第8話:幼馴染、『勇者の旅』という絵本
宿屋『跳ねる牛』を後にしたミルドはその足で冒険者ギルドへ向かった。ちょうど営業開始の時刻。羽振りの良い依頼をひとり占めできる金稼ぎにはもってこいのタイミングだ。
しかし、その足取りは重い。
昨日は色々な事が起こりすぎて目的が不明瞭になりかけていたが、本来はギフトスキルの儀式に参加する為に王都へ訪れた。シャロンにはその悲惨な結末を報告しなければならない。
戸を開けると【本部】の1割にも満たない小さな冒険者ギルドにはやはりシャロンしかいなかった。
「おはようシャロン」
「おはようございますミルドさん〜」
依頼ボードの横を通り、受付口にいたシャロンと挨拶を交わす。いつもの柔らかい笑顔。しかし、目の下には薄っすらと隈ができていた。
シャロンには無理をさせている気がして、申し訳ない気持ちになるが、彼女の補佐すら務まる者はウォーセンには存在しない。
「その、昨日のことなんだが」
「ずいぶん遅かったみたいですね〜」
「ああ、そうだな。それで……儀式のことなんだが」
そこでミルドは言い淀む。
シャロンがギフトスキルを勧めてきたあの日、確か王宮から催促を受けているようなことを言っていた。応じなければ報酬金を減らす、ということも。
一瞬の間。シャロンはニコニコと笑っていた。
「儀式は受けられなかった」
「『受けられなかった』ですか〜?ミルドさん?」
「……受けなかった、だ」
短く息を吐いて諦めたように白状する。
馬車代による硬貨の損失が思いのほか苦しかったこと、金の価値を知らない聖職者とその悪口。それらを勢いに任せ、つらつらと事実を述べた。
「──というわけなんだ。その……【本部】から何か言われたら俺が何とかする」
「ふふっ、『何とか』って何ですか〜?でも、大体予想がついていたので大丈夫ですよ〜」
「予想?」
「はい。儀式の際、女神教会が寄付を要求してくることは有名なんです〜それでミルドさんは払わないだろうな、と」
お見通しでした、と言わんばかりにシャロンは笑う。
実際そうだった為、返す言葉も見つからないでいるとシャロンは2枚の銀貨を取り出した。綺麗に磨かれたその姿は何よりも美しく感じた。
「これは?」
「昨日の馬車代ですよ〜【本部】の方へ問い合わせて経費として計上してもらったんです。御者の方曰く、帰りは利用してないとのことなので片道分ですね」
ミルドは心の底から驚く。
シャロンの有能さは今に始まったことではないが、金銭欲のフォローまで完璧とは。
しどろもどろな感謝の言葉を口にして、銀貨を麻袋へしまう。
そこで、ミルドの頭に1つの疑問が浮かんだ。
「そこまで分かってるなら王都まで行かせる必要は無かったんじゃないか」
確かにシャロンの予想は的中していた。
しかし、彼女が得する事は何一つない。むしろマイナスだ。王宮もとい【本部】の指示を達成できなかったのだから。
「ええと……王宮は『冒険者はなるべく儀式に参加させるように』と各冒険者ギルドへ指示していました。今回、ミルドさんは"参加"しましたよね?」
「なるほど……指示には従ったというわけか」
ふたりは顔を見合わせて僅かに笑った。
何かと煩い冒険者ギルド【本部】を良く思ってない者は多い。特に自由を好む冒険者からは嫌われていると言っていい。シャロンは真面目だが、どちらかと言えば冒険者側の味方なのだ。
「じゃあ俺のスキルのことも知ってるのか?」
「アルシードさんから少しだけ。本格的に話を聞く前に遠征に出ていかれたので詳細は知りませんけど〜」
口の軽いアルシードの予想を裏切らない行動に呆れつつ、ミルドはスキル《斧使い レベル11》について話した。
始めは冗談でも聞くような雰囲気のシャロンだったが、冒険者証に刻まれた文字を見て、顔色を変えた。
「不思議、ですね……」
「なにか心当たりはないか?」
全てを話し終えてからシャロンに聞いてみる。
受付嬢は冒険者と接する機会が多い。それに彼女はミルドやアルシードよりも博識だ。
ウォーセンでは農業や商業を営んでいる者が大半を占めており、ここを拠点として活動している冒険者もそこまで積極的ではない。
この謎を解き明かせそうな人物といえばシャロンしか思い当たらなかった。
つまり、シャロンが知らなければ迷宮入りというわけだ。
ミルド自身、積極的に解き明かそうとは思っていないのだから。
「ええと……分かりません〜現在登録されている冒険者に該当する方はいないと思います」
「……本当に分からないのか?」
シャロンが言葉を詰まらせた少しの間。
鈴を転がすように美しく流暢なシャロンにしては珍しい歯切れの悪さにミルドは思わず突っ込む。
「『勇者の旅』という絵本、覚えてますか〜?」
「ああ」
「ふふっ、懐かしいですよね〜そこに出てくる勇者と魔王、伝説的とも言える彼らのスキルレベルは10じゃなかった気がするんです」
「8や9だったんじゃないか?」
「う〜ん、そんな中途半端ではなかったと思います〜だから規格外である11だったんじゃないか、と」
ミルドとシャロンはお互いに昔の記憶を引っ張り、そこに手がかりの糸が漂っていると言わんばかりに、やや右上を見上げた。
幼馴染であるふたりはしばらく沈黙した後、ほぼ同時に顔を見合わせた。
「分からないな」
「はい、そうですね〜そもそも絵本の話ですから」
ミルドは肩を竦めて、この件は内密にしてほしい旨を伝えると、シャロンは「分かってますよ」と笑って、約束してくれた。
謎は深まるばかりだったが、そこでミルドは一切の興味を失った。
不思議だろうが人智を越えていようが関係ない。ミルドはただ金を稼ぐだけだ。
「それで、何か良さそうな依頼はあるか?無ければその辺を適当に討伐してくる」
「もう依頼の話なんですね〜ええと、牧場の荷車が壊れた件はご存知ですか?」
「知らないな」
牧場といえばウォーセンには欠かせない要素で、運搬に必要な荷車が壊れたとあれば、町の一大事だ。
「修理自体は出来るそうなんですが、その木材が無いそうで」
「木こり、か。いくらだ?」
「直接交渉したい、と仰っていました」
ミルドは頷いて差し出された依頼書にサインする。
今回は丸太一本分の良質な木材を届ければ良いらしい。
木々の伐採。他の街や村では専門職や専門ギルドに就いている者が行うのだろう。とにかく冒険者本来の仕事ではないことは明らかだ。
と言っても、冒険者とは名ばかりで実際の活動内容は便利屋に近いケースが多い。
確かに冒険を「目的」として各地を巡り、好奇心を満たす者もいるが、ミルドのように冒険を生活する為の「手段」としている者もいる。
ウォーセンでは町の困りごとは主にミルドが解決していた。
特に今回の場合、斧使いであるミルドにはピッタリの仕事とも言えるだろう。
昔は民間で起きるトラブルは王宮所属の自警団が行っていたらしいが、次第に増える依頼料と暇を持て余した冒険者の増加から今日のような状況に至ったとされている。
「いつもありがとうございます〜そういえば近日中に【本部】から視察が来るみたいです〜ミルドさんも気をつけて下さいね」
「この間も来てたじゃないか」
「あれは視察ではなくて、ゴブリンロード討伐の状況確認です〜」
都合の悪い話題に苦笑したミルドは忠告を受け入れて、冒険者ギルドの出口へ向かった。
(そういえばランチの件、忘れていたな)
シャロンとの約束を今更思い出して、罪の意識を覚える。
探しておかなければ、と自戒して冒険者ギルドの門から出た瞬間──
──ドンッ
身体に軽い衝撃が走る。
跳ね返った黒い何かは地面でうずくまっていた。
「うぅ……いたた……」
それはローブを身に纏ったラドローズだった。