第7話:ウォーセンの宿屋
立入禁止のダンジョン【嘆きの洞穴】で王宮騎士団員が魔族らしき人物に殺害されたという報告は、当日の元老院による会議にて「一時保留」との見解が出された。
その日、王都スウェーズル近郊の田舎町ウォーセンまで続く街道では、深紅の翼を広げた怪獣が大柄の男を拐っていく姿が目撃されたという。
その正体が歯を食いしばりながら飛翔するラドローズと血色の悪い顔をしたミルドだったことは本人達以外は誰も知らない。
「妾に任せるのじゃ」と息巻いていたラドローズが、舌の根も乾かないうちに「身体は頑丈な方か?」と聞いてきた為、ミルドはただただ墜落しないことを祈るばかりだった。
幸い、その祈りは通じた。
「ふぅ、妾は疲れたのじゃ……」
「……ああ、おかげで助かった」
空の旅を終えた2人はウォーセンに無事到着。
よろよろと地に足をつけた後、気絶するように眠りに落ちたラドローズ、危うく倒れそうになった所をミルドは抱きかかえた。華奢な身体を落とさぬように体勢を整えて歩き出す。
(死ぬかと思ったが、馬車代は節約できたな)
赤子のように自身の腕で眠るラドローズに感謝を捧げる。
夜のウォーセンはとても静かだ。
時折吹く風が町周辺の草花を揺らす中で、ザクザクと砂利を踏み鳴らす音だけが響く。家々の明かりは疎らで、町郊外にある牛飼いの小さな牧場に家畜の姿は見当たらない。
暫くして、見えてきたのは冒険者ギルド。
とっくに店仕舞いの時間のはずなのに、窓からは光が漏れていた。
(残業か……珍しいな)
夜遅くまで冒険者の為に働いてくれているシャロンに労りの気持ちを抱きつつ、冒険者ギルド手前の角を曲がる。
依頼は明日の早朝にしようと、泣く泣く断念したわけだ。
向かった先は自宅ではなく、料亭兼宿屋『跳ねる牛』。
名前の由来はウォーセンが酪農を主要産業としている所からだそうで、その名の通り新鮮かつ濃厚な牛乳や牛肉を使ったシチュー類を看板メニューとして掲げている。
「いらっしゃい……って、アンタか」
「遅くにすまない。2部屋空いてるか?」
「あいよ。しかし、どうした」
年季の入ったアーチ型の扉を開けるとすぐに受付があり、出迎えてくれたのは店主のトルースだ。
白髪交じりの短髪の頭と顎髭。中年特有の出張った腹。『宿オヤジ』の愛称を持つ彼は不思議そうな顔をしていた。
それも当然で、数分ほど歩いた先に自宅を構えるミルドがわざわざ宿に泊まる意味はない。
それにトルースはミルドが節約家であることを知っていた。
「何も聞かないでくれるか」
ミルドは腕に抱えた少女を一瞥した後、店主を意味ありげに目配せする。トルースの事は信頼しているが、魔族を拾ったと説明するのは流石に危険だとミルドは判断した。
そこでトルースもラドローズの存在に気付いたらしく、少し驚いた表情をする。
夜分遅くに少女を抱えて宿泊をするという状況。しかしトルースは疑いの目を向けること無く、頷いた。
「あいわかった。オレは何も言わねえ。泊まりだけか?」
「ああ」
「よし、宿泊代は1人分でいい。それと廃棄予定のパンがあるから良かったら食べな」
「すまない」
「礼はいい。お前さんには色々世話になってるからな」
そう言って朗らかに笑った店主に「早朝には出る」と伝えてから代金を払い、湿気たパンの山と共に案内された部屋に入った。
四角いベッドとランプの乗ったサイドテーブルが置かれているだけの質素な部屋。銅貨5枚という破格の値段にしては上出来なのだろう。初めて故郷の宿屋に泊まるミルドは少し感心した。
未だに眠り続けるラドローズをベッドに寝かせ、底が平たいパンの山からひとつを頬張り、残りを机に置く。
(大変な1日だった)
ラドローズを眺めながら大きなため息を吐く。
いくら魔族とはいえ昏睡状態の異性を自宅に泊めるのは気が引けた為、わざわざ宿屋までやってきた。
ここまでする必要はあったのか今更自問自答しながら、これから彼女をどうするのか思考を巡らせる。
(魔族は殺せ、と教わったがな)
ラドローズに対して義理はない。
有り難いことに『跳ねる牛』の店主は追求を避けてくれた。あの様子では魔族であることにも気づいていないだろう。彼の人柄的にも説得できたかもしれないが、全員がそうではない。
噂が広まれば、ミルドも含めて斬りかかってくる者が大半のはず。
ラドローズを置いて、数日程ウォーセンを離れれば、厄介事とはおさらばできるかもしれない。
(そういえば……)
ポケットから小さな銅貨を取り出す。
ラドローズから貰った泥の付いた銅貨。
(銅貨5枚に銀貨3枚の出資に対して、報酬はこれだけか。赤字だな)
指で泥を落として再び銅貨を眺める。
端のほうには拭いきれなかった血が微かに付着していた。
「ラドローズ、か」
そう呟いたミルドは部屋から出て扉を静かに閉めると、隣室へ足を運んだ。
☆
「うぅ……カーテンを閉めてくれぇ……」
早朝、赤い太陽が宿屋の一部屋に最初の光を届ける。
ラドローズを起こしに来たミルドだったが、一筋縄ではいかないらしい。
窓から差し込んだ太陽の光がラドローズの腕に触れた瞬間、小さな金切り声が上がった。本人曰く「妾は吸血鬼族に近い」とのこと。
昨晩の『血象魔法』も真祖の血筋である特権だと説明されたが、ミルドには半分も理解できなかった。
「すまなかった」
カーテンを引ったくるように閉める。
吸血鬼族がどういった原理で太陽光から攻撃されているのか聞いてみたい所でもあったが、とりあえず謝っておいた。
「もうよい。妾はお主と出会ったのは夜じゃったからのう。力を失った妾では太陽光さえ弱点となってしまうのじゃ……説明していなかった妾の責任でもある」
難しい顔をしたラドローズはテーブルの上に載ったパンを見つけると両手にひとつずつ掴んで食べ始めた。頬を丸くしてモグモグと食べる姿はまるで小動物のようだ。
ミルドは、魔族もパンを食べることに驚いた。
「ここはどこじゃ?」
「ウォーセンという町だ」
そうやってパンの山を崩しながら質問攻めにしてくるラドローズにひとつひとつ短く簡潔に答えていった。
ウォーセンが故郷であることを再度伝え、大陸における地理的情報や、ここが宿屋であること等々、説明下手ながらも不明瞭にはしないように心がけていく。
「ふむ……大体理解した。それで、やけに強いお主は……」
「改めて、俺はミルドという。冒険者だ」
「そうかそうか。冒険者ミルドよ、改めて妾を助けてくれてありがとう!」
ラドローズはニコリと子どものように笑った。
その笑顔は『魔王』という肩書には相応しくないように見える。
「お前はこれからどうするつもりなんだ」
「おっとと……待て待て、『お前』とはなんじゃ!妾にはラドローズ・ヴァン=ロズレリア・ローゼスティールという麗しい名がある」
「やけに長いな」
「ま、まあ確かにのう。ならば仕方が無い、ラドローズと呼ぶがいい」
渋々といった具合に妥協していたが、最後のパンを口へ運ぶと満足そうな表情に戻った。
「それで本題に戻るが、俺はすぐにここを出る。ラドローズはどうするんだ。必要ないのかもしれないが……隣町くらいまでの馬車代は出してやる」
「え、お主も来てくれるんじゃろ?」
「は?」
「妾を魔王城まで連れて行ってくれるんじゃろ?」
ラドローズの縋るような声。
当然といえば当然だが、彼女の目的はやはり魔王城への帰還らしい。
魔王城の所在はミルドには分からない。それでも王都スウェーズルと同じように、魔族領の最奥付近、ここからおおよそ対極の位置にあることは予想できる。
そんな所まで連れて行くという約束をした覚えは無い。
「俺とお前はここまでだ。必要になりそうなものは買っておいた。後は自分でなんとかしろ」
ベッドの下に置かれた深緑色のショルダーバッグを指差す。
それはミルドが冒険者になりたての頃のお古で、中には冒険者に最低限必要なポーションやナイフなどが入っている。その横には身を隠せるようローブまで完備されていた。
「じゃあな」
「え──」
別れの言葉を口にしてミルドは部屋を後にする。
振り向き際、視界の端に写ったラドローズの打ちのめされたような泣き顔は、宿屋を出た後も脳裏にこびりついていた。