My Ordinary Life
1.イーグルという人間について
今日も、都市の中を駆けていく。
夜中の国道を黒いバイクで走る。
常識外の人間たちがたむろする最低最悪の街の中。
彼は銃を握り、ただ金の為だけに人を殺していく。
この街で生きるなら、情などは当然持たない方がいい。
助けを乞う声も、悲鳴も、銃声に掻き消される。
火薬の匂いばかりが建物に染み付く。
やがて、彼は“掃除屋”として街の中を駆けていた。
二世代ほど遅れたデザインの携帯電話からマリンバの着信音が鳴る。
「もしもし」
『イーグル、仕事だ。詳細はメールに送った』
低い声が電話越しに聞こえた。
「OK。場所は?」
「ヤング・パイン。比較的安全だが、注意は怠るな」
「了解」
そう言って電話を切って、目的の場所までバイクは走り出す。
これは“正義”だ。悪を抹消できる手段。
俺は処刑人。悪を断罪する執行者。
人々のためなら、平然と血を被って歩いていける。
そう思っていた。
あの時、彼女に出会うまでは。
2.邂逅・酩酊
ちょうど雨が激しく降りはじめた時の事だった。
ヤング・パイン西部。
イーグルはいつもと変わらず、殺し屋として依頼を受けている。
依頼の承諾、任務の遂行、報酬の獲得。
やるべき事はたったの3つだ。
『志村宏陽。九國連バイオテクノニクスから重要サンプルを窃盗。国家機密のため早急に』
メールに書かれた文面と共に添付されていた地図を頼りに抹殺目標のいる場所へと向かう。
辿り着いた目的地にあったのは、見窄らしい一軒家。
蔦が張り巡らされた古い家。
壁やらガラスやらにところどころ亀裂が入っており、屋根の重みで今にも潰れそうなほど。
ヤング・パインはシティの区域の中でも再開発が遅れているという話は聞いたことがあるが、これはその見本とも言える。
(本当にここに住んでいるのか……?)
イーグルは依頼主に猜疑心を持ちながらも、家の扉のノブを回してみる。
ガチャリ。軽快な音を立てて安易に開いてしまう。
(鍵……開いている?)
一瞬困惑するも、ここで時間をかける余地はないと、玄関に上がる。
腰元のホルスターに下げた拳銃を手に持って土足で家の中に入る。
暗い。
幽霊が出てきてもおかしくないほどに暗い。
そう思った矢先。
赤い光が2つ。横に並んでいた。
「……っ!!」
即座にグロックを構える。
「誰だ」
しかし、赤い光は静止したまま。
「3つ数える内に答えろ。さもなくば撃つぞ!!」
怒号が家の中に響き渡る。
「3……2……」
引き金をゆっくりと引いていく。
「撃たないで」
微かに暗闇の中から声が聞こえた。
「アル。レド・アルフォンス。これが私の名前……」
そう言った直後に部屋が明るくなる。
目の前にいたのは、赤い髪の女。
顔立ちが整った10代ほどの女が立っていた。
だからこそ、イーグルは困惑した。
写真の志村はいたって平凡な中年の男。
だが、今ここには女がいるとなれば、焦るほかない。
「志村は……志村宏陽はどこにいる」
「シムラ……アレはあなたの友達だったの?」
どういう事だ、と戸惑うイーグル。
アルは気怠そうに下を指差す。
その細い指に視線を流すと、
「なっ…!?」
腐食しかけていた死体があった。
ぼんやりとした蛍光灯に照らされる死体。
内臓がぶちまけられた死体。
赤黒い血は畳に染み付いている。
しかし、肝心の顔面は重度の火傷で顔が分からない。
もはや肉の塊と化していた。
「これは……」
「それがシムラ。あなたが求めたシムラコウヨウ」
蝿が数匹、彼の死体に這いつくばって蠢いている。
鉄のような匂いは雨の鈍重な空気で下に沈んでいる。
「彼は悪くないわ。ただ私を助けるために動いてくれただけなの」
「……助ける?」
「そう。この人が私をあの施設から助けてくれたの。でもその時には手遅れだった……」
彼女はしゃがんで、腐りかけの死体を慈しむように撫でる。
「彼は私のヒーロー。それはこの《《記憶装置》》の中に永遠に刻み込まれる」
「……そうかい」
理解してしまった。
彼女こそが国家の機密情報だという事に。
彼女の言う事が正しければ、この死体——志村宏陽が盗んできたものは彼女自身。そしてこの家は彼女を匿う為の家でもある訳だ。
だが、もし仮に彼女の発言が全て嘘だとしたら?
それなら、メールに書いてある潜伏先に志村自身がいるはずがない。
ましてや国の機密を盗んでおいて、逃避行に及ばない訳がない。
確実にどこかの監視カメラには写っていただろう。
何よりも、死体に刻まれたこの重傷。血痕も道順のところどころにあったはず。
だからこそ、この家に潜伏している事がバレたのだ。
「悲しいか、ヒーローが死んだ事が」
「……ええ、そうね。感情というプログラムが構築された訳ではないけど心臓が虚ろになった気はする」
「……お前は、ロボットか何かか?」
酩酊していく視界の中で、彼女は儚げに微笑む。
「そうであって欲しかった」
(俺も甘いな)
罠があるとわかって、それでも話を聞いたのだから。
背中から何かが注入される感触。
おそらく、麻酔。
力が抜けて、志村の死体の上に倒れる。
グチャっとハエの群がった内臓を潰す。
腐肉と鉄と刺激臭が混ざり合った反吐が出るほどに気持ち悪い。
それでも身体は動かない。
志村宏陽が仕掛けた最後の抗い。
だが、それは蟷螂の斧にすぎない。
既に場所は特定された。
そこに潜伏することを知られた。
だが、志村はとっくに死んでいる。
彼女のみで逃げ続けられるとは思えない。
詰んでいた。
彼女はここで野垂れ死ぬしかないのだ。
3.My Ordinary Life〜〜
目が覚めた時、イーグルは病院にいた。
配管と電線ばかりの廃れかけた病室の堅いベットの上。
無法者ばかりが集まる病院というのは大体こういうものだとイーグルは割り切っていた。
着ていた服は全部脱がされ、今は薄汚れた麻布を着せられている。
まるで貧乏人みたいだ。
医者は病院の前で血まみれで倒れていたと聞いたが……まあ死体の上に倒れて仕舞えばそうなるのだろうな。
それがイーグルの感想だった。
一体誰が病院へ運んだのか、そこまで分からないほど彼は野暮ではない。
『イーグル、大丈夫か?』
モニター越しから聞こえる低い声。
ジョセフのものだった。
「まぁまぁといったところか?」
『そうか。まさか任務達成した直後に襲われていたとは……気の毒だったな』
「ああ、そうか」
ジョセフの口から告げられる任務終了の令。
「任務、達成か……」
『何を言ってる。志村宏陽の殺害はお前がやってくれたのだろう。報酬はお前の口座に振り込まれた』
「あ……」
あの女はどうなったんだ——その言葉を言いかけて呑み込む。今更何も言えない。
『……どうした?』
「いや。少し感傷に浸ってただけさ」
『そうか。お前の退院は明日だ。安静日は1日与えてやる。それまでに仕事の準備をしろ』
モニターの通信が切れる。
「……」
ため息を吐いた。
(ヒーロー……か)
彼は静寂ばかりの病室で思う。愚かな事だ。
彼女を助ける為だけに国を敵に回すなんて。
それほど、ロボットに恋をしていたとは。
「フッ……」
そんな事を考えて鼻で笑う。
阿呆らしいと。
そして綺麗に畳まれた服を着ようとした時——
目の前に、銃が置かれていた
世界中のどのメーカー品でもない、緋色のオートマチックの拳銃。
「これは……?」
手に取ってみるとずしりと重い。
(オーダーメイド……?だが、どこの企業の?)
拳銃を見回す時スライドに文字が刻まれていた。
“|Dear my eagle《親愛なる鷲へ》”
そしてもう一つ。今度はグリップに刻まれていた文字を読む。
“|From your avenger 《アナタの復讐者より》”
「……」
イーグルは、ただ苦笑するだけしかなかった。
〜2日後〜
シティの高層ビルの上に立つ紅のスカジャンの男。
掃除屋イーグルは、シティの街並みを一望していた。
風を受けている最中、耳につけた通信機にノイズが走る。
『イーグル、調子はどうだ?』
唸る様な低い声。ジョセフからだった。
「元気いっぱい……とは言えねえが、まぁぼちぼちといったところだ」
『そうか、なら良い。早速だが新しい仕事だ。依頼はいつも通りメールで送った』
通信が切れると、すぐに二世代遅れの携帯からメールを見る。
「OK。すぐにやる」
そういってビルの屋上からなんの躊躇いもなく飛び降りる。地上300メートルをびくともせずに急速に落ちていき、ある部屋のガラスを突き破って入っていく。
イーグルは緋色の拳銃を構え、中にいた人間を撃っていく。
あの女と出会ったあとは何も変わらなかった。
ただ人を殺す。
それが任務だから。
それがイーグルにとっての日常なのだから。
今日もシティは銃声に満ちている。