや、腕だけではない。
視線を上げると、肩、胸の厚みが目に入った。
しっかりと鍛え上げられているいつもの見慣れたホセの体なのに、なぜか目が離せなくなってしまう。
「ホセさん……その筋肉……」
「筋肉? 俺の筋肉がどうかした? あ、また暑苦しいとか言うんだろ? 今は我慢して――」
「いやーん、最高すぎる! なにこれ? さすが騎士の実用性に特化した筋肉! こんな間近で見られるなんて!」
「へ?」
「あ、ホセさん動かないで! こんなマッチョ見たことないんだけど。うわ、詰まってる! このしなやかで弾力のある触り心地……夢でも見ているのかしら」
夢を見ている気分なのはホセのほうだった。
あれほど筋肉を嫌っていたカレンが、とろけそうな笑顔でペタペタ自分の体を触っているのだ。
カレンの母も呆気にとられたのか、目をパチクリさせている。
異様な空気の中、カレンの部屋のドアがけたたましく開いた。
騎士団長のレオナードを先頭にして、流れ込んでくる騎士の面々……。
仕事は終わったのだろうか。
「カレン!! 目が覚めたのか? 倒れたって聞いて生きた心地がしなかったぞ」
「カレンちゃん、無事で良かったよー」
「洗濯物、溜め込んでごめんな」
レオナードが青褪めた顔で近付くと、他の騎士も私のベッドを囲むように群がった。
圧が凄いし、一気に部屋の人口密度と気温が上がったのは気のせいではないと思う。
マッチョばかりなのだから当然である――が。
「キャーー!! パラダイス? ここは筋肉パラダイスなの!? 私、死んで天国に来ちゃったのね!」
マッチョまみれの状況に興奮した私は、もう一度気を失ったのだった。